見出し画像

わたしについて

まわりがnoteを書いてるから私も始めてみました。
内容は人によっては不愉快なものです。

特段これといった人生ではないです。


生まれた時から家庭環境は崩壊しており、そんな環境の中で育った私はいまいち「愛情」がわかりません。
だからこそ何者かに認められたい、注目されたい、という自己承認欲求のみが強くなってしまいました。

誰も聞いてもいないですが私の幼少期を語りましょう。

父と母は出会った時から破綻していました。
母は子供欲しさに好きでもない父との間に子供を作りました。
母いわく父は優しかった、とのことです。私にはそんな記憶はありませんが。
父と母の間に私ができたことで籍を入れました。
しばらくはお互い父親、母親としての責任を持ち仕事、育児に励んでいましたがそれもとあるきっかけで崩れました。

母の給与が父より多かったからです。

そこからは父が家庭に一切の金銭援助をしてくれなくなり、母は朝も、晩も、早朝も働き詰めでした。
そんな母を横目に父は今まで勤務していた会社を退職し、気付けば母のヒモのような立場になっていました。
家には父が消費者金融から借りていたものが返せなく、借金の取り立てが毎日、朝も夜も関係なしに取り立てに来ていました。

私は毎日毎日息を殺して暗い部屋でお風呂にも入れず過ごしていました。
夜ご飯としてだされた生の人参も、生のまま食べたインスタント麺も真冬の北海道で電気が止まり暖房器具がつかない中一人の家でがちがち鳴る歯で体を抱きしめて寝た夜も私は一生忘れないでしょう。


そこから母はギャンブル依存症になり、父は統合失調症になりました。
父が発狂しながら私の目の前で小指を包丁で切り落とそうとしたり、母が稼いでくれた一か月の給料をパチンコで全額使い切ってしまい私の目の目の前で母が顔中血まみれにされる光景なんて日常茶飯事な出来事です。


こんな人生を送ってきたものですから、とある日消えたくなって。
いまでも忘れないです。照り付けるような日差しの中、車の通る音と横断歩道が切り替わる音。そんな音を背景に私は自室で首吊りをしました。


目が覚めたら精神病棟でした。
いの一番に思ったことは死ねなかった。です。
今でも希死念慮はあります。そう思わないように私は何かしらに依存をして臭いものに蓋をしています。

このような記事を書いたのも私がまだ、過去を割り切れていないからです。
調子が悪いときはフラッシュバックします。
お前は俺の子供じゃない、生まれてこなければよかった、早く死んでくれ。
そんな罵詈雑言が頭の中で聞こえてきます。

こんな私が生きていられるのは中学で親元を離れてからであったインターネットです。闇もありますが暖かいです、居心地がいいです。
みんな、こんな私を受け入れてくれてありがとう。

これからも仲良くしてください。

普段と同じ態度でかまわないので受け入れてください、仲良くしてください。


そして、同じような子がいれば話なら聞けます。
依存はよくないものなんです。あなたもその人もつぶれちゃう。
こんな世の中、ゲロ吐きながら過ごしていきましょう。

私の腕には消えない傷があります。後悔なんてしてないです。
泣きながら、発狂しながらそれでも死ぬ勇気なんてなくて生きた証だと思ってます。
それでもいいと思います。人はみな生きていれば平等に寿命は来ます。

けど、30までには死にたいな。


真面目な話でした。
おやすみなさい。


やにてん




いいなと思ったら応援しよう!