矢代の右眼のこと・なぜ"右"の"眼"だったのか
「囀る鳥は羽ばたかない」
考察その4
平田の嫉妬と矢代の右眼
(※誰の考察も参考にしておりません。もし似通った解釈があった場合はご容赦下さい。)
梅雨が明けた頃に、蓮の花を見に行きました。
蓮畑の美しい花を眺めながら、“泥中の蓮"とは、まさに矢代そのものだよなぁと、しみじみ思ったのでした。
《泥中の蓮》
泥の中に生える蓮の花。けがれた境遇にあってもこれに染まらず、清らかさを保つことの
たとえ/広辞苑より
そして、何気なく泥の中を覗きこんだ時、急に平田の苦しみが胸をよぎったのです。それは、こんなイメージでした。
ー泥の中でいっそう際立つ美しい蓮のような矢代。その花を愛でる三角の姿を、泥の底から見上げる平田は一体どんな気持ちだったんだろう。
嫉妬と憎しみに苛まれ、苦しかっただろうな。
その美しい花びらを引きちぎりたくなるほどにー
そんな訳で、矢代の右眼について、まずは平田の「嫉妬」から考えていきたいと思います。
ヤクザの世界は金と権力・面子がすべての、決して弱みを見せられない男の世界。
松原組での義理事に集まった大勢の男たちの前で、三角がわざわざ矢代の隣に座ったために、平田の嫉妬を買っている。
三角が矢代を溺愛するのを苦々しく思っている平田。
矢代の存在は目障りだが、利用価値があるので渋々黙認している。それは竜崎のセリフからもわかる。
ところが、三角が平田を差し置いて、矢代を本家・道心会の幹部に引き立てようとしているのを知った途端に殺意が芽生える。
その理由を竜崎は突く。
平田は竜崎をそそのかし、矢代を殺ろうと画策するが、矢代を守りたい竜崎に逆に刺され、病院に運ばれる。
病院で目を覚ました平田は、傷の痛みを契機にして過去の出来事を思い出す。三角との出会いと黒羽根のことを。
傷の痛みと嫉妬の痛みが重なる。
さて、ここで「嫉妬」について少し。
物の本によると「嫉妬」とは、憎しみ・怒り・痛み・悲しみ・恐れ・混乱・不安、等様々な感情が絡み合った複雑で激しい感情だそう。
幼い頃の体験からくる自信のなさ、拒絶されることへの恐怖、屈辱や怒りに根差していることが多い。らしい。
つまり、いくつもの負の感情が絡み合う激しい嫉妬は、容易に強烈な殺意に変わりうる。
黒羽根への尋常ではない殺意は、そのまま三角への思いの強さの表れだ。
それに加えて「損得なし温厚で義理と人情の人格者」と評される黒羽根の誠実さ、真っすぐな言葉は、真っ当に生きられない平田をより苛立たせ、いっそう卑屈にさせたのだと思う。
唯一欲しいモノ。それは三角からの寵愛。黒羽根の居る場所、三角の側。
欲しいモノは奪う。ほかに手段を知らない。
平田もまた、奪われ、理不尽の雨に打たれ続けた子どもだったという事だ。身を守る傘も、それを差し出してくれる人もいなかったという事。
黒羽根を消し、ようやく欲しかったモノが手に入ると思った矢先、三角の視線の先にはすでに矢代がいた…
…さて、ここまでは平田の「嫉妬」についてざっと見てきました。
では、いよいよ矢代の右眼について、なぜ“右”の“眼”なのか、「それぞれの視線の先・眼」を手掛かりに考えていきます。
《5巻28話》
平田の回想シーンから。
平田がまだ下っ端だった頃です。
目の前を通り過ぎる三角に頭を下げながら、その背中をずっと"眼"で追っている平田。
天羽の母のお葬式の場面では、いたわるように天羽の頭に手をやる三角の後ろ姿と、その大きな手を、食い入るように"見"つめている。
平田はずっと三角を"見ている"。
しかし三角の視界に平田は全く入っていない。
三角を追うと否応なく眼に入るのは黒羽根の姿。三角の側には常に黒羽根がいる。
黒羽根さえいなければ三角に見てもらえる…
《4 巻 21 話》
平田がなぜ矢代を狙うのか理由がわからない三角に、天羽はこう答える。
《6 巻 34 話》
倉庫での場面。追い詰められた平田が、矢代の投げた言葉に逆上する。
大勢の中の一人ではなく、一番に自分を見てほしい、認めてほしい、愛してほしい。
手段は間違っていたけれど、それでも、親(三角)の愛を必死で求め、無視され続ける子ども(平田)が哀れだ。
《6 巻 21 話》
天羽のモノローグ
自覚してくれよ三角。
《6 巻 35 話》
平田の最後。
三角の前に引き出され、ころせ…と呟く平田
三角は平田を蔑み、冷たく突き放す。
ー憎まれてもいい、どんな感情でもいいから俺に向けてほしい、自ら手を下してほしい、俺を見てくれ、無視するな、俺の存在を無いものにするなー
この切羽詰まった悲痛な叫びを、平田にとって最も残酷な言葉で切り捨て、一顧だにせず去っていく三角。
最後まで平田を見ることなく、どこまでも無視し続けた三角。
平田の無念が、三角の視線の先に居る矢代に、その“眼”に向かったのは、必然だったのではないかと思う。
かつて、三角の“右"腕は黒羽根だった。
今、“右"腕になれと乞われているのは矢代だ。
そこは平田が唯一欲しかった場所、三角の側。どんなに望んでも手に入らないモノ。
三角への絶望と悲しみ、矢代への嫉妬と憎しみ、その全てが凝縮し、執念となって矢代の“右”の“眼”を奪い去っていく。
そういうことなんだろうと思う。多分。
一方、矢代の場合。
右眼を失い半分欠けてしまった視界というのは、百目鬼を失い半分欠けてしまったような矢代の心の状態を表しているのではないかと思う。
《7巻 40 話》
矢代が何度も見る夢。砂漠の中に 1 人取り残される夢。
夢の中の百目鬼は、顔が半分欠けている。
百目鬼の喪失と視界の喪失が繋がっている。
欠けた顔・おぼろげで儚い記憶・深い喪失感(矢代の内面)と、片目ゆえのぼやけた輪郭・揺らいで見える景色・おぼつかない足元(矢代の現実の世界)とは、互いにリンクし、強く影響しあっているように思える。
そして 48 話。
空虚な4 年の歳月を過ごし、百目鬼と再会後の逡巡を経て、ようやく今、初めの一歩を踏み出そうとしている。
ラストシーン。
やっとの思いで百目鬼を引き寄せ(神谷の扱いは雑)、精一杯の言葉で気持ちを伝えた矢代。エレベーターの中で開ボタンを押しながら、ずっと百目鬼を待っている。
このシーンを最後に、しばらく休載が続いている訳ですが…
待つ苦しみも楽しみのうち。
夢中になれる作品に出会い、一喜一憂する毎日の幸せ。
感謝しかありません。
次回掲載がいつになろうとも、エレベーターの中の健気な矢代と共に、百目鬼を待ち続けます。いつまでも。