矢代の右眼のこと・なぜ"右"の"眼"だったのか

「囀る鳥は羽ばたかない」

考察その4
平田の嫉妬と矢代の右眼


(※誰の考察も参考にしておりません。もし似通った解釈があった場合はご容赦下さい。)


梅雨が明けた頃に、蓮の花を見に行きました。
蓮畑の美しい花を眺めながら、“泥中の蓮"とは、まさに矢代そのものだよなぁと、しみじみ思ったのでした。

《泥中の蓮》
泥の中に生える蓮の花。けがれた境遇にあってもこれに染まらず、清らかさを保つことの
たとえ/広辞苑より

そして、何気なく泥の中を覗きこんだ時、急に平田の苦しみが胸をよぎったのです。それは、こんなイメージでした。

ー泥の中でいっそう際立つ美しい蓮のような矢代。その花を愛でる三角の姿を、泥の底から見上げる平田は一体どんな気持ちだったんだろう。
嫉妬と憎しみに苛まれ、苦しかっただろうな。
その美しい花びらを引きちぎりたくなるほどにー

そんな訳で、矢代の右眼について、まずは平田の「嫉妬」から考えていきたいと思います。


ヤクザの世界は金と権力・面子がすべての、決して弱みを見せられない男の世界。

男・おとこ・オトコ
兄貴だの親父だのと
まるで仮性ホモの集まりだ
男の嫉妬ほど手に負えね―もんはねぇ

1巻3話

松原組での義理事に集まった大勢の男たちの前で、三角がわざわざ矢代の隣に座ったために、平田の嫉妬を買っている。
三角が矢代を溺愛するのを苦々しく思っている平田。
矢代の存在は目障りだが、利用価値があるので渋々黙認している。それは竜崎のセリフからもわかる。

奴(矢代)程義理をキッチリ入れてくるなら多少のことも目を瞑れてただろ

5巻26話

ところが、三角が平田を差し置いて、矢代を本家・道心会の幹部に引き立てようとしているのを知った途端に殺意が芽生える。
その理由を竜崎は突く。

てめぇのそれは単なる嫉妬じゃねえのか。
三角の親父取られて気に入らねぇんだろ

5巻26話

平田は竜崎をそそのかし、矢代を殺ろうと画策するが、矢代を守りたい竜崎に逆に刺され、病院に運ばれる。
病院で目を覚ました平田は、傷の痛みを契機にして過去の出来事を思い出す。三角との出会いと黒羽根のことを。

思い出しただけだ。似た痛みを

5巻28話

傷の痛みと嫉妬の痛みが重なる。

さて、ここで「嫉妬」について少し。
物の本によると「嫉妬」とは、憎しみ・怒り・痛み・悲しみ・恐れ・混乱・不安、等様々な感情が絡み合った複雑で激しい感情だそう。
幼い頃の体験からくる自信のなさ、拒絶されることへの恐怖、屈辱や怒りに根差していることが多い。らしい。

つまり、いくつもの負の感情が絡み合う激しい嫉妬は、容易に強烈な殺意に変わりうる。

矢代「黒羽根はナイフで滅多刺し、アンタだけが助かった」

平田「ああそうだ、俺が奴を殺した
何度も腹抉ってやった、こいつさえいなけりゃ…」

以下6巻34話

黒羽根への尋常ではない殺意は、そのまま三角への思いの強さの表れだ。

それに加えて「損得なし温厚で義理と人情の人格者」と評される黒羽根の誠実さ、真っすぐな言葉は、真っ当に生きられない平田をより苛立たせ、いっそう卑屈にさせたのだと思う。

あいつはまるで正しい人間みてぇに真っすぐで、綺麗事を恥ずかしげもなく語りやがる
足元は汚物だらけなのによ
てめぇだけは綺麗でいようなんて図々しいだろうが

…そのくせ俺がヤクザになって唯一欲しいと思ったモンを持ってやがった

唯一欲しいモノ。それは三角からの寵愛。黒羽根の居る場所、三角の側。

極道は人から奪う生きモンだろうが
俺はガキの頃から奪われてきた

欲しいモノは奪う。ほかに手段を知らない。

平田もまた、奪われ、理不尽の雨に打たれ続けた子どもだったという事だ。身を守る傘も、それを差し出してくれる人もいなかったという事。

俺があいつを殺してようやくだ
ようやく三角は俺を視界に入れやがった
そんな時てめぇが現れた
どこまで俺を無視しやがる

黒羽根を消し、ようやく欲しかったモノが手に入ると思った矢先、三角の視線の先にはすでに矢代がいた…


…さて、ここまでは平田の「嫉妬」についてざっと見てきました。
では、いよいよ矢代の右眼について、なぜ“右”の“眼”なのか、「それぞれの視線の先・眼」を手掛かりに考えていきます。

《5巻28話》
平田の回想シーンから。
平田がまだ下っ端だった頃です。

目の前を通り過ぎる三角に頭を下げながら、その背中をずっと"眼"で追っている平田。

天羽の母のお葬式の場面では、いたわるように天羽の頭に手をやる三角の後ろ姿と、その大きな手を、食い入るように"見"つめている。

平田はずっと三角を"見ている"。
しかし三角の視界に平田は全く入っていない。
三角を追うと否応なく眼に入るのは黒羽根の姿。三角の側には常に黒羽根がいる。

黒羽根さえいなければ三角に見てもらえる…

《4 巻 21 話》
平田がなぜ矢代を狙うのか理由がわからない三角に、天羽はこう答える。

あの方(平田)は親としての頭に強く惹かれていますから、一の子分として認められたいのは当然とも思います

《6 巻 34 話》
倉庫での場面。追い詰められた平田が、矢代の投げた言葉に逆上する。

そんなに三角さんに愛されたかったですか?

大勢の中の一人ではなく、一番に自分を見てほしい、認めてほしい、愛してほしい。

手段は間違っていたけれど、それでも、親(三角)の愛を必死で求め、無視され続ける子ども(平田)が哀れだ。

《6 巻 21 話》
天羽のモノローグ

この人(三角)は他人がそこまで自分を求めるとは思っていない

自覚してくれよ三角。


《6 巻 35 話》
平田の最後。
三角の前に引き出され、ころせ…と呟く平田

お前ごときバラすのに俺が手ぇ下すと思うのか?

三角は平田を蔑み、冷たく突き放す。

おれはっ…黒羽根を殺っ…
ア…アンタは…俺が憎いはずだ…
その手で俺を殺したいはずだろ!?
俺を見ろっ
俺を…

ー憎まれてもいい、どんな感情でもいいから俺に向けてほしい、自ら手を下してほしい、俺を見てくれ、無視するな、俺の存在を無いものにするなー

この切羽詰まった悲痛な叫びを、平田にとって最も残酷な言葉で切り捨て、一顧だにせず去っていく三角。

俺の知らねぇところで勝手に死ね

最後まで平田を見ることなく、どこまでも無視し続けた三角。
平田の無念が、三角の視線の先に居る矢代に、その“眼”に向かったのは、必然だったのではないかと思う。

かつて、三角の“右"腕は黒羽根だった。
今、“右"腕になれと乞われているのは矢代だ。
そこは平田が唯一欲しかった場所、三角の側。どんなに望んでも手に入らないモノ。

三角への絶望と悲しみ、矢代への嫉妬と憎しみ、その全てが凝縮し、執念となって矢代の“右”の“眼”を奪い去っていく。

右眼は平田が持ってった
そういうことなんだろうと思った

7巻36話

そういうことなんだろうと思う。多分。


一方、矢代の場合。
右眼を失い半分欠けてしまった視界というのは、百目鬼を失い半分欠けてしまったような矢代の心の状態を表しているのではないかと思う。

《7巻 40 話》
矢代が何度も見る夢。砂漠の中に 1 人取り残される夢。
夢の中の百目鬼は、顔が半分欠けている。
百目鬼の喪失と視界の喪失が繋がっている。

人の記憶なんてもんは案外儚いもんだ
顔…どんなだったっけな

欠けた顔・おぼろげで儚い記憶・深い喪失感(矢代の内面)と、片目ゆえのぼやけた輪郭・揺らいで見える景色・おぼつかない足元(矢代の現実の世界)とは、互いにリンクし、強く影響しあっているように思える。

そして 48 話。
空虚な4 年の歳月を過ごし、百目鬼と再会後の逡巡を経て、ようやく今、初めの一歩を踏み出そうとしている。

ラストシーン。
やっとの思いで百目鬼を引き寄せ(神谷の扱いは雑)、精一杯の言葉で気持ちを伝えた矢代。エレベーターの中で開ボタンを押しながら、ずっと百目鬼を待っている。

このシーンを最後に、しばらく休載が続いている訳ですが…

待つ苦しみも楽しみのうち。
夢中になれる作品に出会い、一喜一憂する毎日の幸せ。
感謝しかありません。

次回掲載がいつになろうとも、エレベーターの中の健気な矢代と共に、百目鬼を待ち続けます。いつまでも。




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