『人にやさしく』
1984年 春 19歳
劣等感、田舎から出てきてすぐに突き付けられた
中学校に上がる頃には漠然とだが才能のなさには気付いていた
だからこそ勉強に励み、お陰でそれなりの大学に受かったのだが
何を勘違いしたか、比べてしまったのが悪かった
私が努力して努力してようやく才能と思い込んだモノを
初期装備してるような連中が周りにはうじゃうじゃといたのだ
勿論、私のように劣等感を突き付けられた側もいる
それでも藻掻く者、田舎に帰る者、気付かない振りを続ける者
全員が哀れで、その最たる例が私だろう
”劣等感を受け入れた自分”として居直った
新宿RUIDO
目当てだったバンドは今となっては名前すら覚えていないのに
無理に絞り出したようなメッセージ性にへ辟易としていたシーンの中
ど真ん中にズシンッと直球を投げていた彼を鮮明に思い出せる
活き活きと動き回る様子は私には眩し過ぎた
一方、私は誰が決めたでもない等身大とやらにすっかり惑わされ
上辺だけの自己解釈で自問する事に酔い、自答はおぼろげ
何者でもない孤独と静かなる絶望感に苛まれ
生まれる時代が少し早かったらヒッピーか学生運動にでも喜んで妄信しただろう
気が触れる一歩手前
そんな状態だった為、爽快さ以上のバツの悪さを感じてしまい
「ガンバレ!」さえ責め立てる言葉に聞こえ
その時は素直に感銘を受ける事が出来なかった
だけども気付かされたのは
そんな状態でも好転するキッカケを藁にも縋り探している自分だった
スネた面して自暴自棄に生きるのは楽で居心地も良かったのだが、退屈だ
誰かから手を差し伸ばしてもらうのを待っていたら、そのまま人生が終わってしまう
彼の名前が甲本ヒロトだと知るのはまだ先の話だが
この日から私の人生が少しづつ動き始めた