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未来のジュニア・スポーツ体制

私は日本におけるジュニア・スポーツの普及・育成・強化の取組や体制について、より一層、適正化が進むことを望みます。そしてなるべく遠からぬ将来に、今現在の状況を『昔のこと』として振り返った際に『今じゃ、あり得ないよね』と懐かしむ日が来ることを願います。そして、そうした適正化の推進に向けて取り組みたいと思っています。


部活動改革の行方

国が「学校の働き方改革」を打ち出し、その一環として部活動改革を掲げ、数年が経ちました。「令和5年度から中学校を主体として本格展開」されることとなり、全国大会にクラブ所属選手が参加できるようになるなど、徐々に変化の兆しが見え始めています。

こうした流れは、社会全体の風潮からみれば、歓迎されるべきことのように思えます。一方で、現場におけるスポーツ振興、青少年の健全育成を図るための各種取り組みにとって「実態にそぐわない」「無理がある」「マイナスである」などと感じられる状況が、少なくないという印象を持つところです。この件に関する具体例は、あとの機会に綴りたいと思います。

また、そもそもこうした「国が示す方針」が、功を奏して国民を幸せに・社会を豊かにするのだろうか…という疑念も、正直なところ拭えません。

例えば、国が約20年前から推進してきた「総合型地域スポーツクラブ」。様々なクラブが創意工夫を凝らして運営し、栃木県でも様々な取組が展開されているものの、全域で普及しているとはいえません。中学校の部活動を補完することも期待されましたが、その実現は、国内でも一部にとどまっていると思います。

また、分野は全く異なりますが、現在国によりDX化推進の一環として進められている「GIGAスクール構想」「マイナンバー制度」などといったものも、私個人としては「全くもって効果的に展開されているとはいえない」と感じています。現在、世の中に存在する様々な民間のDXサービス等と比べると、あまりにも稚拙な出来と言わざるを得ず「なぜこんなに酷いのか」「これが国の仕事なのか」と悲しくなります。

(しかし本来、それは悲しむだけで済ませるべきことではないのでしょう。先代から預かった課題を直視せずに先送りし続け、我が身の安泰を優先して変えよう・変わろうとせず、妥協し続けている私たち大人の責任と言えるでしょう。)

こうした状況をみていると、今回の部活動改革というものも腰砕けになるのかな、と思うことがあります。それでも、趣旨と方針については理解できるところであり、受け入れざるを得ないものだとも考えます。

今までの仕組みや慣習の良い部分は残しながらも、社会情勢の変化に合わないものなどについては大胆に捨てて、新しい流れとよりよい仕組みをつくっていくことが、スポーツ現場に関わるものの責務になるものだと思います。

今、昭和の社会を回顧したとき

ところで現在、私が本業とする職場では、自分の子どもと同年代の職員と共に働いています。そして、私がときおり会話の中に織り交ぜる、様々な昔話の内容に驚かれることがあります(たいていは「また始まった」と呆れられていることでしょう)。

例えば、およそ40年前、私が通った中学校では、男子生徒が全員丸刈りであったこと。先生が生徒に体罰をするのは日常茶飯事で、毎日欠かさず誰かが殴られていたこと。職員室で、先生がタバコを吸うのは当たり前だったこと。

私が高校生の頃は、男子生徒全体の7割が喫煙を経験していたこと。その当時、多くの大人が平気で飲酒運転をしていたこと。現在メディアで賑わっている様々な類いのハラスメント;性的なもの、暴力などそれらが横行し、時として表沙汰にならぬままもみ消されてきたこと。

大学時代は、バブル絶頂期でした。その頃のあんなことやこんなことは、綴ることができません。現在Youtubeで、昔に活躍された年配のプロ野球選手が「あの頃、やばすぎた話」のようなものを語る動画がいろいろとありますが、次元は違えど同じようなあれこれが、日常にありました。

私の世代やそれ以前の世代は、昭和時代の出来事で「今はもう表に出せず、無かったことにして墓場に持って行く事案や話題」が、たくさんあることと思います。とてもここには書くことができない、それらの具体的な内容を若い世代にそっと伝えると、多くは驚き、時に眉をひそめます。

今になってそれらを振り返ると、「おおらかで良い時代だったね」と思いつつ、「昔はバカなことしてたなあ」「今じゃ考えられないし、あり得ないよな」「今はもう、できるわけないね」そんな感想を抱きます。

いつかの未来に、平成から令和のはじめの頃を振り返ったときに

現在、学校の夏休み期間中に猛暑の中、伝統あるジュニアスポーツの全国大会が各競技で行われています。特に、学校対抗の全国体育大会についてはスポーツ振興上の意義・役割は大きく、青少年の健全育成、地域活性化や経済循環など、さまざまなメリットを持つものです。

しかし、もう変わるべき頃です。あるいは変わるタイミングを過ぎてしまっているかもしれません。ともかく、いつまでも今と同じままで続けるべきではなく、現在の社会情勢に相応しい内容と形に、変化することが不可欠だと考えます。

変化したあと…それは10年後か、30年後なのか、あるいは50年以上先のことかもしれません。その時に、現在の様子を昔のこととして振り返った人が、次のような事柄について「おおらかで良い時代だったね」と振り返りつつ、「昔は、よくあんなことをやってたなあ」「今じゃ考えられないし、あり得ないよな」「今はもう、できるわけないね」などと、懐かしむような日が来ることを、ささやかながら願うところです。

  • 各競技で小学生の全国大会が開催されていて、勝利を目指して過度な活動が行われたり、その大会で活躍した早熟型選手の伸び悩み・バーンアウトがみられたりした

  • 中学・高校の強い部活は先生・生徒がともに、土・日・祝日、長期休業中すべてが部活漬けで過ごしていた

  • 昔は屋外競技も室内競技もみんな、学校体育大会の夏季競技すべてが一斉に、猛暑の夏休み期間中に全国大会をやっていた

  • 高校生の多くのスポーツ競技では、インターハイ・国体・選抜大会と、年に3回もの全国大会があった

様々な社会活動全体からみたときの「ジュニアのスポーツ」というものが、適正で調和のとれたものとして展開されているような未来が、いつの日が実現されることを望みます。そして私自身、日本のスポーツがそうした姿に近づけるよう、できることから手をつけ、力を注ぎたいと思っています。