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人生のターニングポイントになった話
あの日、
と言ってもごく普通のいつもと変わらない
大好きな先輩と飲みに行ってた日の事。
当時の私は、
普通に会社員として働き、
毎週バレーボールの練習を楽しみ
夏は海・キャンプ・ビーチバレー等
冬はスノーボード等
”普通に”、人生をそこそこ楽しんでいました。
今思っても、楽しかったと思います。
でも、重み、深みのない人生でした。
物事を深く考えなくても困らず、
生きていくのに充分な給料ももらえ、
彼女もいるし、友達もいるし、バレーボールの仲間もいる。
でも、
今思い返せば、それだけです。
いや、それだけで充分なのかもしれません。
しかし、そんな時でした。
当時、週2、週3で飲みに行ってた大好きな先輩と
いつもの居酒屋で飲んでいて、
先輩にとっても、多分、いつもの何気ない会話だったんです。
でも、
その時の私には
何故かわかりませんが、
先輩が語った、
【まー人生1回きりじゃけんなー】
という言葉が頭に残りました。
何でなのかは今でも説明できません…。
でも
その言葉に導かれるように、
一度っきりの人生を楽しもう・やりたい事をやろう
そう考えました。
その後すぐに仕事を辞めました。
今思えば、仕事の愚痴とかの話の流れだったのかもしれません。
なんせ当時、
朝の7時すぎに出勤して夜9時すぎに会社を出る、
そんな生活をしていました。
退職後、スノーボードにはまっていた私は、
”雪山に1シーズン籠って毎日滑りたい”
そう考えました。
そこで、スノーボード雑誌で住み込みのバイトを探し、
山形県で半年間過ごしました。
当時はほぼ毎日、
午前シフトの時は午後2時間ほど、
午後シフトの時は朝から昼まで滑る、
夜はアルバイトの寮で飲み会。
いわゆるリゾートバイトを満喫していました。
1シーズンが終わって、
次はやりたい仕事に就こう
そう考えました。
というのも、
卒業後に就職した会社、その後転職した会社、
最初はなんとなく、転職先も誘われてなんとなく
そんな感じで働きだした会社でしたので。
ずっとスポーツをやってきていたので
何かスポーツに関係した仕事に就きたいと考えました。
そこで出会ったのが、
スポーツクラブでの子供への体操・水泳の指導でした。
しかし、同時進行で、
バレーボールの恩師にすすめられた
JICAボランティアにも応募していました。
【海外でバレーボールを指導する、そんなのがお前には合ってるんじゃない??】
恩師もそこまで深く考えて言ってくれたのではなく、
なんとなく会話の中で言ったものかもしれません。
しかし、その言葉に魅了され、
結果、私は2006年~2008年までの2年間
ケニアでバレーボールを指導するという
日本人でもなかなかいない、
貴重な体験をさせていただきました。
そして、
その2年間が劇的に私を変えました。
日々なんとなく生きてきた私は、
JICAボランティア合格通知が来てからも、
それを誰にも言ってませんでした。
なぜなら、その時にはすでに、
スポーツクラブの指導が楽しくて充実した日々を過ごしていたのです。
こんなかわいい教え子達を置いて海外になんて行けないよな…
そんな気持ちになっていました。
しかし、行くか否かを決めなければならない日が近くなり、
上司に実は、とJICAボランティアの話を説明すると、
”行ってくれば?? 帰ってきて復帰すれば良いじゃん!!”
と言ってくれました。
結果、無事2年頑張り、帰国後すぐに復職しました。
このケニアでの2年間は
すごく人間として意義あるものでした。
環境問題・南北問題・貧富の差・ゴミ問題・アフリカの歴史・奴隷貿易の歴史・日本が海外で行っている様々なODA等・様々な年代の様々な職種の人達との会話・マイノリティの人達の苦悩・家族の大切さ、等
本当に私の人生を深く、良いものにしてくれました。
又、任地だけでなく、JICAボランティアの訓練所で出会った人達、
今まで自分の周りにはいなかった優秀な考え方の人達。
比較するのも失礼だと思うけど、
私なんて、小学校の時は
”大きくなったら歌手かプロ野球選手かプロレスラー”
…笑。 聞く人が聞いたら、”アホな子やなー…”でした。
一方で、訓練所で仲良かった子は、
”小学校に特別授業に来た青年海外協力隊の人のお話が忘れられず、いつか私も協力隊で海外の人の役に立ちたい、その夢が実現しました”
と言ってました。
そんな優秀な人が多かったので、
私も必死に勉強しました。
おかげで?なのか、運が良かったのか、
私はその後も
多くの素敵な人と出会え、今に至っています。
その後はミャンマーに2018年~2020年まで
再びJICAボランティアとして行く機会も頂け、
帰国後も様々な方に助けてもらっています。
様々な場面で様々な話、言葉があり覚えていますが、
今の私を築いたきっかけの言葉は、
この先輩の何気ない一言、絶対にこれです。
ミャンマー帰国後に
ご飯行こうと言ってはいますが、
新型コロナの流行で、まだ行けてません。
もちろん恩師のすすめがなければケニアにも行ってないですが、
そのきっかけは人生1回きり、
この言葉からです。
もうひとつ、
ケニア赴任時に後輩のボランティアからの一言、
これも今の私にすごく響いています。
それが
【ミツさんがどんだけ親と仲悪いとかでも、オレらはミツさんの両親に感謝するよ。だって、その両親がいなかったら、オレらはミツさんに会えてないんだから】
こんな素敵な事をいってくれる仲間がケニアにはいました。
当時、私は親とすごく仲悪く、疎遠でした。
しかし、現在、
それまでの親不孝を取り戻すというか、
正直に悪かったと思う事を謝り、普通に会話出来ています。
それは、この彼の一言が全てです。
母親は昨年亡くなってしまいましたが、
私が帰国するまで待っててくれて、
帰国後も少し一緒にいる時間も取れました。
母親が亡くなるまでにした親不孝は
とうてい親孝行を頑張ったと言っても追いついてはないかもしれませんが、
それでも、
あの言葉があって、行動出来たからこそ、
後悔はそんなにありません。
まだまだ心に残っている言葉はあります。
ケニアで柔道を指導していたJICAボランティアの先輩から
【どうか、これからの人生でこのケニアでの事を活かしていってください】
何気ない一言ですが、なぜかずっと心に残って、その後なにかある毎に、
”今の私はあの経験を活かせてるかな”
と考えます。
本当に私は多くの素敵な人に出会えて恵まれています。