『'80sリアルロボットプラスチックモデル回顧録』の感想と違和感 ─ブームとリアルと爆竹と─
いまガンプラが品薄でお店でも通販サイトでもなかなか買えないじゃないですか。高額転売されてたり。これってブームだと思うんですよね。
なぜガンプラがいまもなおブームなのかって、1980年代に起こったガンプラブームが定着したんだと思うんですよ。
その80年代の狂乱の数年間についての本が出たんですよ。
『'80sリアルロボットプラスチックモデル回顧録』(竹書房)
この本を読んだ感想があちこちに上がってきているので僕も書く。
本書は、模型文化ライターのあさのまさひこ氏と、アニメーション・特撮研究家の五十嵐浩司氏による共著。
当時のあさの氏はハイティーンのオタク少年で、メーカーの思惑を想像して語る、いわゆる「ギョーカイごっこ」が好きだったという。
そんなあさの氏の思い出話に、五十嵐氏が驚異的な記憶力でもってデータアンカーとなり語り合う対談形式だ。とんねるずみたいなツッコミとかのゆかいなエンタメ性があるので安心して読んでほしい。
「回顧録」というタイトル通り、あさの氏個人の記憶がベースにあり、その内容に対して違和感や異論が巻き起こることも狙いとしてあるそうなので、僕は違和感を軸に書いていく。これは僕の回顧録だ。
リアルロボットプラモデルのブームは1980年から1984年。僕が8歳から12歳のときのこと。そんなブーム渦中にいた僕が本書に抱いた違和感は大きく3つ。
ブームとは
「リアル」という合言葉
「ミリタリー的なリアル志向やディオラマを製作する文化は途絶えた」のか
●ブームとは
あさのまさひこの興味は「ギョーカイ視点」とプラモ作りの巧さに偏っているので、ブーム渦中のキッズに関してあまり触れられていないのだ。
当時のマニアがどう反応したかというのがあさのまさひこの回想の軸なんだけど、ブームというのはマニア以外の多くの人たちが踊ることで起きるもの。
それはどういう状態なのかっていうと、初めてプラモデルで遊ぶ人が一気に増えたということだ。駄菓子屋の前でパーツを手でちぎってプラモを作り、駄菓子屋で買った爆竹で吹き飛ばすような遊び方をする子供たちも夢中になって買っていたってことなんですよね。
上手に作りたいって子供ももちろんいたけど、巧いヘタ関係なく、とにかくロボットのプラモデルで遊ぶことそのものが流行していた。だからブームっていうんでしょ。
そしておもしろいのは、プラモデルを爆竹で爆発させる子供たちもまた「リアル」という合言葉で楽しんでいたという事実。
ここ。
ここが、のちの「リアル論争」のミッシングリンクだと思うんですよ。
●「リアル」という合言葉
あさのまさひこは本書の中でこのブームにおいて生まれた「ロボットプラモデルのリアル」という概念を以下のように定義している。
プラモを爆竹で爆発させる遊び方はこの定義に当てはまらない。にも関わらず、当時のキッズは公園の池に浮かべた1/144ズゴックを爆発させては「リアルだー」って興奮してたんだから、実はこの「リアル」には再定義が必要なのだ。
ブームの中で「リアル」という言葉は、特に区別されたりしないまま複数の意味で使われていたと思う。だからいままでずっと混乱しているのだ。
このころの「リアル」には4つくらいの意味が並行して折り重なっていたのではないか。
タミヤのミリタリーミニチュア的なリアル
『ゲッターロボ』『コンバトラーV』と逆だった『ガンダム』のリアル
怪獣映画や特撮のリアル
1年戦争のリアル
1. タミヤのミリタリーミニチュア的なリアル
プラモマニアのお兄さんたちがガンプラに持ち込んだ遊び方。塗装をした上にマーキングや汚しを入れて、なんならディオラマに仕立てて、まるで実物を縮小したように「リアル」に作ること。実機に近づけるとか本物みたいに見えるという意味の「リアル」がこれ。
2.『ゲッターロボ』『コンバトラーV』と逆だった『ガンダム』のリアル
『ゲッターロボ』や『コンバトラーV』などのガンダム以前のアニメロボットは、悪の組織が毎週違うメカを送り出してきて、それをすごい博士が1機だけ作った正義のロボットがやっつける構造で、正義のロボットも、悪のメカも、すべて世界で1機だけのものだった。
そんなロボットアニメの流れにガンダムが持ち込んだのが「量産型」というワードだった。
「量産型」の一言によって、ロボットは工業製品と見なすことができるようになった。これはつまり現用兵器と同じ「リアル」ってことだ。
「量産型」の一言で、たくさんの概念が芋づる式に想起させられた。
工場とメーカー各社の存在。
使用目的別のバリエーション群の存在。
エースパイロット専用機もあるだろうし、試作タイプやテストマシンなども必要だろう。
これは「リアル」って感じるよね。
ガンプラを好きな色に塗るだけで「ナントカ少尉専用ザク」が作れるし、ちょっとした改造で「水陸両用ガンダム:試作タイプ」と言い張れるのだ。ボクだけの「リアル」な兵器の縮尺模型を作る、という遊び方が生まれた。これ、超合金のオモチャじゃできなかったんですよ。子供じゃ合金を改造できないから。
1機だけ作られる特別なロボットを大量生産される兵器に変革した「量産型」のイメージの革命は後続のロボットアニメを完全に変えたのでガンダムはすげえってことになってんすけど、もちろんガンプラで遊んでたキッズにとっても興奮要素だったんすよ。
3. 怪獣映画や特撮のリアル
爆竹でガンプラを破壊する遊びのイメージソースはこれだと思うんですけど。
怪獣映画や特撮ヒーロー物ではミニチュアを爆発させたりしますわね。あれは模型を実物と思わせるための演出なので「リアルさ」がありますよね。
画面の中で起きてる「リアル」な演出効果を、ガンプラを使って自分の手で再現できる。爆竹キッズが「リアルだー!」って興奮するのも理解できるんじゃないでしょうか。
4.1年戦争のリアル
ガンダムは「1年戦争」という架空の歴史を舞台にしたアニメなんすよ。たとえば『グレンダイザー』は世界に1機だけのグレンダイザーに向かって敵の円盤獣が毎週攻めてくる狭い範囲の展開しかできないけど、舞台が「1年戦争」となるとテレビアニメ『機動戦士ガンダム』の中では描かれてない戦闘・場面がその世界のあちこちでも起きているはずというイメージを内包しているわけ。テレビ画面の外でも「1年戦争」は起きていると想像させることになったわけ。
キッズが自分で考えて改造した「ナントカ少尉専用ザク」や「水陸両用ガンダム:試作タイプ」を存在させられる隙間が、1年戦争のそこかしこに広大に広がっているわけさ。
「ボクの考えた、ジブラルタルの工場で秘密裏に試験中の飛行ユニット付きジムキャノン」とかって勝手に言うのが「リアル」だったわけよ。これは、ガンプラ以前のオモチャでは不可能だった、まったく新しい遊び方なんすよ。
こうなると模型作りがうまいとかヘタとか関係ないのね。この遊びの主目的はガンプラに想像のオリジナル設定をつけることだから。
「リアル」な量産型の兵器に、自分で考えた「リアル」な設定の改造をして、「リアル」な汚しとマーキングを入れたガンプラがおもしろいのは「リアル」だからだとしか結論付けられないでしょう。ブームの中心にいた小学生、中学生としては。
Missing Link:クラッシュモデルという麻薬の発見
そしてこの4つの「リアル」を結ぶポイントとして重要だと思うのが「クラッシュモデル」じゃないかなと思ってまして。
クラッシュモデルもまたプラモマニアのお兄さんたちがガンプラに持ち込んだ概念なんですけど。言うたら「戦闘で壊れた兵器の模型」ですよ。
ガンプラの腕や脚をノコギリで切ったり、胴体をライターであぶって溶かしたりして、その穴に銅線や電子部品を突っ込んで、そのガンプラを公園の砂場や家の裏の畑にポンと置いて写真を撮れば「リアル」な戦場写真のできあがりなんすよ。
当時、何体のグフが腕を切られ、何体のジムが胴体をえぐられたことか。もうガンプラ神社に供養塔を建てたいくらい胸が痛いですよ。
クラッシュモデル遊びって、模型作りの技術がホントに稚拙なキッズでも「リアル」を感じられる麻薬なんすよ。タミヤのミリタリーミニチュアで作られてるディオラマそっくりになるし、特撮行為だし、1年戦争を舞台にした量産型のモビルスーツでしか成り立たないしっていう、すべての「リアル」要素が詰まってるんですよ。
ロボットの超合金やソフビ人形ではできない「リアル」な遊び方が、このとき初めて生まれたんですよ。これはブームにもなるでしょうよ。
あさのまさひこが本書に書いている当時の「リアル」の定義は
なんだけど、これはブームの先頭ではあったけど中心だったかはわからんのです。
「リアル」という合言葉の意味が地方都市のキッズに伝播する過程でバラバラに変化したことは想像に難くないでしょ。
幸か不幸か「リアル」というワードは、エモいわりに定義がガバガバだったことで、それゆえに地方都市のキッズにも便利に使われ、それゆえに非マニア層のマジョリティにも広がり、それゆえにブームになったのではないかと考えるのです。
● 「ミリタリー的なリアル志向やディオラマを製作する文化は途絶えた」のか
あさのまさひこはガンプラの消費のされ方が模型からアクションフィギュアに変化したと感じているようなのだ。
さらには、ユーザーたちがガンプラを模型ではなくアクションフィギュアとして遊び続けることで、モビルスーツは乗り物じゃなくて「オレの分身」とする文化が主流になってきていると指摘する。
非常に納得できる指摘である。「俺がガンダムだ」ってやつですよ。
でもこの流れは『ガンダムW』から『ガンダムSEED』まであたりのことかと思うんですけど。『オルフェンズ』以降、破壊表現からのウェザリングって作業が見直された気配は感じてたんですけど。それにクレオスがガンダムリアルタッチマーカーみたいなウェザリング用の製品も出してるし、ガンプラ作りの世界一を決める大会「ガンプラビルダーズワールドカップ」では、気合の入ったディオラマも作り続けられているし。
まあ「リアル」を追求するスタイルが多数派かどうかで言えば少数派。もう絶滅危惧種というのはあさのまさひこの言う通りかも知れないけど、80年代に生まれて流行した「リアル化」の技術やノリは途絶えたわけではなく、ツールやマテリアルの進歩もあって、スケールモデルジャンルでの技術保存もあって、いつでもガンプラやリアルロボットプラモデルに「リアル」を転用できる環境は残っている。いや残っているどころか爆発的な流行寸前とも考えられる。入手の難しいガンプラを長時間楽しむためにはひとつのガンプラに手をかけるのが「コスパいい」からね。
初代ガンダムが特別な作品となり、いまだに巨大な産業であり続けてるのは、「ファンとメディアが勝手に考えた後付け設定を公式が取り入れる」という、現在のキャラクタービジネスでは考えられない特異点を持つのがガンダムだけだからってのはある。
キャラクタービジネスが確立された現代は、ガンダムに限らずあらゆるロボットアニメ作品でそういうことをされないように設定をガッチリ固めた隙のない状態で発表されるし、なんなら設定やデザインを勝手にいじると怒られる時代じゃないですか。
模型誌に改造したキットが載るときに「編集部独自の設定で公式設定とは関係ありません」という注意書きが添えられる状態では、かつてのようにファンの熱が高まることはないでしょ。「ブーム」の正体はファンの暴走なんだもの。
それにメーカーサイドも『ビルドファイターズ』などで方向性を示したように、ガンプラは組み立てオモチャとして消費してほしいのかもしれないし。「オリジナルの改造」というのは「もし実物のモビルスーツがあったらこうなるはず」というSFマインドではなく、既存パーツの組み換えのことですよーっていう。
つまり 「ミリタリー的なリアル志向やディオラマを製作する文化は途絶え」てはいないが絶滅危惧種ではあり、わりとそのときに流行ったアニメ作品に影響を受けながら、細くおとなしく続いていくだろうという、そういう感じ?
●最後に
異論も違和感もある本書だが、まとめ部分にあるあさのまさひこの指摘は感動的であり、これまでユーザーが意識できてなかった大事なことを教えてくれている。
いまのバンダイはガンプラ好きがガンプラを企画設計しているけど、当時のガンプラ開発スタッフはキッズのお父さん世代より上(団塊の世代とかですよ)。アニメのガンダムも知らないであろう当時の大人が、キッズが喜びそうなことだからと一生懸命考えてくれて、それでたった5年の間にガンプラがどんどんカッコよく&作りやすくなっていった事実に対する感謝とリスペクトが記されている。
ユーザーとメーカーの、プラモを通した無言の会話がすごい速度で繰り返されて、文化の上昇スパイラルが起きたことのありがたさを指摘してくれている。そう。起こそうとしてもなかなか起きない、これは奇跡なのであります。
そんな本なので、みんなも読むといいよ。ブームのあまりにも急な終わり方に関する考察も見事だよ。
追伸
あと「クラッシュモデル『こりゃひどい』」について詳細をご存じの方いますでしょうか。当時の雑誌に載ってたはずなんですけど、検索しても出てこないんです。ここへのコメントではなく後世のためにブログとかにまとめてくださると幸いです。たぶんこの作例がポイント・オブ・ノーリターンだったと思うんだわ。