きしょうてんけつ~私が抱く理念と、お仕事のご依頼について~
「丸くとも 一角あれや 人心
あまりに丸きは 転びやすきに」
あなたは、この和歌をご存じでしょうか。
この和歌は、
といった意味のものです。
坂本龍馬の和歌と
言われているのですが、
実はこの句、
一休和尚が詠んだものらしいです。
江戸時代のことわざとしても知られ、
龍馬が生まれてくる前から
文献には存在していたようです。
司馬遼太郎先生のご著書
『竜馬がゆく』で、
龍馬の言葉として登場することから、
いつしか
「坂本龍馬が詠んだ句」
として
認識されるようになったのかもしれません。
この和歌の作者が
一休和尚にしても龍馬にしても、
両者の生きざま
――息苦しい社会に
一点の風穴を開けた人生――
を抽象するかのような
しなやかでも
ぴりりと風刺の利いた作品であり、
座右の銘として
この和歌を掲げる方がいることも納得です。
ところで、
傍から見れば柔和で
周囲と円満な関係を
築いているように見える人も、
心のなかを覗いてみると
決して穏やかではなく、
むしろ寂寥が吹きすさんでいることも
得てしてあるのではないでしょうか。
私もその一人でした。
今日は、そんな私が
常にどこかで感じる
「不安感・不足感」
を乗り越え、
webライターとして
活動することになった物語を、
自己紹介の代わりに
記事にしたいと思います。
なお、この記事の後半は
お仕事のご依頼について
記載しております。
もしも
「まずはコンタクト方法などが知りたい」
という方は、
こちら↓以下の目次から
該当する項目へ移動してください。
【起】傍から見れば「順調な人生」、でも…
改めましてこんにちは。
「祈承天結(きしょうてんけつ)」
を理念として
ライター活動をしている、
ペンネーム「にう」こと、
なかがわと申します。
わたしは、子ども時代からつい最近まで、
いわゆる
「親の呪縛」
から抜け出せない人間でした。
結婚して子どもが生まれたことで
以前よりは和らいだものの、
それでもなお、
「親や世間の期待どおりに生きなきゃ」
と肩をいからせている状態でした。
社会的な地位のある父母のもとで
「優秀なのが当たり前」
「大人の期待に答えなければならない」
という価値観の元で育ち、
良い子を演じ、
人の顔色をうかがい、
親の機嫌や動向に怯えたまま成長し
大人になってしまったのです。
様々なことに挑戦しました。
ピアノ、フルート、茶道、お琴、占い、
カウンセリング、コーチング、自己啓発、
プログラミング、写真、イラスト…
「自分以外の、優秀なナニモノか」に
ならなければいけなかったからです。
特殊なスキルを持ってさえいれば、
私はここに存在することができるから。
なかには
親に強制的にやらされたこともあります。
ですが、
ある程度は小器用にこなせるものの、
どれ一つとして
実になるものはありませんでした。
また、
仕事は大学院の選考に落ちたので、
とあるメーカーのOLになりました。
就職氷河期の真っ只中にも関わらず、
就活を一切しない状態で
運よく新卒採用。
「女なのに浪人なんて世間体が悪い」
という
親のメンツを守ることができました。
その後、OLから公務員試験を経て
国家公務員へと転職。
いくつかの官公庁から
内々定の打診をいただいたものの、
最終的には
親の意向に沿った省庁へ就職しました。
省庁編成を経て
公法人の職員となったその後も、
東日本大震災による緊急事案の
プロジェクトリーダーに抜擢されたり、
500人規模の新規イベントの
立ち上げを行ったりしたことで、
本部勤務ののちに
当時の最短・最年少で
幹部職員へと昇格しました。
企画職をメインに、
広報や分析、
退職間際には
兆単位のお金に
関わらせていただくことができました。
「順調な人生じゃないの」
「贅沢言ってんじゃないわよ」
私の経歴を文字にすると、
こう思われる方もいるかもしれません。
ですが私の心の中は
いつも不安色に染まっていて、
常に
「このままの自分では駄目だ」
と急き立てられていたのです。
(いまの仕事は皆に貢献できて、
やりがいもある。
でも、いつになったら
私は心から安心できるのだろう…?)
職場の急激な成長に応え切れずに
休職者が続くなかで、
部下数人分の仕事を抱え、
毎日が分刻みのスケジュール。
「疲れた」と言っても
どうせ理解されないだろうからと、
親や家族には
相談することができませんでした。
ぷつりと千切れそうな心の糸を
ガムテープや
そこらじゅうにある粘着物で
固め、麻痺させて。
すっかりと鈍くなった感覚を
胡麻化すかのように、
カードの限度額いっぱいまで
海外ブランドのワンピースを買うなど、
より刺激の強い娯楽を求めて…
傍から見れば「順調な人生」。
ですが、
いくら頑張っても
自分にOKを出すことが出来ず、
自分は特別なんだと言えるよう
闇雲に何かに挑戦しては挫折し、
現実逃避のために
その場しのぎの娯楽に手を染め、
そのうち
私の心のなかは
すっかりと行き詰まってしまいました。
ですがその後、転機があったのです。
【承】亡きおばあちゃんとの記憶
それはある一冊の本でした。
出会いは些細なことでした。
「もっと効率よく
仕事をしなければならない。
そのために
ノートの取り方を工夫しなければ」
その時の私は
ビジネス書を1日1冊は読んでいました。
長距離通勤をしていたので、
その間に
本を読む余裕があったのです。
メモやノートの取り方を
学べる本はないかな?と
Amazonで本を検索していたところ、
たまたまヒットした一冊の本。
それはノートの取り方の本では
なかったのですが
何故か気になり、
手に取って読んでみました。
その本をきっかけにして
あるオンラインコミュニティと
出会うことになったのです。
そのコミュニティでは
日本の昔ながらの行事や
食べ物の大切さを伝えていました。
米、水、塩の重要性や、
お正月など節目での神社参拝、
部屋や自分の身体を
浄化し整えること、…
それらは、
家にほとんど居なかった父母に代わって
私を育ててくれた、
亡きおばあちゃんとの
懐かしい思い出が
浮かび上がってくるものでした。
庭の梅で作った、
口がすぼまるほどすっぱい梅干し。一緒に手を合わせた神棚と仏壇。
漂うお線香の香り。早朝にハタキとほうきで
家中を掃き清める丸い背中。…
私の幼少期は
たしかに「親の呪縛」が強くて
心がゆがんで育ってしまったけれど、
それと同時に、
おばあちゃんがいてくれたから
私は道を踏み外すことが
なかったのだと気が付きました。
父母のストレス発散や過干渉から
私を守ってくれたおばあちゃん。
血のつながりはなかったものの、
それ以上に
強い絆で結ばれていたのだと
振り返ることができました。
また、
そのコミュニティで行われている
日本の歴史や
神社仏閣に関する講座(勉強会)に
参加するなかで、
他の参加者の方々から
影響を受けるようになっていきました。
どなたも優しくて率直で、
自分らしくいることに対して
全然無理をしていない。
海外ブランドで武装したり、
経歴をひけらかすこともない。
言いにくいことも
ユーモアに包んで伝えてくれる。
「嫌われたらそこで終わり。
期待を裏切ったら終わり」
という名の
「忖度」
と共に生きてきた私にとってみれば、
その方たちが
異世界の住人のように思えました。
【転】人生を変えた大型台風
そして、ある大型台風をきっかけに、
私の人生は大きく変わっていくのです。
それは、
講座に参加している皆さんで、
ある神社に
伺うことになったときの出来事です。
季節は、秋。
神社に伺うタイミングで、
ちょうど、超大型台風が
日本に近づいていたんです。
私は
「台風の季節だから、
万が一台風が上陸しても
大丈夫なように対策しておこう」と、
神社に伺う数か月前から
フレキシブルな予定を組んでおきました。
一方で、ガチな参加者さんは、
「台風がそれますように!」と、
前日入りで
神社の近くまで行っていました。
結局、その超大型台風は上陸をし、
日本列島に
大きな爪痕を残すこととなります。
神社への参拝も
中止となってしまいました。
表面的な結果からすると、
私の判断のほうが「正しい」。
でも、私の心のなかは
台風が過ぎ去った後も
スッキリとは晴れませんでした。
私がなぜ、
万が一の台風にも対応できるよう
予定を組んでいたのか。
それは、
「翌日に仕事があったから」。
前もって神社参拝の日にちは
決まっていたので、
予め有給休暇を取っておけば、
最悪の場合でも
対応することができたはずです。
それができませんでした。
「でもそれって、
大事な予定があったからでしょう?」
いいえ、違います。
翌日の仕事に控えていたのは、
私がいてもいなくてもいい会議。
それを「欠席する」と
伝えることができなかったんです、
周囲の期待を裏切ると
思っていたから。
前日入りで
神社の近くまで行っていた皆さんは、
「この神社への参拝が最優先」だと思って、
祈るような気持ちで
台風がそれるのを待っていたことでしょう。
また、私と同じように
フレキシブルな予定を組んでいた皆さんは、
「神社の参拝も大事だけど、
翌日に大切な予定がある」という理由で
そうされたのだと思います。
それに対して私は、
職場の期待を裏切るのが…
いえ、
自分が傷つくのが怖いから、
中途半端でどっちつかずな予定を
組んでいたのです。
(このままでいいのだろうか?
このまま、
『誰か』の顔色を窺い続けて、
『自分』から逃げ続けて、
それでいいのだろうか?)
【私はいったい
誰の人生を歩んでいるのだろうか?】
その頃の私は単身赴任をしていて、
家族と離れたところで
仕事をしていました。
そして台風の出来事と前後して、
子どもが骨折したり、
父が倒れて入院したりするなど、
大切なときに
自宅にいられない状況が続きました。
極めつきは、
台風の出来事の後に退院した父が、
介護が必要な状態になったこと。
母はまだ健在であるものの、
どんどん年を取っていきます。
今後、介護の状況が良くなるとは
とても思えません。
(もう、この職場で働き続けることは
難しいかもしれない…)
やりがいもあり環境も整っていて、
大きな仕事も任せてくれる。
全国転勤ではあるものの
自宅近くの職場への異動も
考慮してくれる、
大変ありがたい職場です。
ですが、
自宅近くの職場と言っても
通勤に1時間以上かかり、
利用する電車も
地方都市のため30分に1本。
万が一のときに、
すぐに駆けつけることはできません。
いつ呼び出されるだろうかと
考えながら仕事をすることは、
体力的にも精神的にも辛いことだと
容易に想像がつきます。
そして何より、
台風の出来事によって生じた
「このままの人生でいいの?」
という疑問が
私の体内にじわじわと
染みこみ広がっていたのでした。
幼少期の私にとってみれば
毒親に近い両親ですが、
オンラインコミュニティで学ぶうちに
100%とは言えないものの
「両親にも事情があったのだ」
と俯瞰することが
できるようになっており、
何よりも、
困っている状況で
放置するわけにはいきません。
でも一方で、
「仕事を辞める」
と言ったときに
親が呆れて落胆する顔
――期待を裏切られた――
を想像すると、
それは恐怖でしかありませんでした。
【結】親の呪縛からの解放
何日も考え、悩み抜いて、
結局、
私は両親に伝えることにしました。
「仕事を辞めようと思っている」
週末に単身赴任先から帰宅し、
夫と子どもの1週間分の食事を作り
家事を終えたあと、
私は実家へと向かい、
こう告げたのです。
心臓が早鐘のように鳴り、
唇が震えました。
幼少期であれば、
「なんで、」
「どうして、」
と否定色が混じった声で
返事があれば良いほう。
基本的に、
子どもの声は無視する両親でした。
あの時のように
無視されるんじゃないか、…
恐怖のあまり逃げ出したくなりました。
両親から返ってきた答えは、
意外なものでした。
「お前の人生なんだから、
好きなようにしなさい」
その瞬間、
長年その姿に怯え、隠れ、逃げていたものは、
私の恐怖が創った
幻影であったことに気が付きました。
親の期待に応えなくてもいいんだ。
自分の意見を言ってもいいんだ。
「私」の人生を歩んで、いいんだ。
そもそも
「親の期待」と思っていたものは、
私の幼少期の記憶が生みだした
思い込みだったのかもしれない。
ここに至るまで、
何十年という月日がかかりました。
ですが、
この間の経験や学びは、
私にとって
必要不可欠なものだったと思います。
ちなみに私のペンネーム「にう」は、
この大型台風により
伺うことの出来なかった
和歌山県の神社の名称からつけています。
(後日、無事に参拝できました)
そしてパンドラの匣に残ったもの
大変ありがたいことに
多数の方にお引止めいただきつつも、
職場を離れることにしました。
20年ものあいだ、
苦楽を共にしてきた職場でした。
(これで良かったんだ)
安堵が混じりながらも
寂しさは拭いきれません。
そして、
今まで就いていた仕事は
企画職とはいえ
専門性が高いものではありません。
「これからどうしたものか」と
自分の身の振り方を案じました。
台風の出来事がきっかけとなり、
まるで私のなかにあった
パンドラの匣が開いてしまったかのように
親との関係性、
幼少期の記憶、
報われない思い
などといったものが
這い出したとともに、
安定した仕事や
社会的地位なども
飛び出してどこかへ行ってしまいました。
夫や子どもはいるものの、
私個人としては
技術も資格も何にもない状態に
なってしまったのです。
ですが、
空っぽになってしまったと思われた
「パンドラの匣」の片隅に、
ひとつだけ残っているものがありました。
それは、「文章」です。
幼い頃から、
物語を創ることが好きでした。
両親から愛されていないと(思い込んで)
過ごした幼少期から、
枕元にノートとえんぴつを置き、
毎晩、物語を想像しては
ノートに書いていました。
どんなに悲しいことがあっても、
物語のなかの自分は風のように自由で、
背筋がしゃんとしていました。
ままならない現実から
逃れるための手段ではあったものの、
小学校1年生の頃に
「あげはちょうにのって」という創作文で
市のコンテストに選出されたことがあったり、
高校では文芸部の副部長として
文集の作成を毎月行ったり、
また、
二次創作という形ではありますが
500ページ以上の文庫本を
自費出版したことがあります。
二次創作の活動を行っていた頃は、
2年弱で30万字ほど書いていました。
在職中は広報も担当し、
当時聞きかじった
SEO対策を試して、
職場のWEBページのアクセス数を
20倍にしたこともありました。
「文章なら、
誰かのお役に立てるかもしれない」
幼い頃から慣れ親しんできた「起承転結」。
ずっと、文章を書いてきました、
自分の心を守るために。
でも、これからは誰かのために
「起承転結」を綴れないだろうか。
拙い文章ではあるけれども、
それを必要としてくれる方が
いるのではないか。
そう思いライター活動を始めたところ、
ありがたいご縁をいただき、
活動を開始して2ヶ月目に、
文字単価換算8円の案件に携わるという
幸運に恵まれることとなりました。
ライター活動と理念
現在は、
旅行エッセイのカメライター
(取材+写真撮影+ライティング)SEOライティング
(ハウツーもの)セールスライティング
(セレクトショップのメルマガ代行)
のほか、
職業訓練(webデザイン)の学びを活かして、
デザイン案件(DTP、Web両方)も
いくつかお預かりしております。
カメライターとしては
クライエントさまとのご縁をいただいて7ヶ月で
国内6箇所、
海外1箇所の
取材旅行をさせていただきました。
そのほか、
取材なしのエッセイ記事も
数件ご提供しています。
(ちなみに、この記事の写真は
すべて私が撮影したものです)
SEOライティングの実績の一例としては、
検索順位2位/検索ボリューム1,200件
検索順位1位/検索ボリューム390件などがあります。
また、以前には
カウンセリングやコーチングの経験を活かし、
メールカウンセリングのライティング案件にも
40名分ほど携わっていました。
無記名のライティングであるにも関わらず、
大変ありがたいことに
お客様からご指名で
リピートいただいたこともあります。
携わってきた件数は
決して多くはありません。
なぜなら、
闇雲に案件を詰め込んで
お金や実績を稼ぐのではなく、
家庭菜園をしたり
土鍋でご飯を炊いたり
掃除をしたりなど
心身、環境ともに整えた状態で、
ご縁のあったクライエントさま
お一人おひとりと
深く関わらせていただきたいと
願っているからです。
なお、上記の実績として書かせていただいた
クライエントさまたちとは、
私がライティング活動を始めたての頃からの
お付き合いです。
今後も
「クライエントとライター」
という関係性ではなく、
人と人として
関わらせていただければと考えています。
私がクライエントさまの
案件をお預かりするうえで
大切にしていることは、
私の理念でもある
「祈承天結(きしょうてんけつ)」
です。
漢字の読み方のとおり、
「起承転結」
――分かりやすい文章を
心がけるのはもちろんのこと、
ご依頼いただいたクライエントさまの
志、祈り、理念などといった
「言葉にできない、でも、
魂から発せられる大切な思い」
を承り、
それを表現(文章やデザイン)という形で
クライエントさまや、
その先にいるお客様へとお届けしたい。
ゆくゆくは、
私が幼少期に身近にあった
日本に昔からいる神さま的な存在や、
今は亡きおばあちゃんのような
見えないけれど
私たちを護ってくれる存在へも
お取次ぎできるような表現を目指したい。
私の人生を変えるきっかけとなった
オンラインコミュニティのような、
読んだ方に
温かみを届けられる文章を「描き」たい。
この考え方に至ったきっかけは、
私が現在所属している
ライティングの勉強会に
参加するようになったことです。
クライアント数70社以上の
Webマーケティング会社を経営している
とよぴー社長と、
セールスライティングで億を稼いだ
セールスライターの大ちゃん先生。
こんなお二人が主宰する勉強会は、
さぞかし
テクニックやノウハウを駆使する
「実績重視」
「メリデメ重視」
の、
参加者同士でしのぎを削っていくような
勉強会に思えるでしょう。
ですが、違うんです。
「テクニックや型よりも、
大事なのはどれだけ魂を込められるか」
「ライティングは、
ライティングする時間以外の
23時間の生きざまで決まる」
こういった価値観や、
なによりも、
言葉の熱量の熱さに共感して
勉強会に参加しました。
受講生の皆さんも
同じ思いで参加されているため、
性格も環境も背景もバラバラながらも、
お互い他の受講生さんに
貢献・応援・協力し合い、
影響を与え合いながら、
それぞれの北極星(目標)に向け
日々研鑽を積んでいます。
勉強会を主宰するお二人や
他の受講生の皆さんの
目の輝きに触れ、
私も、
五方良しの表現…
・クライエントさま、
・クライエントさまにとってのお客様、
・地域や社会、
・神さま的な存在、
・そして私
すべてが明るく軽くなるような表現を
目標にし、
例え一滴だとしても
日本や世界が綺麗になるための
一助となればいいなと、
ちょっと壮大ではありますが
そんなことを願っています。
この記事をご覧のとおり、
決して文章がうまいわけではありません。
デザインセンスがあるわけでもありません。
ですが、
ChatGPTには出来ない、
人のぬくもりや
行間にいつくしみを込めた文章を
書くことができます。
これは、
文章創作が人生の隣に
常にあったからこそ
できるものだと考えています。
もしくは、
美しい日本語を手段として
日本を綺麗にしたいと夢見ているからこそ
できるのかもしれません。
また、この記事のように
つらつらと書き進めることもできますが、
国家公務員の経験や
学会発表(疫学統計)の経験を活かして
公文書風・論文風に
文章を書くこともできますし、
法律や文献を辿ることも苦ではありません。
セールスライティングのように
いわゆる「型」がある文章については、
自然な表現になるように心がけています。
なお、知識や経験が必要なライティングでしたら、
・社会保障制度(健康保険証の知識など)
・カウンセリングやコーチング
・日本の歴史、神社仏閣
・婚活経験(出会って半年で結婚)
・不妊治療経験
・ミニマリスト経験
・女性の単身赴任経験
などがお役に立てると思います。
気になるテーマなどがありましたら
お申しつけください。
よくあるご質問
Q 得意なライティング分野は何ですか?
A SEOを意識したエッセイ記事のほか、デザインを併せたLP製作もしています。
物語の創作を行っていた経験から、エッセイ記事を書くことが得意です。
SEOを意識しつつ、より自然な表現を心がけています。
また、WEBデザインの経験より、デザインとセールスライティングを併せたLP製作のご提案が可能です。
Q ポートフォリオ(作例集)はありますか?
A デザインのポートフォリオのみ作成しております。
ライティングに関するポートフォリオは現時点では作成しておりません。
このnoteを作例としてご参照いただきますと共に、ライター活動を始めた頃の活動報告を記事にしておりますので併せてご参照ください。
また、デザインのポートフォリオは以下のURLをご参照ください。webデザイン・コーディングなど、すべて私が行っています。
Q 稼働時間はどれくらいですか?
A 1日平均5時間程度です。
リサーチ時間を除く単純計算ですと、1日あたり5,000~10,000字の執筆が可能です。
実際は丁寧なリサーチを心がけているため、1日あたり4,000~5,000字程度を目安としてお考えください。
Q どこに連絡すればよいですか?
A X(旧twitter)のDMへご連絡願います。
私が主に使用しているメール(Gmail)のセキュリティの関係からメールが届かない事象が時折発生しているため、まずはX(旧twitter)のDMへご連絡いただけますと幸いです。
Q 返信はどれくらいでもらえますか?
A 可能な限り12時間以内で返信しております。
ただし、親の介護の都合上、返信が遅くなる場合もありますことご容赦ください。
また、朝型生活のため、20時~翌朝5時の間はご返信いたしかねますのでご了承願います。
夜間は通知をオフにしておりますので、お問い合わせは何時でも歓迎いたします。
Q ライター契約に指定はありますか?
A まずはシュフティ、ランサーズをお願いしております。
最初はシュフティやランサーズなどの仲介サイトを通じてのやり取りをお願いいたします。
お互いにご縁を深めていきたいと判断した段階で、直接契約とさせていただけますと幸いです。
なお、当方はインボイス制度の対応準備中(2024年2月現在)ですので、その点をご承知おき願います。
Q 文字単価は何円で契約できますか?
A 7円以上でお願いいたします。
恐れ入りますがクライエントさまお一人おひとりに寄り添った対応をさせていただきたく、
特段の事情をのぞき文字単価7円以上でご依頼を申し受けておりますのでご了承願います。
Q 入稿方法はどれが可能ですか?
A 柔軟に対応しております。
Googleドキュメント、Word、Excel、Wordpressなどに対応できます。
HTMLとCSSの基礎ができますので、HTML形式およびCSS形式での入稿も可能です。
【祈承天結】を目指して
この記事の冒頭にお伝えした
和歌を覚えていますでしょうか。
「丸くとも 一角あれや 人心
あまりに丸きは 転びやすきに」
人はただ柔和なだけではなく
自分の意地を通すところが欲しい、
そのような意味の和歌だとお伝えしました。
私はご縁があってこの和歌を拝見した際、
「一角」とは志や理念のことだ、
そう感じました。
和歌の作者と言われる
一休和尚や坂本龍馬が生きた時代は、
私たちが生きる現代とは
比べ物にならないくらい、
「死」というものが
身近だったことでしょう。
自分の選択ひとつが、
大袈裟ではなく生死に関わってくる。
ぼんやりと生きていたら
死んでしまう。
その分だけ、
人々の祈りや願いも
命がけだったのではないでしょうか。
神社やお寺での祈願も、
己の志や理念などといった
確固たる信念に基づくものであったと
想像できます。
それに対して、
私たちが生きる今の時代は、
よほどのことが無い限り、
選択が誤ったからといって
死ぬことはありません。
(不幸な事故や事件については
ここでは除かせていただきます)
一方で、
便利すぎる社会からは
生きる目的が得られにくく、
転がる丸石のように
「ただ、なんとなく」
生きていくことができてしまいます。
むしろ、
「一角」――志や理念があるほうが
生きづらい社会と
言えるのではないでしょうか。
私も、気持ちが沈んだときなどには
「もしかしたらあの台風のとき、
疑問に蓋をしたまま
仕事を続けていたほうが
ラクだったのではないか」
こう思ってしまうことがあります。
ですが、
「この間の記事、好評でしたよ」
とクライエントさまに
お声がけいただくなど、
微力ながらも
愛してやまない「文章」を通じて
誰かのお役に立てることは
私の心が歓び沸き立つものであり、
また、理念に掲げたように
いつかクライエントさまの
祈りや志といったものを
表現を通して
天(神さま的な存在)へと
ご縁結びすることができたのなら、
これほど嬉しいものはありません。
そして、例え落ち込むことがあっても、
私が参加している
ライティングの勉強会でのご縁のように、
「一角」を持つ仲間同士で
互いに磨き合うことで、
文章により深い輝きが得られるものと
信じています。
ご縁のあったクライエントさまとは
メリットデメリットを超えて
長いお付き合いをしていきたいと
考えております。
ですので、
ときには失敗したり後戻りしながらも、
日々、「一角」をもって、
自らの表現力・人間力を高め、深めるために
日々研鑽を積んでいくとともに、
クライエントさまと一緒に
成長していけたらいいなというのが
私の願いです。
それでは長い文章でしたが、
最後までお付き合いくださり
ありがとうございました。
そして、いつの日か
直接お話しする機会がありましたら、
あなたの願いや祈り、理念などについても
ぜひ教えていただければと思っております。
あなたとのご縁を楽しみにしております。
プレゼント企画
最後まで読んでくださったあなたへ、
時間とお気持ちを傾けてくださった御礼として、
プレゼント企画を行います。
あなたのWEBメディア1件について、
忖度なしの感想レポート(1,000字程度)を書かせていただきます。
TOPページ
任意のWEBページ1~3点ほど
を拝見し、お客様目線での感想を書かせていただきます。
WEBマーケティングの専門知識はないので
基本的にはお客様目線となりますが、
WEBデザインの観点で気になることがあれば
お伝えすることが出来るかと思います。
良かったらX(twitter)のDMに以下の項目をご連絡ください。
【お名前】
【年代】
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【レポートが欲しいWEBメディアのジャンル】
あなたからのご連絡をお待ちしております。