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息遣いを感じる街②(DAY392)

昨日の記事の続きです。

知覧には特攻平和会館があります。

かつて、知覧には
大日本帝国陸軍の飛行場である
知覧特攻基地がありました。

そこからの流れで、施設ができたようです・・・

詳しくはWikipediaさんへ。



伺ってびっくりしたのが、

10月なのに、桜が咲いていること!



春のようにびっしり咲いているわけではないのですが、

葉桜がちらほら。

九州地方はこんなふうに
桜も返り咲きするのでしょうか????

初めて見て。。。

胸がいっぱいになってしまいました。



桜を植えようと思う気持ち、

それに応える桜、


数十年後にこうやって辿る私たち。


かつての時代を生きた方々は、

後世はこんな世の中になって、

私たちのような人間が
その土地を訪れるなんてことを

想っていたのでしょうか。。。



「どちらから来られたんですか」。

噴水の写真を撮っていたら、

見知らぬおねいさんから声を掛けられました。


福島県から、と答えると、大層驚いていました。


そのおねいさんは広島県から来られたそうで、

原爆の語り部さんのアテンドをされているのだとか。

「一度、見ておかなきゃと思って」、

福島の状況を心配いただきながら、

ご自身の活動の糧にするべく、
建物の中に入られていきました。


きっと、知覧で得られた感性が、

のちの広島での活動に
息づいていくんだろうなと。

そうやって土地の想いが
じわ、じわと拡がっていくんだなあ。。。


海底から引き揚げられた零式艦上戦闘機(五二型)の半分。

乗っていた方は・・・と思うと、

操縦席の小さな椅子が切ない。




館内は撮影禁止のため、

どうしてもこれだけはメモしたい!
と思った遺書の一節だけ。


”あんまり緑が美しい

今日これから死ににいくことすら

忘れてしまいそうだ”


どの遺書も、字がうまい・下手ではなく、

「美しい」字でした。

一文字、ひと文字に命が宿っているかのような。。。


対して、私は果たして、

文字に命を込められているのだろうか?

と、いい加減に文字と向き合ってきたことを

恥ずかしく思えました。



文字は、命を分け与えたもの。


そう考えると、

おいそれと心にもないことを綴ったり、

上辺だけの「ウケる」言葉をつなげて文章を作ったり、


そういうことが
小さい出来事のように思えてしまいました。


祈るように書く、ということ。


特攻が素晴らしいものだとは言えませんが、

それでも、

10代後半~20代の方が書いたものとは思えないくらい
命が込められた手紙の数々を拝観し、

まだまだ恥ずかしいなと

襟を正すような気持ちになりました。


文章と、改めて向き合いたいと思います。





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