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【短編小説】フォーマルハウトの消えた空〈後編〉

 前編あらすじ

 生物兵器に汚染され、数百年以上経過した地球。
 外界と隔離された装甲外殻都市内で生きる人類。
 その一つ外部からの情報を遮断した都市ハルで情報統制の犠牲となった両親の研究とはなんだったのか探るサッシャとブレーズ姉弟。
 ある日、サッシャは一人の貿易商から両親の研究の核心に迫る外界の情報を入手する。
 それは外界の星空が地球から見える星空ではないという両親の研究結果を示唆するものだった。
 本当に現在地は地球ではない別の惑星なのか。
 観測しようと意気込むブレーズ。
 病弱な弟にこれ以上の危険は避けて欲しいと願うサッシャ。
 そんな二人の元に思想矯正学士の影が忍び寄る。


フォーマルハウトの消えた空〈後編〉


「昨日のアレ。もう解析は済んでいるのだろう?」
「なんの事でしょう?」
 ブレーズはふらつく体をリビングのイスで支えた。
「ここでしらばくれても無駄だよ。君達姉弟・・はエリアH送致決定なんだから」
「姉は関係ない!僕の頼みで何も知らずに動いてただけだ!」
「認めるのだな。君の外界情報流布扇動未遂罪は確定だ」
 思想矯正学士は二人。
 一人はキッチンのカウンターに寄りかかりブレーズを尋問し、もう一人は玄関に立って逃げ道を塞いでいる。
「認める。だから連行するのは僕だけにしてくれ」
 このタイミングで姉が帰ってこない事をブレーズは願った。
 姉ならすぐこの状況を察知できるはずだ。
 しばらくどこかへ身を隠していてもらいたかった。少なくとも自分の証言が認められるまでの期間。
 その時、玄関の外で何かが割れる音がした。
「見てくる」
 玄関側の男が扉を開け、外へ身を乗り出す。
「動くなよ」
 ブレーズを監視していた男が近寄って来る。
「逃げるとでも?もう熱のせいで立っているのもやっとなのに」
 ブレーズはその場にへたり込むフリをして身を屈めた。
 その瞬間、裏口から冷気が床を滑って来るのがわかった。
 ついで男もそのひんやりした空気の流れに気づいたようだった。
「なんだ?」
「もう遅いよ」
 ブレーズの言葉に訝し気な視線を投げた男の顔が次の瞬間強烈な蹴りを受けて床へと沈んでいた。
「姉さん」
 後ろで一本に縛られた髪が激しく躍動している。にもかかわらず物音一つたてることのない体術。
「鉢が割られてた!罠だ…!?」
 外の様子を確認して戻ってきた男が玄関に入った瞬間に見たのはその揺れる栗色の髪だったはずだ。
 可動域の広いサッシャの蹴りは美しい弧を描いて再び男の脳を揺さぶった。
「無事?」
 眉一つ動かさず2人の男をなぎ倒した姉は血相を変えて弟を心配していた。
「大丈夫。何もされてない…バレたみたいだね」
「熱があるわ。薬を…」
 立とうとした姉の服を、ブレーズはつかんで引き留めた。
「姉さん。逃げなきゃ」
 たかだか直径40㎞の装甲外殻都市ドームを逃げ切れるものではない。弟の言いたい事はわかっていた。
「防護服を着て出られるルートを探しましょう」
「時間がかかりすぎるよ」
「外が汚染されていないというデータはないわ」
「星図見ただろ。ここはもう地球じゃないんだ」
「データが少なすぎる。それによく知りもしない貿易商の情報なんて信じられる?」
「でも父さんと母さんの遺したものは信じられる」
「そこを動くな!!」
 玄関に男二人が立っていた。
 マテューと思想矯正学士。
 サッシャはブレーズの手を引いて駆け出した。
 裏口のドアは開いたまま。回り込んでいる人影はない。
 その時ブレーズと繋いでいた手が振りほどかれた。
 ブレーズが、持っていた袋をサッシャに向かって投げ、そして扉を閉める。
「ブレーズ!!何やってんの?」
 ドアには鍵がかかっていた。
「姉さん逃げて。僕がいたら逃げきれないだろ。それにこの体は追手より先に死につかまる」
「ブレーズ!やれるわ!今までだって二人で…」
「ドアから離れて」
 ブレーズの叫び声が上がった。
 男達の怒鳴り声。
 サッシャがドアを蹴破るべく構えた―その瞬間。
「ありがとう」ブレーズは確かにそう言った。
 ドアが急激に膨張した。
 ついで爆音。
 気づくとサッシャは敷地の外まで吹き飛ばされていた。
「うそ…」
 家は爆炎に包まれていた。
 体にのしかかったドアを払いのけ、立ち上がろうとついた手に何かが触れた。
 ブレーズが最後に投げてよこした袋だった。
「ブレーズ!」
 弟が家に仕掛けたプラスティック爆弾を起爆した事は明らかだった。
 その明白すぎる事実がまるで受け入れられない。
 奇跡的に生き残っていた非常用消火装置が起ち上がって放水を始めた。同時にけたたましい警告音声が鳴り響く。
『大気汚染進行中!大気汚染進行中!』
 その音で我に返ったサッシャはおもむろに袋を手にして立ち上がり、足早にその場を立ち去る。
 集まり始めた人混みの中を淡々と歩く。だが頭の中は真っ白だった。
 体が動いたのは叩きこまれた軍人としての性か。今、サッシャの五感が感じとっている周囲の情報は脳を介さずただ自らを災厄から遠ざけるための指令として直接筋肉に送られている。
 混乱した思考の中でわかっている事はブレーズがこの事態を想定して準備していたということだった。
―ただ私を生かすために。
 サッシャはマシンのように手足を動かし続ける。
 そして脳内深く刻まれたたった一つのポイントを目指す。

 気密扉―。

 踏み切りを渡り、いくつかのブロックをわざと折れて追手を確認する。
 装甲外殻都市ドーム外縁部に近づくにつれ人影はまばらになり外灯も減る。
 次第にサッシャの歩みも駆け足に近づく。
 巨大な配管群が目の前に迫ってきた。
 サッシャは袋を開ける。中身は全て想像通りだった。
 電気トーチ、気密扉までの順路、プラスティック爆弾の塊とライターそして導線付きの雷管が5つ。
 サッシャは電気トーチを選んで取り出す。
 電池は貴重品だ。これだけでもブレーズがいかに入念に準備を進めてきたのかがわかる。
 基本的に配管と装甲隔壁の間には人が余裕をもって通れる空間がある。だが大小様々な配管が空間を無秩序に占め、進路を遮るため方向感覚が狂いやすい。
 電気トーチを付けると灯りの先に浮かび上がるのはまるで巨大な生物のはらわたのような光景だった。
 装甲隔壁の位置を意識し、時に狭くなるそこを身を屈め、時に横たわるそれを乗り越えてサッシャは黙々と進んだ。
 隔壁沿いまで迫る、ひと際巨大な配管がつくる隙間を、体を壁に貼りつかせるようにして進むと進行方向の手に何かが当たった。
 気密扉の電子ロックだった。
 扉の前はちょっとした空洞のようになっていた。
 こんな場所までたった一人で辿り着いたブレーズの執念をまざまざと感じる。
 電子ロック自体は死んでいた。
 サッシャはロック部分の物理的な破壊を試みるため入念にプラスティック爆弾をしかけた。
 雷管を刺し、導線をもって配管の陰に退避してからライターで点火した。
 ドスンという腹に響く小さな衝撃が走り、周囲に積もった小さな埃が一斉に舞い上がって視界を奪った。
 サッシャは口と鼻を押さえ、ドアに近づき、破壊で生じた電子ロックと壁の隙間に指を突っ込み重い扉を引いた。
 体一つ分の幅動かすと、そこから中へと身を滑り込ませる。
 すかさず電気トーチで周囲の状況を確認した。
 直径数mの円筒状の空間。中央に螺旋階段。上は…光が届かない。
 どこまで続いているかわからないが、もし隔壁の最上部まで続いてるとしたら300mの高さになる。
 ぐずぐずしていると外周警護学士の手が回る。
 サッシャは階段を駆け上がる。
 少なくとも1世紀は経っているはずだったが酸化や腐食は見られない。畏怖すべきロストテクノロジーの一つだ。
 カンカンと暗闇に反響する自らの足音。
 一定の間隔で繰り返される自らの呼吸音。
 まだ上に灯りは届かない。
 ブレーズは外の汚染はもうないと言っていた。
 もしその予想が外れ自分が死んだとしても、それは弟に生かされた命を弟の望むように使った結果だ。自分の負けはそこにはない。だが、辿り着けなかった時、その時こそ全てが無駄になる時だ。それまでは死ねない。
「ありがとうなんてまだ早いのよ、ブレーズ」
 肉体的な疲労が溜まっていく。一方でそれを上回る心の痛みがその認識を妨げる。
 この痛みが心と身体の間で釣り合うまでサッシャは動き続けるだろう。
 そこに終わりはないように見えた。
 しかし走りながら流れ続ける汗をぬぐったその時、交錯するステップの隙間に赤い光が見えた気がした。
 サッシャはさらにスピードを上げた。
 わずかずつだが周囲が明るくなっている気がする。
―電子装備が生きている。
 非常用の赤色灯だ。
 その光が淡く闇を侵食し始め、サッシャはゴールにたどり着いた事を知った。
 最後の数段を慎重に上り、床の高さから顔を出し周囲の様子を確認する。
 誰もいない。
 緩やかにカーブした数mの幅があるフロア。
 傾斜した天井。
 間違いなく装甲隔壁の最上部だ。
 その視界の端に鋭く光る輝点を見つけた。
 青と緑のLEDが小さく鋭く輝いている。
 最後の気密扉。そこを開ければいよいよ外界。
―開けた途端に私は死ぬかもしれない。
 数時間前までの日常から引きはがされて辿り着いた非常識な光景にはリアルな人生の終わりが貼りついていた。
 サッシャは電子ロックの前に跪き、軽く息を整えた。
 背後でメカニズムの作動音が聞こえた。
 振り向いた瞬間。
「そこまでだ」袋を置いた床と顔の傍で二度小さな火花と鋭い金属音が上がった。
 跳弾だ。
 通路の反対側―その壁が左右に割れていた。
「エレベーターが生きているんだよ、ここは」
 マテューだった。
 銃を構え、ニヤニヤと笑っている。
「今日の私は良い結果に巡り合う確率が高いようだ。さっきは前にいた同僚が爆風を全て受けてくれたし、今度は君を出し抜くことができた。しかし…服がボロボロになってしまったのはマイナスか」
「あなた…学士なんかじゃないわね」
 金属はハルにとって貴重な資源だ。それを弾丸として使い捨てる装備は一部の限られた人間にしか配給されていない代物だ。
「これでも博士号を持ってるんだ。思想矯正のね」
「私達…ずっとマークされてたのね」
「君の弟さんが色々嗅ぎまわっていたからね。ここに続く気密扉を見つけた時、危険分子だと確信したよ」
 大きなスパークが目の前で起こった。
 電子ロックのショート。
 そのLEDが二つ同時に赤に変わり、そして消えた。跳弾で損傷したのだ。
 サッシャの顔から一瞬にして血の気が引いた。
 その様子を見てマテューは笑った。
「もう観念したまえ。危険な行動も危険な思想も私は許さない。だが、よかったじゃないか。もしかすると施設でご両親に会えるかもしれない。もっとも向こうが君の事を認識できる状態かはまったく保証できないがね」
「その割には私を捕まえず見ているだけなのね」
「君は軍事学の修士マスターだ。演習の成績もトップクラス。そんな相手に一人で近づくものか。まもなく外周警護学士がくる。そのまえにその物騒なものが入った袋をこちらによこしたまえ。手は使うな。足だ」
 サッシャは袋を蹴った。床の上を滑った袋はマテューの足元で止まった。
「まったく…外へ逃げ出そうなどと頭がおかしいのか?わざわざ中に汚染を広げるような真似をせず、死にたいのなら一人で死んでくれ。大迷惑なんだよ」
 不意に小さな電子音が小刻みに上がった。
「外で人が死ぬところ見たことある?」
「無論だ。あんなむごたらしい最後を遂げるくらいなら自ら死を選ぶだろう」
 ガシャリという音が反響した。
「外周警護学士が到着したようだ」
 勢いよく扉が開いた。
 サッシャの背後の扉が。同時に冷たい夜風が堰を切ったように流れ込んでくる。
「ひ…ひ…なぜ…なぜ!?」
「LEDが二つとも赤くなったのは解錠のサインなんだけど知らなかった?跳弾による損傷が電子ロックの誤作動を引き起こしたのね」
『外気流入中!外気流入中!』
 けたたましい警告音声。
「風を浴びた!終わり…終わりだ!死ぬ!!」
 マテューは既に完全なパニック状態だった。目は限界まで見開かれ、顔に大量の汗が浮かんでいた。そしてついに銃口を咥え、躊躇なく引き金を引いた。
 ドス黒い血で壁を汚したマテューの体は無造作に倒れ、床に頭骨がぶつかる鈍い音が響いた。
 サッシャはブレーズの袋を回収し、それから扉の外に目をやった。
 踊り場がある。
 外界へ一歩。
 完全に外にでると同時に気密扉が閉じた。
 その場に立ち尽くし自分の手の平を見つめる。
 異常はない。
 深呼吸してみたが肺にも違和感はなかった。
 辺りをもう一度確認する。
 300m下へジグザグ続く階段を見て目がくらんだが、見渡せる光景の素晴らしさには息を飲んだ。
 ハルがあるのは巨大な山脈の中腹だった。
 月は欠けている。満ち欠けの欠けではない。半分ほどが実際に砕けているのだ。
 そしてそのささやかな月明かりが照らす裾野には夜目にもはっきり黒々とした森が広がっていた。
 さらにはその先、地平線から繋がる夜空。
 晴れ渡っていた。
 そこには見た事もない星座が散らばっていた。
 弟と一緒に見たかった空。
 フォーマルハウトが消えた空がそこにはあった。
 偽りのない星空は凍てつくような美しさだった。
 決してノイズの入る事のないはずの空は、しかし、次の瞬間ぼやけて滲んだ。
 サッシャが瞬くたびにその頬を何度も何度も大粒の涙が滑り落ちていった。


〈了〉

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