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奥野一成、母校に帰る2024~洛南中学でのキャリア教育講演会「自分自身のオーナーになろう!」~パート4


キャリアについて

最後のまとめに入りますね。私のキャリアの話です。

理想的なキャリアとはなにか?

多分、僕も皆さんと一緒です。親の言うとおり、いい高校に入って、いい大学、京都大学法学部に入って、いい会社、日本長期信用銀行に入りました。当時の日本長期信用銀行は文系大学生の人気トップ3の1社でした。今ならマッキンゼーとかの外資系コンサルなのかもしれないですけど、当時は銀行が人気でした。

皆さんのお父さん、お母さんに聞くと「ああ、あのつぶれた銀行ね」と言われるかもしれません。

1997年、1998年に銀行がつぶれ始めます。当時、銀行がつぶれるなんて誰も考えていません。ここで人につくられた僕のレールは崩壊したわけです。親が「いいんじゃないか」ということで敷いてくれたレール。基礎学力を付けてくれた面は良かったのですが、親が言っていたことは正しくなかった。親には、親自身の経験しか無いからです。

皆さんのおじいちゃん、おばあちゃんは日本の高度成長期、お父さん、お母さんは日本がずっと落ち続けた、長期停滞を続けた時期が経験として残っています。

これからインフレ、円安が進むと、日本がまた発展途上国になる可能性があります。そんなタイミングで社会に出ることになる皆さんにとって、お父さんお母さんの話、おじいちゃんおばあちゃんの話は参考にしかなりません。

全部自分で決めましょう。安定したレールだと思い込んでいるものが最も不安定、僕はそう断言します。安定なんてありません。もしあるとすれば、自分が絶対にやりたいと思うことができる間、それは極めて安定しています。他の人は関係ない。それを見つけることができるかが大事です。

見つからない時、今を頑張る。他人の言っていることはどうでもいい。今やるべきことに自分を動かすしかありません。

私の場合、銀行がつぶれて大変なことになりました。外資系の金融機関で4年働きました。働くだけでなく海外の大学院で学び、修士の学位を取得できました。皆さんの時代、洛南のOBは「少なくとも修士」を目指すことになるのではと考えています。それが無いとスキルのない人と見做される可能性が高いです。

僕もいずれは修士号を取得したいと考えていたので、銀行がつぶれたタイミングで働きながら学ぶことにして修士号を手に入れました。

その後、農林中金に入って社内ベンチャーを立ち上げ、それが大きくなったので会社になって、今はその会社の馬主、株主にもなっています。

馬主になったのでそれなりにお金も持っています。これが投資です。

もし銀行がつぶれていなかったらごく普通のキャリアになっていたと想像します。

当時つぶれなかった銀行に勤めている友達、京都大学のOBもいますが、彼らと話しているとキャリアの終わりの話とかが多くて、私から見てもあまり面白く無いんですよね。

でもこちらはこちらで大変なんです。毎日激務が続いて、時差ボケがキツい中アメリカに出張して。エキサイティングな毎日ですが体力的にはきついですかね。

たとえば、文系、理系の選択の話。数学ができないから文系とか、数学ができるから理系とか、そういう話ではありません。どんな話でもまとめて全部合わせて理解できるようになってください。キャリアは、できるだけ幅を広くしてください。若い間はいろんな失敗ができますから

年齢を重ねると失敗は致命的ですが、若いうちは失敗し放題です。先生に怒られるんじゃないか、とか大した話ではありません。どんどん怒られてください。どんどん失敗してください。そのような過程で自分自身が出来ていくものです。

皆さんはお父さん、お母さんから「医者になりましょう」「弁護士を目指しましょう」と言われているかもしれません。もちろんそれを叶えられることは素晴らしいことなのですが、これからはビジネス、事業のセンスが無いと安泰とはいかないと思います。

アメリカの話ですけれど、救急車を追いかけ回す弁護士がいます。救急車は何かの事故、問題が起きているわけですから弁護士にとっての仕事になるかもしれないから追いかけ回しているのです。単にビジネスセンスのない弁護士だとそうなってしまいます。

本当に成功しているのは、弁護士資格を持った医者、医師で投資家、弁護士で起業家。そういう人たちがどんどん増えています。これからの時代、幅広いスキルセットを得ることを意識していく必要があります。弁護士だけ、医師だけを掘り下げてもさほど大きな収入にはなりませんし、ダイナミックな仕事ができません。

最後に

最後に校訓の話をしたいと思います。

「自己を尊重せよ、真理を探求せよ、社会に献身せよ」

皆さんは多分意味がまだよくわかってないと思うんです。私自身、入学した時点では本当にわかっていませんでした。こんなこと、当たり前じゃないかって感じていましたね。

校長の北川先生は「違う」とおっしゃるかもしれませんが、この順番が大事なのだ、というのが私なりの解釈です。①自己を尊重せよ、②真理を探求せよ、の後に③社会に献身せよ、が来る。

自己を尊重せよ。自分が一体何者なのか、自分にはこれだ!という本当にやりたいことは何か。それをちゃんと持ちなさい。それ無くして隣の人と仲良くしてても意味が無い。最近特に難しいのはSNSですね。隣の人と簡単につながることができます。世界中の人と一瞬でつながることができます。

ハッキリ言いましょう、そんなものは錯覚です。LINEが既読にならないからイヤになる。そんなことでイヤになるくらいなら最初からつながりではありません。表層的なのです。

SNSにおいては表層的な人と人との付き合いになりがちです。なぜそうなるか、自分が何かというのが確立していないからだと思います。もちろん中学生で自分を確立するというのはなかなか難しいけれども確立しようと考えることが大事なんです。それを優先させると、もしかしたら、周りから嫌われるかもしれません。自分勝手だと言われるかもしれません。利己的、利己主義と言われて嫌われるかもしれません。でもいいんです。堂々と嫌われてください。

嫌われても自分を追求していくと、2つ目の真理を探求せよ、にたどり着くわけです。

自分の生きていることにどんな意味があるのか。人間って心の奥底、その一番深いところは澄んでいると思うんです。川で溺れている子どもを見つけたら私たちは助けたいと思いますよね。儒教でいう「仁」の心です。絶対に助けたい、そう思うんです。

階段でおばあちゃんが大きなスーツケースを持って上がろうとすると、助けたいと思うはずです。これが私たちが生来持っている本当の心持ちです。本当に自分のことを追求していたらここに突き当たります。ここに来て、隣の人と初めて本質的につながることが出来ます。表層的ではなく真相的なつながり。これが本当の意味でつくるべき友達、仲間だと私は思います。

私が高校生の頃、大学生の頃、こんなことは理解していませんでした。

でも私自身がこの会社NVICを始める際には、自分が自分のことだけではなく、日本のために、世界のために役に立ちたいという想いで一緒にやってくれる人がいる。人は一人では何も成し遂げられないんですね。

ビジネスを立ち上げるとはそういうことです。ビジネスをやれば自然に社会に献身することになります。「社会に献身せよ」イコール「ボランティアをやりましょう」ということでは決してありません。

自己を尊重しながら自分を確立して、真理を探求してみんなが同じものを持っているとわかれば、その時初めて社会の役に立てる

洛南に入れていただいて40年経ってようやくこの程度です。ただ私の中ではまだ3分の2くらいの理解でしょうか。正解は無いと思っています。

北川先生には「違う!」と言われてしまうかもしれません。でも、「いやいや、これが私なりの考え方で、校訓に関する私なりの解釈です」と言う他ありません。

皆さんは現時点では理解できないかもしれませんが、本当に大事なことは後にならないと分からないのです。経験してみないと分かりません。

経験しないのに誰かから聞いたというだけでわかったような気になるのは、多分本当はわかっていません。だから、ここでわかった人はいないと思います。

だからひょっとするとおじさんの戯言にしか聞こえないかもしれませんが、みなさんに何か一つでも響くものがあったらいいなあと願うばかりです。

最後に一つお願いです。最も身近な先輩であるお父さん、お母さんとEXITりんたろー。さんの動画を見て、是非一緒に議論してみてください。

本日お話しした内容のポイントも詰め込まれていますし、新たな発見もあると思います。

今日はご清聴ありがとうございました。


まとめ(rennyさん所感)

今回の講演で感じたことは大きく2つありました。

一つは、自分が中3の頃に受け容れることができただろうか、ということ。

もう一つは、“AND”。

奥野さんと僕はほぼ同世代です。

奥野さんがお話しされたとおり、僕が中高生の頃、「いい大学へ行きましょう、いい会社に入りましょう、そこで出世しましょう」そんな刷り込みばかりを受けてきました。

そこでこんな問いを立ててみました。

あの時代(1980年代)に、今回の奥野さんのお話をお聞きしていたら真正面から受け容れることができていたか、と。

銀行・証券の倒産、巨大な災害、中国の隆盛、パンデミック、戦争を想像していなかった時代です。少子高齢化社会の到来にも意識が向いていない、バブル経済の頃です。

大人たちの刷り込みに疑問を抱くことが無かった。

そうした環境を所与としていた僕たちなら、奥野さんのお話はきっと「ちょっと何言ってるか分からない」になっていたはずです。

しかし、今の時代を生きる中学生には、当時の僕たちよりも受け容れる準備がずっと整っているのだろう、と感じました。

今回の講演をきっかけに、自分がどんなポジションを目指すのか、どんなスキルを体得したいのか、それに向けて自分の資本(時間や想い)をどう割り当てていくのかを自分で考えてみる生徒が沢山現われるのだろう、そんな期待が膨らみました。

それだけに、より多くの若者たちが、こうしたきっかけを得ることの大切さを再認識しました。

“AND”

利己と利他、起業家(事業家)と投資家、人的資産と金融資産。

そして、文系と理系。

利己と利他は、洛南さんの校訓にもつながっていたように感じました。

どちらかに一択するのではなく幅広く意識することの大切さ。

実際にはANDを追求するのはなかなか難しいことも多いものですが、それにチャレンジする気概、意思を持つことが第一歩となるのでしょう。

時間という資本をたっぷりと持つ若い人たちにとって「決めつけ」は勿体ないことです。ANDを追求してもらいたい、そう願いました。

講演の後、校長・北川先生との懇談の機会もいただきました。

洛南OBの活躍に大きな関心を寄せられているのがとても印象的でした。

洛南さんがお持ちのOBという人的資産から生み出されている新たな資本を、在校生にどう割り当てようか、どのように投資しようか、と北川先生は日々お考えになっているものとお見受けしました。


教育とは投資である。それを体験する素晴らしい一日となりました。


関係者の皆さんに厚く御礼申しあげます。ありがとうございました。

(本シリーズ終わり)