ランチアのひと 5
2018-1995=23
暗算をするとき、こんなふうに考える。
1995と2000の差は5、2000と2018の差は18、その二つを足すと23。つまりあの日からわずか5年後には西暦のひと桁目が1から2に変わり、ミレニアムと呼ばれた1,000年に一度の歴史の曲がり角を迎える、そんな世紀末の出来事だった。そして、千年紀が変わってからもう18年。
それほどの時が去来したわけだが、美紀さんはひと目で美紀さんと判る風貌のまま、あの頃と同じ笑顔でこちらを見ていた。僕はそのときようやく、自分があれからずっと美紀さんのことを思い出さずに過ごしてきたことに気付く。
美紀さんとランチア。ランチアを買った女性。ランチアのひと。彼女はいま、料理研究家になっていて、なんの前触れもなく、突如として僕の前に現れた。
23年前に、クルマを探している美紀さんに、だいぶマニアックなランチアという一台を教えた僕。
23年後に、夢中でレシピを漁っている僕に、雑誌の中からレシピを教えてくれた美紀さん。
あのころ僕らは学生で、将来自分が何をするか、何になるか、どう生きるかなんてさっぱり分からなかった。にもかかわらず、だ。いま、僕らは一冊の雑誌の、1ページの写真と文字の上で同じ瞬間を過ごしている。それも、「食」という、己の生きざまに直結する濃密な世界の一つの点の上で。
いったいどうなっているんだ。
ただ、笑うしかない。これだから人生ってやつはたまらない。
その天文学的な確率を味方につけたかのような瞬間が訪れたのはだいぶ夜遅い時間ではあったが、僕はSNSを使って美紀さんをいとも簡単に見つけ出し、その場でメッセージを送った。料理研究家としての仕事用のアカウントだ。送ることになんらためらいはない。
その日の夕方には、見事に返事が来た。
美紀さんは間違いなくあの美紀さんだったし、僕のことも憶えていてくれた。夢やまぼろしでも、人違いでも思い込みでもなかったのだ。
そこではじめて、美紀さんがランチアデドラを買う決断をしたときの記憶が蘇り、そのわりには購入したランチアを見せてもらうこともなく、その後とくに連絡を取ることもなく、そのクルマがどうなったのかももちろん知る由もないという不可解な事実を、僕は認識した。
だからメッセージでは、僕の自動車人としての経験においてあの日の美紀さんの決断ほど鮮烈なものはない、ということを伝えた。
そして美紀さんからの返事には、ランチアのあとすっかり運転をしなくなり、今はペーパードライバーだと書かれていた。車庫入れで隣のクルマにこすってしまい、その相手の態度がひどかったそうで、それ以来運転をやめてしまったのだという。SNSのメッセージは、お互いの近況についてそこから数回往復したが、特にランチアの細かい話には触れず、なんとなく会話は終わった。
だから、美紀さんとランチアの話を僕はまだ知らない。気に入っていたのか、故障で困ったことはなかったのか、隣のクルマとの出来事はいつ頃の話なのか、やめたあとそのランチアはどうなったのか、ランチアは美紀さんの人生においてどんな意味があったのか。
僕はいまだに、何ひとつ知らない。