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奇祭を求めて岡山へ 〜護法祭編〜

「捕まったら死ぬという、真夜中に始まるお祭りが日本にあるらしい」

 本を買うわけでもなく、ただ時間を潰すために、私は近所の書店を彷徨っていた。とにかく何でもいいから刺激が欲しい。毎日毎日変わらないことの繰り返しで、とにかく何か、私にとって「非日常的」なことがしたかったのだ。しかし何か特技や技能、チャレンジ精神が備わっているわけではない。それならば旅行だろうか、と私は思った。だが、一人旅を目的もなく行ったところで旅先でダラダラするに決まっているのである。生まれつき精神怠惰な私だ。それならばと思い書棚を見ていると一冊の本が目に留まった。
「日本の奇祭」
 これだ。ほかにも数冊、奇祭関連の本を買い、急いで家に帰って読み始めた。そもそも奇祭とは何をもって奇祭というのか。それは詳しく述べられてはいなかったが、おおよそ他では見られないもの、性にまつわるもの、笑えるものが奇祭と言われているようである。あまり表メディアでは取り上げられることが少ない、地域密着、土着のお祭りだ。ページをめくっていると、気になる文言が目に入った。
「捕まったら三年以内に死ぬ」
 果たしてそんなお祭りが実際にあるのだろうか。そして余所者、部外者が簡単に参加できるものなのだろうか。それにこんなインパクトの強いお祭りがあるならば、一度ぐらい耳にしたことがあってもいいものだろう。しかしまったく聞いたことがない。
「どこでやっているんだ?」
 その奇祭の紹介文の終わりには開催地が載っていた。
「岡山県美咲町二上山両山寺」
 ――岡山県か。
 以前、関西に住んでいたころならば近かったが――無論その時もこの奇祭の話は聞いたことも見たこともなかった。もちろん岡山出身の人からも――今はあまりにも遠すぎる。駅から近いなら行けるのだが、あいにく私は自動車免許を持っていない。ガクッときたが、他にも気になる奇祭はたくさんある。ならば行けるところから行ってみようじゃないか。きっと神事というものは巡り合わせがあって、今ではないのだ。そのときが来るまでまとう。この「護法祭」に行きたいと思ってから実に八年の年月が経っていた。

 巡り合わせとは急に、そして自分では思ってもみない形でやってくる。
たまたま店に来ていたお客さんと仲良くなった私は、その人がやっているお店をボランティアで手伝うことになった。名前は仮にH氏としておく。H氏はプロのカメラマンで、その人の名前を聞くと顔を顰めるか、笑顔で笑いながら話しだすか評価が真っ二つに割れる人物である。とにかく圧が強い。お店に人がいないから手伝って欲しいと何度も何度も言われた私は根負けして諒承してしまった。ただ交換条件を出した。
「どうしても行きたい祭りがあるから連れて行ってほしい」
 相手の素性も人物も、まったくと言っていいほど知らないのによくこんな大胆な提案ができたものだと今では思うが、私はそう提案した。するとH氏は、
「うーん。俺まったく祭りとか興味ねえんだよなぁ」
 とあっさり断られてしまった。それはそうだろう。お互いをほとんど知らない状況で、何時間もドライブするのである。あまりにも無謀な提案であったと反省したが、何故かお店の手伝いはすることになってしまっていた。
手伝い始めてしばらく経った頃、H氏から連絡がきた。
「行きたい祭りっていつやるん?車出そうか?」
 私はここぞとばかりに、そのお祭りがどんなものなのか、どれほど珍しく、歴史的なものなのかを力説した。H氏は「岡山は倉敷とかすごい良いとこなんだよなあ。車でもう少し行ったら出雲大社もあるし。俺出雲大社は行ったことないんだよなあ」と聞いてるんだか聞いてないんだか分からない反応を示していた。結局出雲大社に行けるなら、ということでH氏は了承した。目的地は岡山・護法祭。そして出雲大社。奇祭の開催は八月十四日。天気予報は雨。令和五年台風第七号が直撃する予報であった。

 地元を出発したのは八月十三日の朝六時。それから十四日の護法祭に参加、十五日に出雲大社へと行き、帰路につくという計画であった。ドライバーであるH氏の「なるべくお金は使わない」という信念のもと、行きも帰りもすべて下道というなかなかにハードな行軍である。そして車のトランクにはテントと寝袋。本気かどうか分からないが、H氏は「ホテルには泊まらずにテントで寝る、もしくは車中泊」という想定であったらしい。十三日の夜中には姫路に着いたが、H氏はホテルに泊まらずテント泊を決行?した。暴走族の爆音で中々眠れなかったそうだが本当だろうか。

 翌日十四日は夜まで時間がある。H氏が「姫路城に行ったことないなら絶対行くべき!俺は何度も行ったから行かないけど」という謎の姫路城推しで私一人で姫路城を観光。一時間ほど見てまわり、穴子めしを食べる。旅行でのこだわりの一つはやはり地元のグルメだ。行った先で人気なもの、地域の特産はなるべく食べたい。この穴子めしはふっくらとした穴子の身に甘辛のタレがマッチしてとても美味しい。にゅうめんもまた美味しい。こちらは出汁と塩の絶妙な味加減でサッパリとしている。

姫路で食べた穴子めし。にゅうめんも出汁がきいていて美味しい。

 腹ごしらえがすんだら岡山へと向かう。まずは倉敷美観地区。ここも例のごとく「倉敷の美観地区行ったことないの? だったら絶対行くべき。俺は何度も行ったから別に興味ないけど。古本屋に行きたい」そんなわけで倉敷美観地区をすーっと歩き、古本屋巡りへ。旅行のこだわりとしてもう一つ。それは行先だけ決めて細かいことは決めないこと。そうすると大雑把な時間だけ決めてあれば、あとはフリーで動けるので突発的なことが起きてもある程度の融通が利く。何軒か古本屋を巡った先で私は前川佐美雄の直筆サイン入りの歌集「捜神」を購入。

古本屋に貼ってあった内田百閒のポスター。色褪せて良い感じ。

 良い時間となったところで目的地である二上山両山寺へ。そしてここからが大変であった。車道が狭くかなり険しい道なのだ。それこそ着く前に命を落とすのではないかと思ったほどだ。あとで聞いたところによると、我々が通った道は、現在ほとんど通る人はいないらしく、別のルートがあるらしい。

ガタガタの道でブレブレの写真。とにかく狭く暗く怖い。

 到着したのは夜の八時。H氏は「終わったら起こして」と言い早々と寝始めた。私は一人、駐車場から境内目指し山を登る。道の脇には提灯と幟がたっている。電灯も、民家からの明かりもほとんどない山の中だ。提灯の明かりが赤くぼんやりと光っているのが幻想的でもあり、どこか怖さも覚える。

樹齢1000年と言われる御神木

境内に着くとまず、私は地元の方、特に年配の方を探した。地方のお祭りに行った際はなるべく地元の人と話すようにしている。これはお祭りの注意事項や地域のこと、そしてお祭りを観る、参加する際の自分の立ち位置を確認することに有用だ。外部からの参加を快く思わない、そういったお祭りもあるのでその場合は邪魔にならないよう静かに観て静かに帰る。それが重要だ。今回私が話しかけた方は(仮にAさん)、とてもフレンドリーな方で色々なことを教えてくれた。話しかける際に自分がどこから来たか話すことも重要で遠ければ遠いほど話題が弾む。そこで私がこの「護法祭」の一番気になる点、「捕まったら死ぬ」ということに話題を変えると、Aさんは神妙な顔になり、
「そう。捕まったら死ぬ。現に昔はそういう人間が何人もいた」
 と、話してくれた。そもそもこの護法祭というのは護法様を降ろした護法実が暗闇の中を長い間走り回り、観客が捕まらないように逃げる祭りだ。この護法実になれる人も厳格に定められていて、温厚で真面目、そして信心深い人でないと駄目らしい。そして護法実になった人は数日前から特定の場所を何度も歩いて廻り、身を清めて祭りに臨むそうだ。
「まぁただ、そう闇雲に誰かをゴーサマは捕まえるわけではない。悪い気を持っているととんでもない速さで追いかけられてアッと言う間に捕まる。そうしたら住職から三日間ぐらい毎日祈祷を受けなければならない。それを受けないと死ぬ。これから始まる時に注意のアナウンスも流れるけど、ゴーサマの邪魔をしなければ捕まることはほとんどない。わざと足を出してゴーサマを転ばそうとしたり、写真のフラッシュを焚いたりしなければ大丈夫だから。安心しなさい」
 そう言うと、Aさんはニコリと笑って私の肩をぽんぽんと叩いた。それから自分のことを話してくれた。Aさんは数年前から病気を患っていて、手術を何度も経験したそうだ。ただ体調がすぐれなくても出来る限り境内の掃除を毎日、朝夕と行っていた。数年で歩けなくなるかもしれない。そう医師に言われ、その時も掃除ができないくらい弱っていたので、今年は護法祭を見ることはできないと思っていたらしい。しかし祭りが近づくにつれてどんどん体調が良くなる。そして今日、ここに来て祭りを見ることが出来ている。そう嬉しそうに話してくれた。「ゴーサマになれるぐらいに神様とか宗教を信じるわけではないけど、こんな不思議なこともあるんだよ」とAさんは目を細めた。そして「ちょっとこっちに来てごらん」というと、ちょうど山の麓が見下ろせる場所へと案内してくれた。
「台風が来て雨が降るという予報だったけど、ゴーサマの時は不思議と雨は降らないんだ。ここから見る景色が私は好きでね。夜になれば今みたいに星が綺麗に見えるし、夕方は夕日が綺麗に見える。朝は太陽が昇ってきて清々しい気持ちになれる。時には山と山の間に雲海が広がってとても美しい景色が見られるんだよ」
 Aさんは私にそう言うと、申し訳なさそうな顔で「孫がもうすぐ来るから」といい、住職を紹介してくれた。住職さんも非常に気さくな方で、どこから来たのか、岡山でも知っている人が少ないのにどこでこのお祭りを知ったのか、と色々話をさせてもらった。修行の話がとくに面白く、立ったまま過ごす修行、座ったまま過ごす修行などとても苛酷な修行を経て住職になっているそうだ。また二上山両山寺の護法実は「烏護法」と言い、たとえ木の上に逃げても追ってくるそうだ。また、コロナ禍の時も観客や地域の人も呼ばずにこの祭礼だけはやっていたとも教えてくれた。
「昔はほんとに真夜中すぎぐらいから始まって、明け方までやっていたんですよ。それこそお遊びが終わって時計を見ると朝の四時とか五時で、朝日が昇ってくるんです」
 境内を護法実が走り回ることを「お遊び」と言うそうだ。どれくらいの時間「お遊び」が行われるかは決まっていないそうである。

護法善神社へと向かう列

 法螺貝の音が山に響きわたった。時間になると山伏の方々が法螺貝を吹く。腹の底に響く低い重い音だ。今のは一番貝。時刻は九時過ぎ。十時に二番貝、十一時に三番貝が吹かれてその後神事が始まる。この三番貝が吹かれると、本堂へ地域の方が集まって来た。中では名前が呼ばれ、呼ばれた人が返事をしている。役配朗読と言うらしい。それが終わると本堂の中から各々道具を持ち、行列となって護法善神社へと向かう。私はその行列には付いて行かずに、Aさんから教えてもらった良く見える場所で待機し行列を眺めていた。みな厳かな顔で神社へと向かっている。目が皆真剣だ。

大きな松明に火をつける。すぐに燃えてしまわないように調整する。

それまで子供たちが境内を走り回ったり、「ゴーサマごっこ」をしていたのだが(この日は遅くまで起きていても良いらしい)、しんと静まり返っている。行列は神社で護法実と合流し、本堂へ戻る。本堂へ入ると護法実に護法善神を乗り移すための祈祷が始まる。中の様子ははっきりと見えるわけではないのだが、護法実の周りを子供たちが「ぎゃーてーぎゃーてー」と言いながら走り回っている。そして太鼓と法螺貝の音。段々と太鼓の音が早くなる。ドンドンドンドン……。それに合わせて走る音もどんどん早くなっていく。ダダダダダダ……。太鼓の音と走る音、それに「ぎゃーてーぎゃーてー」という声。それらが合わさり高まっていく。私も飲まれたのかだんだんとボーッとしてくる。その時「バッ」と本堂から勢いよく人が飛び出してきた。ゴーサマだ。ゴーサマは紙手(しで)と呼ばれる紙でできたボンボンのようなものを頭にかぶり、全身黒装束となっていた。そして手を横に広げ上下にパタパタとゆっくり動かしながら走っている。たしかに黒い装束で手を羽ばたくように走る様は「烏」のようである。そしてまわりを子供たちがぎゃーてーぎゃーてーと言いながらゴーサマと一緒に走り回っている。

境内を走るゴーサマ

それまでしんと静まり返っていた境内に悲鳴が響いた。お遊びが始まったのだ。ゴーサマは縦横無尽、自由気ままに境内を走り回っている。途中何度か「休み石」と呼ばれる石に腰を掛け、体をマッサージされながらひたすらに走り続ける。ゴーサマの顔は無表情のようにも見えるし、目をつぶりながら走り回っているようにも見える。燃え盛る松明の上も平気な顔をして飛び越え走る。観客が集まっている場所にも問答無用で走り、突っ込んでいく。その度に境内のあちこちで悲鳴が上がる。すごい祭りだ。自分の二倍近い年齢の護法実に選ばれた人が、一時間近く全力疾走に近い速度で境内を走り続けるのである。畏怖の念が湧くのも不思議ではあるまい。そう思っていたら私の元へもゴーサマが突っ込んできた。完全に油断していた。自分のいる場所は範囲外、と勝手に思い込んでいたのだ。あまりに突然のことなので体が動かない。
「このままでは捕まる!」
 捕まる覚悟をしたところで、ゴーサマは首を傾げ、私の前で進路変更をし走り去っていった。わざと進路妨害をしたわけではないから大丈夫だったのだろうか。危ない所である。ほう、と溜息をつくとスピーカーから聞こえる声に気がついた。先ほどの住職の声だ。お遊びの間中ずっと祈りを捧げているそうで、それも臨場感を、今実際に儀式・神事がここで行なわれており、それに観客として自分も参加しているという気持ちにさせてくれる。何度も境内を走り回ったゴーサマは最後に本堂へと戻っていった。そして地域の人たちがまた集まり、神社へと行列をなし向かっていく。そこで儀式が行われ終了となる。

紙手を神社へと送る

 終わった後、Aさんに再びお会いした。孫に頼まれて護法祭のDVDを買いに来たそうだ。そう、DVDが売っているのである。驚いた私は「私も買いたいので付いて行って良いですか?」と聞いた。Aさんは笑って諒承し、再び住職の元へと案内してくれた。Aさんが住職にDVDのことを話すと、住職は驚いた顔をしたが、すぐに二つ探してきてくれた。泊まる場所が無かったら雑魚寝で良いなら泊まりなさいとも勧めてくれたが丁重に断り、私はDVDを持ってH氏の元へと帰って行った。空からは雨が降り始めていた。

 眠っていたH氏を起こし、行けるところまで行き、休憩を取り、出雲大社へ。その後台風の被害をなんとか躱しながら(帰ってから調べると自分たちが通った道や山、川が後にがけ崩れや氾濫を起こしていた)無事に帰ることになる。本当に貴重な体験ができた濃い時間であった。Aさんと住職、そしてH氏に感謝。

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乃木ひかり
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