【エッセイ】穴子の味
家へと帰る途中、ふらっと駅の中にあるスーパーに立ち寄った。目的という目的は特になく、強いていえばバスがくるまでの寒さしのぎである。
ぶらぶらと歩いていると、おつまみコーナーに焼き穴子が置いてあった。穴子の身を薄く延ばして乾燥させ味をつけた、酒のあてである。どことなくほたての焼きひもに似ている。私はそれを手に取りレジへと進むと帰路に就いた。
私は穴子が好きなのだろう。何も考えずに買ってしまうほどに。姫路では姫路城そっちのけで穴子のお店を梯子するほどに。あのふわっとして、口の中でとろっと崩れる身。それでいてしつこくない、さっぱりとした後味。だから甘いタレととても合う。それがとても美味しい。
だが今回買ったものは乾燥穴子である。
ふわっと食感もなければとろっと感もない。黒胡椒のスパイシー味らしいがそれは穴子でなくても良いのではないか。私が穴子に求めているものはこの穴子にはない。なぜ買ったのか。それに甘いものに合う身、ということはつまりその甘いタレが好きなだけなのではないかしら。
そうなると別に穴子が好きというわけではなくて、ごはんに甘いタレをかけても私は満足することになってしまう。とろっとはしていなくても、ふわっとの方向性は違うがご飯もふわっとはしている。だからまぁこれでも良いか、となってしまいそうで怖い。
それに穴子が好きだと言ってもしゃぶしゃぶも食べたこともないし、刺身も食べたことはない。それで君は穴子好きと良く言えたもんだね、と言われそうではあるが、その食べ方は別にしなくても良いとも思う。鱧で良いではないか。でも鱧を甘いタレで食べようとは思わないから穴子とはやはり別々なのだろう。どっちでも良いわけではないらしい。
買ってきた焼き穴子を歯でばりばりと嚙み嚙みして、あぁ穴子が食べたい、と思う。ふわっとして、とろっとした穴子。もしかしたら私が穴子を好きな本当の理由は柔らかくて嚙まなくても良いから、なのかもしれない。面倒臭がりな私にはぴったりの理由な気がする。