自分がしっかりせぇってハナシ。
私が強く出れば、欲しいものが手に入ることぐらいはわかっていた
「私が悪かったのよ」という彼女の言葉が
だがそれは真実ではない
私はまた彼女に「ごめんなさい」を言っていた
それも間違いであることを知りつつ、私は同じ過ちを繰り返していた
私は導かれるように、川を遡る
緩やかな水路を、淀んだ水域を、
そして細い細いはしごを
使い終わったはしごは、もう戻れないように蹴倒してしまえばいい
赤い糸を手繰り寄せ、彼女の体を抱きしめる
柔らかい頬に手を添え、彼女に伝える
またいつか、出会える日が来る
私たちはつながっているのだから
(鮭の女、冒頭より抜粋)
鮭の女。
母川回帰という、本能に抗えない鮭をモチーフにした、実弟が20代の頃に執筆し、ワタシに上梓して下さった怪作です。
たまに読み返すけど、
読むとイクラ丼が食べたくなります。笑笑笑
27歳から30歳まで、7歳年上の
広島県の備後地方のかたとお付き合いしていたのですが、私が40歳の頃に、何かのキッカケで何回か通話していた時のハナシ。
『君は人を怒らせるのが天才的じゃ。相変わらず、なおってないな。』
『自分の立場を考えて、発言せぇよ。
それを越えなきゃずっとむかついてないといけんやんか。』
・・・バリバリの備後弁で
当時と同様に説教されまくりました。(苦笑)
今現在の立ち位置は、自分ではちゃんと理解しているんだけど、お話しをしていると、どうしても昔の感覚が蘇ってしまう。
『雑念ありすぎ。雑念を取り払って、まともな生活をしてほしい。』
『そのほうがワシはうれしいし、そうしてくれたほうがワシも雑念を取り払うことができる。』
お話しすると付き合っていた当時の感覚にどうしても戻ってしまう。
でもソレは一時的なものだと思う。
その当時の感覚に戻れるってことは、
その当時が楽しかったってことだから、それはそれでよかったって思う。
そういう気持ちは、自分だけの中に留めておけば、
いいんだ。
要は、『自分がしっかりせんといけんよ』
そういうハナシでした。
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