オフラインで得られるもの、オフラインでしか得られないもの
「あの夜に会えたら」という作品がある。
仮想のラジオ番組「綾川千歳のオールナイトニッポンN(ニュー)」という番組の、初めてのラジオイベントでかつ、ラジオ最終回を、国際フォーラムでやるという設定で、そのイベントの当日リハーサル(ゲネプロ)からをステージ、観客、控え室を使った裏動線でドラマや演劇をやりつつ、配信もするという、説明ができない作品だ。
観客席から見ていると、ステージで何かが行われている最中に、ビジョンに控室が表示され、そこでストーリーが進んだりする。
ストーリーの内容は、ラジオが大好きなラジオチームと、ラジオがわからないイベントチームが、別の言語を持っているがゆえに、共有できずバラバラになっていくという感じだった。
すでにオンデマンド配信も終了し、「2度と見られない」そうなので、気軽にネタバレもしていくが、複雑すぎてネタバレができた気がしない。
その作品の中で、「なぜラジオイベントに人が来るのか」という問いがあった。「ラジオは日常のもの。ラジオイベントは、パーソナリティが実在してることとか、聞いている人が他にもいるってこととかを確認する行為なんだ」という答えがあった。
自宅というパーソナルな環境で働くようになって、仕事のBGMのひとつとしてラジオを聴き始めるようになって、ラジオイベントにもいくつかいくようになっている自分としては、思い当たる節が多い。
普段声だけ聞いている人が実在することだったり、同じ時間を共有している人がこんなにたくさんいることだったり、聴き馴染みがあるラジオネームの人の顔を確認したり、そういう時間なんですよね、ラジオイベントって。
でもこれって、だいたいのオフラインイベントに当てはまるんじゃないかなって思うんです。勉強会のイベントだって、普段の仕事の中で参考にしている本を書いた人の存在を確認したり、直接自分の疑問や考えをぶつけてみて自分の理解を深めたり、同じ本を読んでる読者の人たちと考えを共有しあったり。
そういうことは「完全オンライン」ではできない。
そう考えると、"情報伝達"だけが目的ではないイベントは、オフラインで開催すべきなんだろうなと思いました。
長くなったので、ここまで。
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