ルーブル美術館に作品を展示した日
その日の日記
コロナ禍を経て世界がまた動き出し、慌ただしくなってきました。
そんな中、パソコンのデータを整理していたら、初めてルーブル美術館で作品を展示した日の日記が出てきました。
NFTを始めて間もない今の自と共通するところがあり、不思議な気持ちになりました。
noteで紹介させてください。
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ルーブル美術館。
世界一有名な美術館といっても過言ではないと思われます。
僕が初めてパリ、ルーブルに行ったのは、22歳の夏。
東京藝大の友人二人と一緒でした。
ルーブルは恐ろしく広かった、というのが第一印象です。
モナリザはじめ、ミロのビーナスやサモトラケのニケなど超メジャーな美術作品のオンパレードですが、とにかく広い、数もすごい!
その数、約35000点。
中でも僕が一番好きな作品は、フェルメールの『レースを編む女』です。
わずか、23.9×20.5cmとフェルメール作品中でも最小ですが、傑作中の傑作だと僕は思っています。
たぶんこの絵の前ならば、何十時間いても時間を忘れることでしょう。
実際、NYでフェルメールの1枚の絵の前で6時間立ち竦んでしまったことがあります。
一番好きな女
ボクも一美術家として、生きているうちにそんな作品を1点でも制作できたら、本当に幸せだろうなぁ。
美術史家ローレンス・ゴウィングは、この作品をこう評しました。
フェルメールの技術はすでに完成されている。
これ以上進展する余地はなく、更なる普遍的様式も存在しない。
フェルメールの時代は、宝石のように魅力ある多種多様なセンスを我々にもたらしてくれた。
それまでの時代には鉱脈で眠りについていたものが、いまや陽のもとにさらされ活用されるときを待っている。
『レースを編む女』は唯一無二で、他の作品のことなど想像も出来ない。
完璧で、唯一の定義とすらいえる作品である。
スペインの鬼才芸術家、サルバドール・ダリは、こう言いました。
偉大な絵は、芸術家が暗示するだけで、目に見えない大きな力を感じとることができる。
フェルメールの『レースを編む女』に私はそれを発見した。
この娘の持つ、目に見えない針を中心に、宇宙全体が回っていることを私は知っている。
夢の向こうの夢
まさか自分が、しかも生きているうちに、ルーブル美術館に作品を展示できるなんて思っていませんでした。
18年間片思いしていた彼女の持つ針を中心にグルグルと回った宇宙の磁場に、僕の作品も吸い寄せられたのかも、なんてロマンチックに思ったりします。
今回チャンスをくださった、また僕のまだまだ稚拙な作品を受け入れてくださった関係者の皆さま、本当にありがとうございました。
またひとつ、夢がかないました。
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この数年後、オーストリアのギャラリーからもう一度、ルーブル美術館に作品を展示する機会をいただきました。
どんどん小さくなった世界は疫病や天災、戦争を経てかつての世界が夢物語であったかのようにメチャクチャになりました。
絵具と筆を手にキャンバス絵画に向き合い、iPadとApple Pencilを手にNFTと向き合う、現在。
そのギャップに、時間の流れの差異に、圧倒的な才能と現実に、押し潰されないよう抗う日々。
ぼくは、ぼくらはどこから来て、どこへ向かうのか。
夢の向こうにある夢まで、どうかどうかたどり着けますよう。