何者でもない自分
note毎日書きます!!
と言っておきながら、しばらく経ってしまいました。
毎日書くことよりも
書く内容を重視しようと思って
時間のない時に無理くり書くのはやめようと…
というのは言い訳でしょうか。
最近クルクル頭を悩ませるのが、
自分ってなにもの??
です。
なにが出来るわけでもなく、
ずば抜けた特技がある訳でもなく、
自慢できることがある訳でもなく、
…
隣の芝は青く見えると言うのは本当で、
あの人のこの特技がかっこいい
この人は好きなことを仕事にしている
あの人はまたこの人とこんな事をしている
ふと開くSNSの投稿に心を掻き乱される。
自分のこの先の人生を
誰かの人生と重ね合わせて
まるで正解を探しているかのように
模索する。
人生は十人十色
同じ道を歩む人なんていないはずなのに
同じような境遇の人を見つけてはホッとする。
そして
切り取られたきらびやかなSNSの投稿に
自分にはないと羨ましさを感じ、寂しくもなる。
そのキラキラの裏に、
どれだけの努力があるのか
なにを我慢しているのか
なにに涙を流して耐えているのか
わたし達は知らない。
みんな、おんなじ様に
悩みながらもがきながら生きている。
正しい人生なんてものは存在しない。
その人がそれで良しとすればその人生は最高なものなのだ。
外に向けて発信している人だけが
成功者ではないし、勝ち組ではない。
仮に成功者だったとしても、
あなたが同じ立場で同じように幸せを感じるのかは分からない。
ありとあらゆる情報が右から左から、
目と耳を閉じても勝手に入ってくる様なこの時代。
個々の人生が、仕事が、日常が、ありのままに知れる事が当たり前となり、
勝手に自分と比べてしまう。
でもそれは外に向けて発信しているかしていないかの違いなだけで、
人生に優劣はない。
誰のどの人生も、素敵な物語なのだ。
そこに当てはまらなかったからって、
面白くない人生だった。なんて訳ない。
形の無いものを追いかけるのは
ゴールのないレースを走っているようで
その果てしなき道に疲れ果ててしまいそうになるけど、
その道に光をさせるのは自分だけ。
自分で自分の人生の物語にスポットライトを当てられていれば
それだけで十分。
世間からのスポットライトが当たらなくたって、
当たっている人の人生より劣っている訳ではない。
幸せのかたちは人それぞれ違うし、
歩みたい人生もそれぞれ違う。
何を感じ、何を目指し、何を信じ、何を願い、
何が好きで、何が嫌いで、
どうありたいかもそれぞれ違う。
人間は否が応でも無意識に人と比べてしまう生き物なのだと思う。
でも、比べて落ち込む必要なんてない。
自分で自分を信じてあげられる事ができていれば、
周りを気にする必要なんてない。
何が成功で何が成功じゃないかも
人それぞれ。
あの人みたいな成功者になりたい
あの人みたいにキラキラ輝いた人生を送りたい
なんて思わなくても、
みんな充分に今を一生懸命生きている。
明確な目標なんてなくていい。
がむしゃらに進んできたその後ろにできた道が、
今まで頑張ってきた証だから。
確実にこの先に繋がっているのだから。
特別になんかならなくても、
もう充分誰かの特別なのだ。
今を楽しもう。
ここ最近友人の悩み相談や、自分のモヤモヤが晴れなくて。
なんとなく頭に流れてきた言葉を並べてみました。
以前にも増して、
この地域のこの人すごい!や、この仕事のここがすごい!
この人の人生すごい!!
等のすごい特集がテレビでもネットでも見られるようになり、
このままでいいのだろうか
と思う事が多くなった。
でもみんなすでに常に一生懸命で、もう同じくらい充分すごい!!はず。
もっと肩の力を抜いていいよと今夜は自分を抱きしめて。
読んでいただきありがとうございます^ ^