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物怖じしない人生からの現実創造。

先日、近所のお蕎麦屋さんでオットと天ぷらやホタルイカをつまみながら、「あと5回生まれ変わるとしたら、どんな人生がいい?」
と聞いてみました。

オットはこういう話がニガテで、とはいえ焼酎お湯割りを黙々と飲むと、あっという間に出来上がってしまいそうだったので、強引に答えを要求してみたところ、やっと出てきたのが

「物怖じしない人生」

という言葉でした。

以前から、ふだんから道を歩くときに「前からやってくるあの男が襲ってきたら…」と頭の中で撃退する妄想をしたり、「こう言われたら、こう返そう」と想定問答をしたりすることが多々あるというオット。まさに「さもありなん」な返答ですが、一方で彼はわたしのパートナーでもあるので、好むと好まざるとに関わらず、彼が今生きている「物怖じしまくる人生」は、わたしたち二人で共有している世界観ではないのかと感じたのです。

「物怖じ」が多すぎる人生は、窮屈です。
新しいことにチャレンジしたり、知らない人と会うのが億劫になるし、ひどければ家から出られなくなったり、メンタルヘルスにも問題が起きそうです。
わたしたちは、自分が見たいものを見て、感じたいものを感じる習性があるので、「物怖じ」が多ければ多いほど、その人の世界には怖いことがいっぱいあります。

オットはある意味、「怖い」や「不安」という自分の感情で、世界を創造しているということになります。

わたしも、気づくとやっています。
「こんなことが起こったらどうしよう」
「こんなことをして、怒られたら/バカにされたら/笑われたら…」
起こってもいないことを、ときには一日中心配していたりしますから、やっぱり似たもの夫婦なんでしょう。

そう。
不安や恐怖の対象は「起こっていないこと」なんです。不確定の未来を妄想することにエネルギーを費やし、なにかをやった気になっているってことです。
何の行動もできないという、言い訳にぴったりです。
不安に不安を重ねていけば、一見、誰にも解けないような複雑な問題ができあがります。
ドラマティックな人生のできあがりです。

もちろん、そういう人生もアリだと思います。
どんな人生を創造するかは、完全に自由です。

でも、わたしはそういうのに飽きてきました。
考え方のクセでもあるので、しょっちゅう未来を妄想して「怖い」「ヤバイ」となるのですが、そこから「イマ」に戻ってくるのも早くなってきました。

「Σ(o'д'o)ハッ!! またやってもうたww」

「イマ」に集中して、自分がどれほど豊かで安心できる世界にいるかを実感し続ければ、世界は変わるハズ。

わたしの世界が変われば、パートナーの世界にも影響があるのかを実験していきたいと思っています。

今日のイワハシ…
お昼に消費期限を2週間ほど過ぎた豆腐を食べました。消費期限が短く設定され過ぎているのか、ワタシの胃袋が頑丈過ぎるのか…

リーディングやってます。



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すがこ
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