「竜とそばかすの姫」のテーマとは。
こんばんは!
4連休、いかがお過ごしですか?
私は、1日目に映画「竜とそばかすの姫」を見て、
2日目は「怪しい絵展」という展覧会に行きました。
映画、本当は別の作品を観る予定で近所のイオンシネマに行ったのですが、
席数が間引きされているせいか席がとれなくて、とは言えせっかくなので
妥協案として「竜とそばかすの姫」を観ました。
ちなみに、
言い訳をするようですが、細田守監督の作品は大好きで、
ムスコくんなんか、思春期に「サマーウォーズ」にドはまりして、いまだに映画内の全てのセリフを言えるらしいです。バイト中、暇なときは頭の中で「サマーウォーズ」を記憶上映して暇つぶしをしているんだとか。
家族全員、細田守監督の作品は全て観ているので、「竜とそばかすの姫」を観るのはもちろんやぶさかではなかったのですが、上映が始まってすぐに映画館に駆けつけるほどの熱心なファンではなかったということです。
で、
その上で、なんですけど、
すっごく良かった!!
歴代の細田守監督の作品の中で、いちばん感動しました!!!
「涙がとめどなく溢れる」って、こういうことか!
というぐらい泣きました!!!
ところが、一緒に観たオットくんは、
「確かに良かったけど、細かいディテールが気になった。
あと、結局『竜』と『ベル(主人公:すず)』ってどういう関係なん??」
と、首をひねっていたので、
作品に込められたテーマが自分のフックに引っかかるかどうかで、反応は違うのかもしれません。
どちらかというと、女性向けなのかも。
思春期まっただなかの女の子や
遠くない過去に思春期を過ごした女性に観てほしいな~と思いました。
そして、
私はこの記事で、
私の感動ポイントと、
オットくんが疑問に思っていた「竜」と「ベル(主人公:すず)」の関係についての私の考察をぜひ書きたい!と思っています。
ただ、ネタバレになっちゃうと思うので、ネタバレでもいいと思ったひとだけ下にスクロールしてください。
↓ ↓ ↓もう少しだけスクロールしてください↓ ↓ ↓
***ここからネタバレありです***
①すず(ベル)が「竜」という存在に興味を持った理由
これは、作品の中で特に示されていない(か、私が見逃したか)ので、私の勝手な推理です。
冴えない女子であることを自負するすずは、仮想世界<U>で自分の分身が歌姫「ベル」という突出した存在になったことに、とまどいと違和感を持っていたという前提があると思います。
その状態で出会った「竜」という存在。仮想世界<U>においては「ベル」と対局ではあるけれど、また別の意味で突出した存在です。
自分と同様に仮想世界<U>において突出していて、他人を寄せ付けようとしない謎の人物。
「仮想世界」という、繋がりで成り立っている世界にいながら、誰にも心を開かないという姿勢に、現実世界における「すず」が共鳴したのではないでしょうか。
②すず(ベル)が「竜」と交流を深めていくということ
「美女と野獣」へのオマージュのようなエピソードや画面展開があるせいで、恋愛に至る関係を育んでいるようにも受け取れますが、私はそうではないと思います。
すず(ベル)は、孤独で傷ついている自分自身を「竜」に投影しているのです。現実世界のすずも助けられたい、癒されたいと心の底では願っているのですが、父親や幼馴染から差し出された手を、どうしても握ることができません。自分自身に対する無価値観のようなものが、すずの日常生活から垣間見えます。
だから、「竜」の心を開きたい、信頼関係を築きたいという行動の根本は、自分自身に対してそうしてあげたい、そうして欲しいという願いの現れです。すず(ベル)は自分自身の代わりに「竜」を癒そうとしたのです。
③すず(ベル)が自らをアンベイルするということの葛藤
このシーンは本当に素晴らしいシーンでした。
現実世界の「竜」と本当の信頼関係を築くためには、現実世界の「すず」として、ありのままの自分を見せるしかない、という幼馴染のしのぶくんと、
そんなことをしてはいけないと、必死で止める親友のヒロちゃん。
ここで女性である私は、吐き気がするほど「すず」や「ヒロちゃん」の恐れていることがわかってしまうのです。
女性は物心ついた時から、常に容姿ジャッジを受け続けています。
男性ももちろんそういうことはあると思うのですが、女性に対するそれの比ではないのです。
思春期にもなると、客観的にみた自身の容姿のレベル、そのレベルに応じた社会における立ち位置のようなものを勝手に学習してしまいます。
現実世界の「すず」は冴えない女の子です。同じ学校のモデルのような女の子を羨む言葉からも、すずが自分の容姿に対してコンプレックスを持っていることがわかります。
対して、仮想世界の「ベル」は多くのひとから支持される容姿と歌声を持った魅力的な存在です。その「ベル」が冴えない田舎の女子高生だとバレてしまうこと、それは「死」を意味します。
これまで自分を支持してくれたひとたちが、手のひらを返すように自分を貶め、「嘘つき」と批判を浴びせる様がありありと想像できたのだと思います。
そのイメージを、同じ女性であるヒロちゃんは共有できます。だから必死で止めるのです。でもしのぶくんは共有できない。なぜなら男性だからです。
だからこそ、このシーンは感動するのです。
多くのひとが、ありのままの自分では愛されないという恐怖感を感じています。
私も、もちろんそのひとりです。
ここで、すずは「竜」を助けるために、「竜」に信頼してもらうために、ありのままの自分を開示することを決意しますが、先ほども書いた通り、「竜」はすず自身です。
すずは、生きるために、自分を助け、自分自身との信頼関係を取り戻さなければいけないという切迫した思いにより、ありのままの自分を世界に見せることを決意します。
その結果、ひとびとは、ありのままのすず(ベル)に感動し、その歌声に、その在り様に涙を流します。
ありのままのあなたは、ただそのままで美しい。
それが、今回の映画に込められたメッセージだと思うのです。
④「竜」を助けるすずとその後
みんなのチカラを借りて、すずは現実世界の「竜」に辿りつきました。
虐待をする父親と
無垢な弟と
弟をかばう「竜」
この3人は、3人とも「すず」自身です。
母親が他の子どもを助けたことにより亡くなってしまったことから、すずは亡くなった母親を責めるのと同時に自分自身を責め続けたのだと思うのです。母親は自分のことを大事に思っていなかったのか、もっと賢ければ、可愛ければ、言うことを聞いていれば母親は自分を捨てなかったのか。そのような自虐的な問いが、すず自身を苛み、自分自身をケアすることすら疎かにしてしまっていました。この姿は、虐待する父親と重なります。
その責めを受け、無垢な弟をかばう「竜」もすず自身です。
自身の奥底にある魂が傷つかないように、必死で庇い続けます。
けれど、弟をかばうために発した自分自身の言葉が、実は本当に自分を傷つけてしまうのです。
すずは、自分を守り、自分を傷つける自分自身と対峙するという決意を示すために「竜」のところに駆けつけるのです。
この世代の子どもたちを主人公とした作品では、よく友達同士で協力して敵に立ち向かうようなシーンが見られますが、この作品では主人公であるすずが、たったひとりで暴力をふるう父親に立ち向かいます。幼馴染や親友はついて行きません。
これは、すずの問題で、すず自身が向き合い、すずが勝たなければ意味がなかったからなのです。
だから、すずの気迫に圧倒された父親が逃げ出し、
「竜」ががんばって状況を改善すると宣言したところで、このシーンが終わるのです。
現実的に考えると、虐待された子どもたちがどうなってしまうのか、心細さを残す最後となっていますが、これはすず自身の心の内側で起こった戦いと勝利宣言なので、これでいいのだと思います。
ありのままの自分として、自分と信頼関係を築けたすずは、やっと等身大の自分として自分の人生と向き合うことになります。
というわけで「竜」はすずの分身なので、恋愛関係になることはなくって、恋愛関係になるとしたら、幼馴染のしのぶくんかな~というのが私の感想です。
というワケで、
私にとってこの映画は
生きるために、自分を開示し、
自分と戦って打ち勝った素晴らしい女の子のお話でした。
あーーーー面白かった!
二度三度と観たい、良い映画でした。