見出し画像

会社員時代に思う。

16年間勤めた会社を辞めて、3年経ちます。
会社を辞める時には、上司からずいぶん慰留されました。その頃はのほほんと「わたしが結構仕事できるから、みんな困っちゃうのかなぁ?」と思っていたのだけど、今思い返すと心配されていたのだと気づきます。50歳過ぎで、プログラミングなどのIT系の技術をいっさい持っていないおばさんが会社をやめたら、スーパーのレジ打ちぐらいしかできないのではないか?それだったら、会社にいればなんとか守ってあげられる。特にそんなことを頼んだ覚えはないけれど、ちょっとそういう男気のある上司でした。
ちなみにわたしは、学生時代にスーパーのレジ打ちのバイトに応募したものの、計算が遅すぎたせいで不合格だったし、いまだにスーパーに夫と行くと袋詰めを止められるので、「スーパーのレジ打ちぐらいしかできない」のではなく「スーパーのレジ打ちすらできない」が正しいと思います。

勤務していた16年間の間に、会社から自転車で15分の場所にマンションを買いました。会社を辞めた今も、会社とその最寄り駅はわたしの生活圏内なので、けっこうな頻度で元同僚と顔を合わせることになります。

といっても、ちょっと驚いた顔で目礼するぐらいで何を話すわけでもありません。ただその一瞬の出来事は、わたしに会社時代の自分を思い起こさせます。

主観的にも客観的にも、ずいぶん気楽な会社員でした。特に何ができるという訳でもないのに好きなようにやらせてもらっていたし、裁量の範囲を超えてまぁまぁ偉そうにやってた気がします。

けれどわたしは、不満足でした。
その理由は、2つの相反する願望でした。

ひとつめは、「承認されたい」「認められたい」という願望です。
好きなように仕事をしていたわたしですが、それなりにがんばっているという自負もありました。会社員として、○○という成果を出した人として、もっと認めてもらいたいという願望、膨れ上がった承認欲求です。
会社は、生簀の中の魚に競わせて生産性を上げようとします。自分ひとりなら機嫌よく仕事をしていられたかもしれませんが、誰かと自分を比べてしまうと、どうしても他者の評価が耳に入ってきて、自分は評価されていないのではないか?もっとがんばらないといけないのか?がんばってもムダなのか?などと心のどこかでいつもモヤモヤしていました。

そんなふうに、役割を通した自分を認めてもらいたいと強く感じながら、もう一方では「役割から自由でいたい」「承認なんてされたくない」と強く願っていました。毎日会社に縛り付けられている9時から18時が苦痛で、とんでもなく人生を無駄遣いしているような焦燥感を感じていたのです。

あの頃は、自分の中でとぐろを巻いているそれらの願望を言語化することができず、必死で抑えつけて、そんな願望まるっきりありませんという顔をして生きることしかできなかった。どちらもあっていいんだと、そう自分に言えるようになったのは、つい最近のことです。

たまに出会う元同僚たちは、ガチガチの鎧を着てろくに息ができなかったあの頃のわたしを思い出させてくれます。
そしてあの頃があったからこそ、わたしは毎日ように自転車で走り回りながら空を見上げて深呼吸できるのだと思うのです。

今日のイワハシ…
10日ほど前から腹痛で熱を出したりしていましたが、病院に点滴に通ってなんとか落ち着きました。お医者さんに「虫垂炎かもしれないから、取っといたら?」と軽やかに提案されました。

1月22日4時10分、ヒューマンデザインにおける新年「レイヴ・ニューイヤー」を迎えました!!
そこに合わせて、お年玉企画を開催しようと思っていたのだけど、そんなこんなでタイミングを逸しておりました
…が、しかし!!
なんとか回復してきたので開催します♡

テーマは
【2025年はあなたにとってどういう年になるか?】

詳しくは公式LINEでお伝えするので、興味がある方はぜひご登録くださいね。


公式LINEはこちら

いいなと思ったら応援しよう!

すがこ
サポートいただけると、とっても嬉しいです!いただいたサポートは、良きエネルギーとして循環するよう、素敵なことに使わせていただきます。