別居2ヶ月目~3ヶ月目、GW(アラフォー男)

義父、妻との面会から1か月。
体重はこの時点で別居前より4kg落ちました。

新しい職場では仕事もかなり振られ、忙しい日々を送っていましたが、
仕事が手につかない日々が続きました。
寝ても覚めても妻と子どものことばかり。

不安、孤独感、喪失感、絶望感…そんな負の感情が波のように押し寄せてきます。
帰宅するたび、
「帰ってきてないかな?」と玄関に電気がついていないか期待するもそんなことは当然無く。

ゴールデンウィークの前には動悸、めまい、冷や汗が止まらなくなり、薬を飲んでも眠れない日々が続きました。
この年のGWは本当につらかったです。その前の年のGWは子ども達と一緒に遊んだり家族で近くの公園にピクニックに行ってご飯を食べたりしていたので、そんなことを思い出しては落ち込みました。

GWが明け、何気なしにコンビニで住民票を取ってみました。
3月末にはまだ4人の住民票でした。
嫌な予感は的中し、住民票は自分だけになっていました。

家でひとりでワンワン泣きました。子ども達の名前を叫びました。
ですが、物の無くなった部屋は声が響くんですね。
返ってくるのは自分の叫びの響きだけ。
それが余計に孤独感を増大させます。

することもないので、和室でふすまを閉め、電気を真っ暗にし、夜は6時か7時には床につくようにしていました。
当然眠れず、明け方6時ぐらいまで目が冴えているのです。
ようやくウトウトし始めたかと思うと、1日が終わり仕事に行く時間です。

この頃、社会人になって初めて寝坊しました。
前日に全く寝付けず、朝、スーツに着替え、電車の時間までソファで座っていたらいつのまにか寝過ごしてしまったのです。
慌てて会社に電話し、午前休にしてもらいました。
それまで一度も遅刻をしたことがなかったので、ショックでした。

ある日、少し難度の高い仕事が下りてきました。
「これは今の自分では処理できない」
即断し、上司にこれまでの事情と今の自分の精神状態を打ち明け、他の方に振り直してもらうようお願いしました。
自分は涙を流しながら上司に話したのを覚えています。

昼食は、カップ味噌汁も飲めなくなり、コンビニのホットコーヒー1杯だけで過ごす日々になりました。

5月も半ばになった頃、
妻から「子ども達の扶養を自分に移したい」との連絡がありました。
ショックでしたが、別居して住民票も移されているため、断ることもできません。やむなく同意し、扶養を妻に変えました。

6月は子どもたち2人の誕生月です。

これはもう自分は持たないかもしれない。

そんな予感がしていました。

次回に続きます。

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