NPO法人"抱樸"による「希望のまちプロジェクト」を応援したい理由
幼い頃に観た「仮面ライダー」の一場面だったと思う。
ラスボスが暴れ回り、すでに3万人以上の犠牲者が出ている東京。
主人公は最後の戦いに向かう前に、小学校時代の恩師に対面する。
外は大雨。
彼らは誰もいない教室の中で、戦いの前の不安からかうまく言葉を発することができない。
ふと教室の壁に貼られた習字の作品に目をやると、そこには躍動感にあふれた「希望」という文字が。
主人公はこう漏らす。
「なんかこう…”きぼう”って感じがしますね。」
恩師もこう返す。
「そうだな…”きぼう”って感じがするな。」
ようやく二人は笑い合い、主人公は戦いの場に向かう。
「希望」という言葉は、なんだか口にするだけで前向きな感慨を得られると同時に、どこか捉え所のない曖昧さも孕む。
それゆえに、俺たちが思う以上にそこに重みを、実感を持たせることが難しい言葉であるようにも思う。
そんな言葉が、北九州の某所で一つの”かたち”を得ようとしていることをご存知だろうか。
困窮者支援NPO「抱樸(ほうぼく)」が進めている「希望のまちプロジェクト」がそれだ。
抱樸は、牧師の奥田知志氏が1988年に開始した路上生活者の方々への声掛け活動を前身とし、2000年にNPO法人として設立された困窮者支援団体だ。
ホームレス状態の方への支援活動が主ではあるものの、その活動の軸は単なる困窮者支援の枠を超え、いわば”自己責任社会を転換すること”そのものへ広がりつつある。
2019年、その「助けてと言える社会」を創るための第一歩として抱樸が開始したのが「希望のまちプロジェクト」だ。
概要をお読みいただければ分かるとおり、「希望のまち」は単なる「支援施設」ではない。
誰もが家族のようにつながることができる、文字通り「まち」を作るのだ。
ある時は子供達の遊び場に、ある時は地域住民のためのコモンスペースに、ある時は若者たちのためのカフェにもなる。
困りごとを抱える人の相談窓口になることもあれば、災害時には避難所にもなれる。
「困った時だけ行く場所」ではなく、「普段からゆるいつながりを作れる場所」であることに「希望のまち」の特徴はある。
加えて言えば、「希望のまち」の建設予定地はあの特定危険指定暴力団「工藤會」の本部跡地である。
暴力団が行き場のない者たちを引き受ける受け皿になってきた面もある、という人がいる。
だが、行き場がなくなってしまえば裏社会へ身を投げるしかない、という社会の構造自体が間違っているのではないか。
どのような状況に陥ったとしても、その人を見捨てずに繋ぎ止めておくための機能が社会には必要だ。
若者の多くがが闇バイトや売春に手を染めてしまう2024年の日本で、「希望のまち」はそんな問いを投げかけてもいる。
関東に住んでいる俺が北九州にあるNPOの、さほど頻繁に行くこともないであろう場所における「まちづくり」をなぜこんなにも応援したくなるか。
それは、「希望のまち」のキャッチコピーである
「わたしがいる あなたがいる なんとかなる」
この18文字に、「"きぼう"って感じ」の一つの手触りが理解できた気がしたからだ。
その手触りが少しでも伝わるよう、これまで誰にも打ち明けてこなかったことをここに記しておきたいと思う。
2021年から2022年春頃まで、俺は生活保護を受給していた。
前職での生活の中でうつ病を発症し、休職と復職を繰り返したものの状況は好転せず結局退職。
新卒の身分で受け取っていた給与は決して高いものではなく、蓄えていたお金は治療代や全く動けない状態での生活費であっという間に底をつきていた。
父親が度々援助はしてくれたものの、そもそも油断すると電話が止められるような実家の経済状況で多くを要求することはできない。
社宅を出なければならないが、関東に留まるにしても実家に戻るにしても、こんな状況で引越し代など捻出することもできない。
様々な抜け道が塞がれている中で、家族と相談し受給を決めた。
もちろん、生活保護の受給そのものはなんら恥ずべきことではない。
頭ではわかっているつもりでも、ここ十数年間この国で、その制度に植え付けられたスティグマは相当なもので、俺ですら周囲の視線を勝手に敵意や見下しに変換していた。
生活保護制度は引越し代を全額補助してもらえ、医療費は無料となる(ただし、役所から通院するごとに医療券を受け取らなければならないので、突発的な事態が発生した際には困る)。
だが、引越しはなかなか審査が通らず何軒もの不動産屋に頭を下げて回り、信頼していた病院は医療券非対応のため、転院しなければならなかった。
「当たり前」が通らない身分になってしまったんだ、と絶望した。
救いだったのは、役所の担当ケースワーカーさんが温厚で親身に接してくれる方だったことと、転院先の病院が結果的に自分に合う投薬法などを考えてくれるところだったことだ。
それでも近所のスーパーに行くだけでも、なんだか自分が生きていて申し訳なくなるような罪悪感やモヤモヤは消えなかった。
この時期、支えになったのは友人たちの存在だった。
良くも悪くも人間関係が篩にかけられた。
表面的に友人面をしていた連中はあっという間に離れていったが、ごく少数は変わらず残ってくれた。
心身ともにボロボロの状態だったのを、ドライブに連れ出して励ましてくれた大学時代からの友人。
たまには飲みに行こうと声をかけてくれた関東関西の「音もだち」。
SNSを通じて連絡を絶やさず取ってくれた地元の幼馴染たち。
彼らだけはこの先何があっても裏切ってはならないと、心の底から決心させてくれた。
体調が回復してからは生活保護を抜け、失業給付を受けながら約1年転職活動に励み、給付が切れるギリギリのタイミングで今働くレコードプレス事業に拾っていただいた。
こう書いてみると俺は運がいい。
もし、受給を申請した役所が、保護費削減のために様々な不正を行っていた群馬県桐生市のようなところだったら。
もし手を差し伸べてくれた友人のうち、誰か一人でも欠けていたら。
もし転職活動のタイミングで、今の会社が募集をかけていなかったら。
今こうやってnoteなど書けていないかもしれないし、なんなら生きていたかどうかすら怪しい。
だからこそ、「あの時の経験があったからこそ」とこの経験を美化する気持ちはないし、周りの誰にもそれを許したくはない。
幸運にも俺自身助けられたとはいえ、生活保護制度には課題も多いし、世間からの偏見も未だ根強い。
お笑い芸人の母親が保護を受給していたこと(これはなんら”不正受給”などではない)が拡散されたことをきっかけに、一部の自民党議員を中心に猛烈なバッシングが展開され、スティグマはさらに強化された。
「外国人が不正受給をしている」「子供が多ければ悠々自適に暮らせる」などのデマも相変わらず絶えない。
何ら問題なく受給している人々に対しても、「本当に困窮していたらこんな贅沢な食事はできない」などと、実態を知らない者が勝手に貧困の線引きを規定するような言説が巷には溢れている。
そのことでむしろ、受給すべき側の人々の方が、ネガティブな偏見を強く内面化している(させられている)場合もある。
支給される保護費は、ネットで書かれるような余裕のある生活を保証するものでは決してない。
2021年ですらギリギリだったのだから、物価高騰の甚だしい今日では、その生活はさらに厳しいものになっているはずだ。
それどころか、この状況で財務省は更なる保護費引き下げを主張しているとも聞く。
受給者や支援団体が全国各地で訴訟を起こし、どうにか水準が保たれている状態なのだ。
あまりにも「助けて」といえる場所が物心両面で少なすぎるし、それを受け止めるセーフティネットも穴だらけ、ボロボロなのが、先進国を標榜している日本の現状なのだ。
だからこそ、
「わたしがいる あなたがいる なんとかなる」
この言葉に出会ったとき、「ああ、そういうことなんだ…」と目から鱗が落ちる感覚になったのだ。
「なんとかなる」という言葉は、誰かと繋がっていなければ決して発することのできない言葉だ。
そして、「希望」の実態とは集約すれば、「なんとかなる」という言葉を口に出せることそのものなのだ。
2024年9月から11月にかけて行われた「希望のまちプロジェクト」のクラウドファンディングには、約5,000人近くが参加している(俺もその一人だ)。
数百万円規模を寄付している企業・団体などを除けば、一人当たりの寄付額の中央値は数千円程度になっているはずだ。
決して一人で社会を動かすほどの発言力や経済力はなくとも、「なんとかなる」と言いたい、願いたい人たちの心のこもったお金が1億円も集まった。
これがどれだけ途方もないことなのか、正直誰も頭の理解が追いつかないのではないかと感じる。
それだけ多くの人々が、荒涼としたこの国にあって「希望」を求めていたのだ。
クラウドファンディング最終週となった今週、中目黒のセレクトショップ「Dept」で、寄付を募るためのフリーマーケットが開催された。
会場に展示されていたのは、抱樸の活動年表と、それを囲むように関わってきた方々の顔、顔、顔…
「希望のまち」を生むずっと以前から、抱樸は「希望」を生み続けてきたのだ。
眺めているうちに胸が熱くなった。
世の中を良くしていくのに、一人でできることはあまりにも少ない。
時に陰で笑われるし、「思想や信念だけで世の中は変わらない」と冷たい言葉を浴びることもある。
とりわけこの国では、誰かを助けたい、自分たちが暮らすこの場所をよくしたいとの思いが簡単に嘲笑され踏み躙られる。
あるいは少しでも休めば「お前らは”本気”じゃない」と揚げ足を取られる。
そういう奴らには耳元で、声を大にして言いたい。
「”思想”も”信念”すらもねえお前らには、一体何ができるんだ?」と。
零細企業で働く自分はたいして経済力も持たないし、執筆中の書籍も完成はまだまだ先になりそう。
正直、働くことよりも酒を飲みながらレコードを聴くことの方が好きな怠け者根性だってある。
まだまだ決して社会に対して影響力がある人間ではないことは、誰より自分が自覚している。
それでいてなお言いたい、俺の唯一の武器にして特権は「書けること」だと。
生活保護の件は、可能であれば墓場まで持って行こうと思っていた。
それでもそれを今日書こうと思ったのは、大きな金銭的サポートができない代わりに、抱樸が投げかける「希望」というものについての問いに、自分なりの形で答えたいと思ったからだ。
例え不確実な「運」に恵まれなかったとしても、「つながり」とそこから編み上げられる「希望」に触れ、「なんとかなる」と言える人が、一人でも増えるように。
自分もまた「つながり」に救われてきた一人だと表明すること。
これが俺にできる精一杯のサポートだ。
(抱樸の方々にしてみればありがた迷惑かもしれないが…。)
「希望のまち」は2025年1月から施設の着工に入り、2026年秋ごろに完成予定だという。
完成の暁にはぜひ、自分も駆け付けたい。
「”きぼう”って感じ」、それを少しでも生み出す手伝いさえできれば、仮面ライダーに変身できなくても、特別な力を持たなくても誰かを助けることができる。
そんな場が生まれる瞬間に立ち会ってみたいから。
これからも、関東から自分にできるお手伝いをさせていただきます。