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「”家族”として生きている人を私は大切にしたいから」

これは、今後きっと何度も悩むことになる”家族の死”や"最期"、
"介護"、"家族とは"について。
一ヶ月以上かけて悩みながら書いた、忘れてはいけない感情についてです。
私の書く内容は、あくまで私の、私だけの気持ちなので、どうか。
どうか、個人の意見として受け止めいていただけると嬉しいです。

実家にいる祖母が認知症になった

実家にいる祖母が認知症になって、早5年ほど。
家族の誰も分からなくなって、お家を職場だと今は思っているらしい。なんというか、切ない。

4年前、
最初に祖母から忘れられたのは実の娘である私の母だった。

私は一人暮らしをもう6年以上していて、実家の内情なんて知らなくて。
年に数回帰省した時と時より電話をした時に母が話す愚痴にしかそのくらいで。

気付いた時には、お金が盗まれたとよく騒ぐようになった、だとか。いつも行っていた病院に行きたくないと泣きながら反抗するだとか。
お風呂なんて、一年の間に1回程度しかはいってないだとか。
そしてその中に、母のことが、わからなくなったという話を聞くようになった。

母のことが分からないのに、私と兄のことは分かっているようで
わたしがまだ大学生のころ帰省したとき、祖母の得意なオリガミを一緒にした。(トップの写真はそのときの。)
実際、祖母の記憶に孫娘の”高瀬”がいたのかはわからないし、
「れいちゃんは、折り紙が上手ねえ。」
と、”れいちゃん”をみてふわりと笑ったのはもしかしたら”わたし”ではないのかもしれないけれど。
でもこれが、祖母…いや、おばあちゃんとの最後の思い出。

ソノ、権利の話

おばあちゃんとおじいちゃんと、
お母さんとお父さんとお兄ちゃんで6人で小学生の頃から一緒に暮らしていたから、うざいも嫌いも通ってきたし、喧嘩だってしてた。

ご飯を食べていた時に口うるさく言われた言葉遣いのことや身なりのこと、うざったくてお茶碗を音を立てておいて苛立ちのままに階段をあがった。
本当に腹が立った時は、暴言を吐いてしまってそのまま外に出てったっけ。
全てがおばあちゃん、ではないけれど(おじいちゃんの場合が八割)

でももう、喧嘩さえもできない。

一人暮らしを始めた大学一年生の頃からずっと思っているけれど、正直、私は余所者で。
何も言う権利はない、と思っている。
そう言うと友人たちには笑われてしまうけれど、私が余所者であり権利がないと思っている気持ちは変わらないしなんとも言えない気持ちになってしまう、

実家から出て、多分、もう実家を帰る家とする日は来ないだろうし(旅行や帰省を除き)、つまるところソノ権利がないと思っていた。

でも。
去年、2年ぶりに実家に戻った時の空気やストレス。

高校生の頃、毎日みんなで囲んでいた食卓なんて何処にもない。
全員が同じ部屋にいることもない。
みんなで買い物に行ったり、ご飯を食べに行くこともしない。
みんなが大人になってしまった、というのは勿論あるのだけど。それだけじゃない、何か溝ができていた。

「 おばあちゃん 」、「 家族 」、「 わたし 」

お母さんが、「あたしのせいでもあるんだよ、」と責めたり、おじいちゃんがおばあちゃんに対してきつく当たってストレスで家中のお酒を飲んでいたり。
お兄ちゃんはおばあちゃんをほとんど居ないものとしていたり、お父さんは掃除をしているだけで泥棒扱いをされたりする。

いつか、壊れてしまうよ。こんな生活。と思わずにはいられなくて。
ずっと、こんな状態で” 家族 ”という形を、体裁を、とっていたのか。

特におじいちゃんもおばあちゃんも80半ばをすぎているから、明日何が起きてもおかしくない訳で。
おばあちゃんに何かあった時、おじいちゃんはきっと気に病むし辛くなるだろうな。
でも。おじいちゃんに何かあった時、おばあちゃんはきっと何も変わらない。

60-70年くらい一緒にいて。最期はそんなの悲しすぎる。

そしてソレが起きた時、お母さんはおばあちゃんの介護のために仕事を辞めなきゃいけなくなってしまう。
お母さんはそれを怖がってた。
なぜか、お母さんに対しては気が強くあたるおばあちゃんがいて、言ったって何分か経てば忘れてしまうおばあちゃんに対して本気でぶつかるのはメンタル的にしんどいのだろう。当たり前だ。

家族って、なんなんだろう。
これって、本当に家族なのかな。
一緒に暮らして、誰かが寝たきりになったら必ず介護に家族が入って面倒を見て、それでその介護に当たった家族が自分の時間を削って失って、
私にはわからない。それって家族なのかな。

だから。聞いてしまった。

「お母さん、」
「今、おばあちゃんが亡くなって、悲しむ人はいるのかな、」

お母さんだって辛いはずなのに。
それでも我慢できずに、踏み込んだ。

「いないよ。」

お母さんが言ったその四文字の冷たさと、諦めが、この現状をどうにかしなきゃいけないことを示している気がして。

「”家族”として生きている人を私は大切にしたいから。
考えどきなのかな、って思うよ。」

おばあちゃんを家族だと思っていないわけではないし、家族だからこそこうやって悩んでいるんだけど。
でもやっぱり、向き合える人を、”家族”と呼びたくなって。

どちらにせよ。
現状をパッと変えられるほどのナニか、は、ないから。だから今も答えを探している。

認知症のクスリって、

ずっとかかりつけ医の方から紹介をしていただいて、脳外科系のお医者様に一度見てもらったらしく、おばあちゃんは認知症のお薬を服用している。のだけど。

認知症のお薬は、症状を悪化させないための薬だ。
悪化してしまった症状をよくするための薬ではない、というのが前提条件にある、らしい。(この辺りのお話は、お医者様・専門医さんしか正解はわからない)

詰まるところ、お母さんを忘れてしまったおばあちゃんが使ってもお母さんを思い出すことは基本的にないし、他の家族の記憶が戻るわけでもない。
個人的には、延命治療に近いのかもしれない、と度々思ってしまっている部分もあって。
それに誘発されるように、前述した言葉をお母さんに告げてしまったわけで。

難しい場所に、来てしまったなあ、と思ってしまう。

現状回避は難しいし、今後を考えると後ろ向きになるけれど。

母についても、祖母についても、他の家族についても。
結局のところ、着地点が決まっていないということと、休みが不定期になってしまっていて余裕がない&世の中&祖父の祖母の状態理解が微妙でどう扱っていいのかわからない、等の問題は解決できていないし、この先も誰かが死んでしまうまで。祖母が、祖父が、母が、父が、兄が、私が、なんらかの理由で立ち止まり向き合う必要があるのだと思う。

言うのは簡単だけどね。


いつか、お母さんもわたしのことを分からなくなってしまうのかな。
いやだなあ。お願いだから、忘れないで欲しい。
わたしのことは、「れい!」ってちゃんと呼んで欲しい。
いつまでだって、流行ってるコスメとか
すきな俳優だとかどんな曲がいいだとか。
死ぬほどくだらない話をしたい。
おばあちゃんがこうなってしまってから、そう願う日が増えた。
どうか、わたしのお母さんのままで。だいすきな貴方のままで。

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家族みんなが、どうか、できる限り長くお互いの記憶を持って。
笑い合えますように。

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