【終焉の築地市場②】トミーナのワタリガニのパスタ
正門から築地市場に入ると、商店街のように店店が立ち並び、そこへ観光客が列をなすという光景に圧倒され、その周辺をぐるぐる回ったり、適当な店に自分も並んでみたり、ということがある。私だけじゃないと信じたい。
が、心を落ち着けて、さらに奥へ奥へと進んでいくと、店店が固まったエリアとは少し外れたところに、数件の飲食店が並んでいるのが見えてくる。
あの有名な吉野家一号店もそこにあるのだが、あえてスルーして、入店するのは築地市場唯一のイタリアン、トミーナである。
イタリアンといえど、築地市場らしく、席はほぼカウンター。
だけどメニューに並ぶのはマルゲリータやカルボナーラなどの横文字ばかりで、それだけで周囲の店とはなんとなく異なった雰囲気がする。
テレビで「9○歳(失念)のピザ職人!」などと特集されたこともあるという(ネット情報)看板おばあちゃんはご出勤されている。
「海鮮ピザ」という思わず寿司ネタを連想するような、イカした名前のピザでもいいなと思ったが、生来の麺好きがムクムクと顔を出し、季節限定のパスタメニューから目が離せなくなった。
「ワタリガニのトマトクリーム 2600円」
……
……
…………2600円!?
千の位の数字が、私がこれまで食べてきたランチと違う。
入り口付近の寿司やさんのおすすめ握りは数十食限定で2400円だった気がする。
時価? 時価なの?
カニは大好きだ。
小さい頃は大晦日にしか出てこないごちそうだったから、おせちよりよほど楽しみにしていた。
北海道出身の舅ができてからは、我が家と実家の両方におすそわけしてもらえるようになって、弟と二人で小躍りした。
「そんなにカニ好きじゃないんで」
とのたまう旦那に、「持てるものは幸せに気づかない!」と説教したっけ……。
話がそれた。
うーん、2600円かー。
でも、ここでケチって季節限定商品を食べ逃したら、そもそもこの自分企画の趣旨からずれてしまう。
500円くらい安い牡蠣のパスタにも心惹かれるが、「最高金額のあれはどんな味がしたのだろう……」なんて思いそうだ。
いざ頼んで、「カニすくなっ!!」てなったら嫌だなぁ(←あるある)……。
しばし思いを巡らせたが、決め手は隣に座ったおじさんのコールだった。
「ワタリガニ!」
わ、私も負けずに!
「ワタリガニおねがいします!」
***
結論からいって、2600円は全然高くなかった。
パスタ、どこ?
カニが入ってる、というレベルではない。何らかの偶然によりカニが皿の上からどかなくなったように見える。どんな偶然だ。
写真の右上に写るのはフィンガーボウルである。「フィンガーボウルです」と差し出されたときには「どういうことだ」と思ったが、フォークと共に差し出された尖った棒を見て意味がわかった。
これあれだ、カニを掻き出す、あれ!
カニ経験値が低すぎて名前が出てこない。
要するにこのパスタは、カニの身を自分で掻き出し、それをスパゲッティと絡めて食べるパスタなのだ!
おそるおそる甲羅を持ち上げると、当然ながら出てきたのは、湯気を上げるおいしそうなパスタである。
トマトとニンニクの香りの合間から、カニ出汁の香りまでもが漂う。
殻ごと炒めたカニって、すごい出汁が出るんだな。一口食べたパスタが、既にものすごく「カニ!!」だ。まだカニ食べてないけど!
パスタには申し訳ないけれど、とりあえずカニにとりかかる。 胴体、足、甲羅の味噌と、どこもかしこも身が入っているから、どこから攻めれば……とありがたくも悩ましい気持ちになる。
来店するなら、時間に余裕のあるときの方がいい。
カニ一匹、ほぐしながら食べるくらいの時間。
胴体の身をようやくほぐし、フィンガーボウルで指をすすいでタオルで拭く。この時点で水は油だらけだしタオルも赤い(トマトソースで)。
この身をパスタとソースに絡めて口の中へ……。
カニですね。
私今、カニを食べています。
カニのパスタではなく、パスタそしてカニを食べている!
***
そうしてしばらく私は、カニをかきだしては→パスタを食べるという幸せに忙しいマシンに成り果てた。
ふと見ると隣のおじさんも、カニの殻をバリバリ折りながら、身を掻き出すことに熱中している。
ありがとう。私、おじさんに勇気をもらったお陰でランチにカニ食べてるよ。
心の中で声をかけつつ、私は皿の中身を空にすることに没頭し続けたのだった。
サポートをご検討いただきありがとうございます! 主に息子のミルク代になります……笑。