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ヨーグルト、それは無償の……

子どものころ。
夜に冷蔵庫を覗くと、そこには必ず、ガラスの器に移されたヨーグルトが入っていた。
朝早く出勤する父の分だ。

それは両親が結婚してすぐに始まった習慣だという。
父の出勤時間に合わせて起きようとした母を、父が止めた。

自分は朝、食欲が湧かないタイプの人間だから、朝食を作ってもらう必要はない。俺に合わせてわざわざこんな早くに起きることはないんだよ。ヨーグルトだけ買っておいてくれればいいんだ。実家でもそうしていたんだから――。

そこで母は、夜のうちにヨーグルトを器へ盛っておくことにした。
涼しげなガラスの器を選んでラップをかけて、盆の上にはスプーンもセットして。
父が朝、それを取り出すだけでいいように。
ヨーグルトの上には専用の砂糖だったり、フルーツソースだったり、父が趣味で作ったジャムだったり、そのときどきの父の気に入りの味が載せられていた。

ほかの家族が起き出すころには、父はとうに家を出ている。
流しには、空っぽになった器とスプーン。
それは毎朝交わされる「行ってらっしゃい」「行ってきます」のあいさつだったのかもしれない。

そんなわけで、我が家からヨーグルトが切らされることは一度もなかった。

***

食欲というものが遺伝するのかどうかは知らないが、弟も父と同じく、起きてすぐに何かを食べることが苦手なタイプだ。

就職して、弟はかつての父よりもさらに早い時間に家を出るようになった。案の定、何も食べずに家を出ようとする弟に、母は
「ヨーグルトだけでも食べていけば?」
と提案した。

そうして、母はやっぱり、毎晩弟のためのヨーグルトを用意するのだ。

なぜヨーグルトはこんなにするりとのどを通っていくのだろう?
パンが食べられなくとも、野菜炒めが食べられなくとも、ヨーグルトはすいすいと体の中へと入ってゆくのだ。
腸内フローラとか、免疫力とかを知らない頃から、それはとても体によいものなのだという認識があった気がする。これさえ食べておけば大丈夫、というような。

甘党だった父とは異なり、弟は砂糖の入っていないトッピングを好む。カットしたバナナや、無糖の玄米シリアルを入れて食べているらしい。

空になった器を見て「ああ、今日も元気に出かけたんだな」とホッとするところまで、かつてのやりとりとおんなじだった。

***

結婚して家庭を持ってみると、家族に朝食を食べさせることがどれだけ難しいかを実感する。
起きる時間も違うし、おなかの空き具合も違う。

「ヨーグルトだけでも食べていきなよ」

かつての母のように声をかけてみるが、やはり忙しい朝。器にヨーグルトを盛る時間も惜しいらしい。
母が実行していた「器に盛る」というひと手間が、どれだけありがたかったか、そして相手のことを考えられていたか……。

じゃああなたも盛っておけばいいじゃない、とおっしゃるかもしれないが、そこは修行の足りない妻である私。
「自分でやらないなら食べなくて結構です!」
と、相手のためにかける夜の時間を惜しんでしまう。それなりに愛情深い人間だと自負するが、母のそれには程遠いのだ。

***

ちなみに私は特に朝早く出勤することも、朝から食欲が減退することもないタイプだったから、夜にヨーグルトを準備してもらうことはなかった。

……が、家を出て二年後。


私は朝から晩まで、思い切り食欲が減退する事態に陥っていた。
妊娠、そしてつわりである。

出勤時、自宅から徒歩15分の最寄り駅へと向かうのも難しく、私は毎朝、駅と自宅の間にある実家に立ち寄り、息も絶え絶えに小休止をとっていた。

当然何も食べていない私に、母は器を差し出し言ったのだった。

「ヨーグルトだけでも食べていきなよ」

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砂東真実
サポートをご検討いただきありがとうございます! 主に息子のミルク代になります……笑。