「言えるけど、言わない」を支えるおまじない。
見えるものや聞こえるもの、表現されたものの裏には、「あえて表現しなかったもの」があるんじゃないかと思います。
昔「どうしてそういうことを言うの?」と友人に泣かれたことがあります。当時は「えっ、なんで泣くの…?」と驚いたけれど、その経験はわたしに大切な気づきを与えてくれました。
思ったことを全部口に出すのが誠実だと思っていた時期がありました。しかし、どうやら正直さと誠実さは違うと気がついたのは高校生の頃。それまでは、「ズバズバ言える自分、かっこいい」とまで思っていたかもしれません。思い出すと、苦いものがこみ上げてきます。。
何を口に出し、何を口に出さないか。ずっと手探りで進んできましたが、ここ半年で出会った2つの言葉が自分の中で根を張りはじめています。
何を言えるかが知性、何を言わないかが品性。
やさしくあるためには、知性と想像力が大事。
何を言えるかが知性、何を言わないかが品性
これは、吉玉サキさんのnoteで知った言葉です。元々はスピードワゴンの小沢さんの言葉だそう。
「思う」と「言う」はぜんぜん違うし、何を言うかはちゃんと選ぶことができるよね、という話がされています。このnoteとの出会いはとても大きなものでした。こちらを読んでから、自分は何を言って何を言わない選択をするのか?その選択を支える知性や品性とは何なのか?と考えるようになりました。
「言える」を支える知性、「言わない」を支える品性は、それぞれ次のような意味をもちます。
知性
物事を知り、広く考えを巡らせ、判断する能力。
品性
道徳的な観点から見た、その人の性格や人柄。
「思う」から「言う/言わない」までの間には、「言える/言えるけど言わない」を検討する段階があります。「言える」の幅を決めるのが知性で、「言えるけど言わない」の境目を判断するのが品性だと思います。それを自覚してはじめて、迷ったときに何を「言う」か判断できるようになりました。
最近noteのコメント機能にやさしい確認画面が出るようになりましたが、これも「それ言えるけど、言わないことも出来るよ?大丈夫?」という選択肢の提示だなぁと思います。
もう少し調べてみると、知性、品性に共通する「性」とは、「生まれつき持っている心のはたらき」を指すそうです。
わたしの解釈ですが、知性や品性を磨くにはもともとある心のはたらきをよりよく活かすことが大事なのかなと思います。広く物事を知り深く考えること、自分の良心を自覚し俯瞰して見ること、これらを習慣づけるとだんだん変わっていくような気がしています。
そして、品性に着目したときに大事になるのが「想像力」だと思います。品性を磨くためには、他者の気持ちを想像する力が必要になってくるからです。
やさしくあるためには、知性と想像力が大事
この言葉に出会ったのは、GC編集部でcotreeのひらやまさんにインタビューさせていただいたときでした。
ー最後に、cotreeのビジョン「やさしさでつながる社会」について詳しくお聞きしてもいいですか?
個人的にも共感しているのですが、「やさしさって、知性と想像力が大事だよね」という話を櫻本がよく言います。(中略)やさしさで人と人とがつながるには、相手をイメージして、自分がどんなことができるかを考えるのが大事だと思っています。
「何を言えるかが知性、何を言わないかが品性」と「やさしくあるためには、知性と想像力が大事」という言葉は、本質的にとても近いことを言っていると感じます。「言えるけど、言わない」選択ってやさしいあり方のひとつなんじゃないかな。
「どうしてそういうことを言うの?」と言われた当時のわたしは、想像力や品性的なものが少し欠けていたのだと思います。反対に、「わたしはこんなことを言えるんだぞ」と知性をひけらかしていました。(それほど高尚な知性ではなかったと思いますが。。)
すべての場面で「何を言って何を言わないか」を考えることは難しいかもしれません。でも、ふとしたタイミングで立ち止まって考える経験は人生に必要な気がしています。
もちろん「こうあらなきゃ」と自分に厳しくしすぎると苦しいので、たまにはポンコツになる自分を許しつつ、おまじないみたいにこの言葉たちを覚えていたいなと思います。
何を言えるかが知性、何を言わないかが品性。
やさしくあるためには、知性と想像力が大事。
「あえて表現しなかったもの」には、その人の知性、品性、想像力が表れているのかもしれません。