ふしぎな生命体を見るように、自分を見る。
この前友達と話していて、「わたしは、あなたみたいに自分について考え続けるのは難しい。」と言われました。
君がくれたお手紙にも繋がりそうなので、ちょっと考えてみようと思います。この前は、まっすぐなお手紙をどうもありがとう。読みながら、君と過ごしてきた時間を思い出しました。
君が休職し病院に通っていると聞いたとき、わたしは「思ったより早かったね。」と言ったそうですね。うろ覚えなのもごめんだし、今思うと何様って感じだね。本当にごめん。
でも一応、わたしの言い訳も聞いてくれると嬉しいです。わたしはずっと、君が不思議でした。敢えて過去形にしちゃうけど、君、とても強かったでしょう。持病はあったけれどとても気丈で、学業にも部活動にも精力的に取り組んでいた。
いつも歩きやすいローヒールをカツカツ鳴らして、教材や部活道具でパンパンの鞄をいくつも抱えて、風を切って歩いてた。かっこよかったよ。
わたしは、あなたを「不思議な生命体だなぁ」と思って見ていました。強くて明るい生命体だなぁ。どうバランスを取っているんだろう、と。
明るい分の、闇はどこにあるのかしら。もしくはこれから出るのかしら。気になっていたから、心無いことをポロッと言ったんだと思う。ごめんね。
わたしはそういう風に他者を「不思議だなぁ」と見てしまいます。この世界は、わたしの物差しで測れない人で溢れている。価値観もキャパシティも違う、不思議な生命体ばかり。
そんな不思議な生命体たちと、どこかで地続きさを感じる瞬間があります。君のこともそうです。わたしはそれが面白く、嬉しいと感じます。わたしと君は全く違う生命体だけれど、どこかで繋がっているのです。
自分のいろんな面を知ると、他者との共通点に気づく機会が多くなる気がします。それが楽しいから、わたしは自分について考えるのが苦じゃないのかもしれない。自分のことも、不思議な生命体として観察すると楽しいです。
他者も面白いですが、自分を知ることはもっと面白いと思います。
人間は多面的で深度もさまざまな、不思議な生命体です。性質が変わるというより、引き出される面が変わり、深さが変わる。だから、生きているうちに「お前、変わったよな」と言われるようなことが起こります。
結局、どの面が出ているか、他者がどの面を見ているか、なだけだと思います。そういう意味では、どんな君も君で、どんなわたしもわたしです。こころとからだが離れていた君も、近づいて涙脆くなった君も、同じ。
君にはこれからも、揺れ動く自分の観察を続けてみてほしいなぁと思っています。新しいことが分かったら、また教えてください。
わたしもこの先どんな自分が出てくるのか、楽しみです。嫌な自分もいるだろうけど、それも引き受けて面白がりたい。まあ、自分と向き合うと辛いこともあるのだけど、辛いときは寝ちゃえばいいんです。
取り留めのない話をしてしまいました。次はもっと、くだらない話をしよう。秋が始まったね。体調に気をつけて、お元気で。
文通のお相手は大学以来の友人であるダー子さん。1ヶ月くらい返事空いちゃったけど、こんな感じてゆるくやっていこう。