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学びが遅れるって?

先日山梨に戻ってました。
理由は娘の来年の小学校入学のための小学校の体験会。
そう、僕は未生に山梨の小学校に行ってほしいなと今でも思っています。
これは博子との想いでもありました。
最近は東京の公立小学校でもいいなと思っているのですが、ここの小学校は定員オーバーで小学校の入学タイミングでないと入学できないというハードルがあるため体験だけはしてみてそれで娘に決めてもらいたいと思っています。選択肢を与えるのが大人の役目だと思うので。

その小学校の体験会での校長先生の話。とても心に響いたのでここでシェアします。

コロナ禍での学校の対応について。

国などは学校が開校できないことの一番の懸念事項が「学校がなければ学びが遅れる」というもの。
この考え方自体がそもそも「遅れている」と指摘したことでした。

ここの小学校ではプロジェクトという科目で学び、宿題やテストは全くありません。
子どもたちは自分たちで「1年を通じて学びたいプロジェクト」を決め、それについて学んでいく。大人たちはそこに教科教育を組み込んで教えていく。ここでは先生と呼ばれる人はいなく、皆愛称で呼び合っている。しかし目上の方々への敬意は子どもたちは自然と身につけている。

まぁそういったある意味特殊な学校ではありますが、そこの校長先生が上記のように「遅れている」と述べられたのです。

子どもたちを見ていると、子どもたちは学びたいと思った時には目の色変えてインプットをしてきます。子どもたちの時間(=命)を使ってやりたくもないこと(教科授業)を6年間もダラダラと続けるよりも、短期間に大量に一気に学ぶという姿勢が子どもたちには見られます。そうなると子どもたちの吸収力は強くて「○年生、○歳だからここまで勉強」といったようなつまらない制限をかけることなくどんどん学んでいく。
ここでは長年の経験から子どもたちの姿を見てきてその可能性を実証しています。たかだか数年勉学が「遅れた」ところで大した差にはならないとは大人になったら本当によく理解できます。
僕は生涯学びだと思っていますが、学びに遅すぎることはないと本当に思ってます。

学校では社会情勢的に閉校せざるを得ない状況になったようだが、校長先生としては子どもたちのために開校したいとずっと思っていたそうです。

改めて校長の考えに引かれたと同時にやはりこの学校に行けるといいなぁとつくづく感じました。

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