航空自衛隊 新隊員教育
私は、20歳の頃に航空自衛隊に入隊して、第2教育群である熊谷基地で3ヶ月教育を受けました。
ここは映画の図書館戦争の訓練シーンで使われています。映画を見た際に「熊谷だ」と映画館で懐かしく思ったことです。
教育は、前期・中期・後期で点検があり、その度の退舎という生活の場をピカピカに磨き上げたり、教練という自衛隊の動きの訓練や自衛隊体操など自衛隊のことについてなどを学び試験を受けて評価されます。
ベッドメイキングなども教官がみて評価したり、座学や戦闘訓練で隊舎から離れているときは、ベッドが綺麗になっているか毛布の畳み方がバームクーヘンになっている。と表現しています。それが出来てないと「嵐」がやってきます。ARASHIではないです。ベッドが荒らされます。
その中で私は2週間を休みました。これはサボったわけではなく医官という
医者からの診断です。その年は麻疹が流行して感染したため隔離されました。二週間休みですが、その間給料は発生します。大事な中期点検も隔離でやっておらず、64式小銃の射撃も教育期間でありますがやってません。
ただ、自衛隊での教育隊での成績が悪いかと言われれば、そうではなく、航空自衛隊はその中で職種が数十種類の職種があります。パイロットや医者、音楽などはそれぞれ入隊試験が違いますが、私の適正でダメだったのは、語学と航空管制以外を選択可能でした。その中で第3志望までできて衛生・消防・救難を選びました。
それぞれ、人員枠が低く、救難はメディック言われる陸上自衛隊のレンジャーを持ち、ヘリからの降下などでの救難などの自衛隊全体から見てもおかしい人たちです。ここは教育中に選抜させるときは別途テストが与えられ合格しなければならないため、無理とわかってましたが記入しました。新隊員での救難配属されることはまず異例になります。
衛生も中隊レベルで大体一個中隊で1人いるか、教育隊の中隊がどの程度なのかというと一個中隊 3小隊で12班編成、班員が12人程度ですので150人から100人程度です。第2教育群で5中隊ぐらいあったかな。その中です数枠あるかという程度。衛生の学校が岐阜であり、今年の3月で閉鎖して入間基地に病院が移転したため育成場所も変わっていると思います。学校では准看護師を公費で取れます。そのため募集枠が少ないとも言えます。
後は、消防で中隊で数人ぐらいが選ばれます。航空機救難と基地施設の消防や基地近隣の消防活動などが任務です。
職種が決まるのは卒業の前日か数日前で、同期で航空機整備だけを志望していた人がなれずに泣いて小隊長に宥められていた人がいました。
自分がなった職種は消防です。なんで少ない募集枠に入れたか、2週間も休んだのにというふうに自分も思いました。
自分なりに成績が褒賞はもらえなかったですがいい評価が得られていたのは、バカになれたということだと思います。バカではなくバカになれるということが大事です。やっている訓練は客観的に見ても馬鹿馬鹿しいこともありますが、演技で頑張っている感じを演出する。
次に、他の人がやってないことをやる。それは、夜の自由時間で隊舎前で教練の練習を行う。人がやってないことを見せる。これは、自分から始めて他の班も行うようになりましたが最初にやった人ということは印象に残ります。
最後に、そこに他人を巻き込める。班員の中を一緒に行うように働きかけます。これで、自分の影響下で他人の行動変容をできる。
この3点が評価が上がった理由だと思います。学科に対しては一般教養で自衛隊に求めることに対して高いことはなく普通にやっていければいい。
後、レアな適正職種条件として、警戒管制があり、聴力が優れてないと入れないという条件もあり、これはレーダー音などの探知などのためです。その当時は聴力が良かったので、自衛隊の消防員で滑走路前待機を行って、その当時はFー4などの爆音を目のすぐ前で聞いていたので聴力は落ちました。
航空自衛隊のことで言えることなどや聞きたいことがありましたらコメントしたら答えられる範囲で答えていきたいと思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?