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数ある職業の中から、”なぜ”看護師を目指したのか。

天職だと思っていた看護師の仕事を手放し、世界的に有名な経営者様の右腕になった綾です。

離れてみて思うのは、やっぱり看護師の仕事って私にとって天職で大好きだったな~ということ。これは未練があるとか、戻りたいとかではありません。現在36歳、その中の半分以上の14年を。看護学生時代を含めたら17年を看護の世界に投じていたのです。

ここまで真剣にできた仕事に出会えた私は間違いなく幸せです。

「なぜ、看護師の道を選んだの?」「なぜ、そんなに好きな看護の仕事を辞めたの?」たくさん聞かれます。話の中心は”看護”ですが、別の職業を選んでいる人にとっても何か役立つヒントがあるかもしれないと思い、今PCに向かって想いを綴っています。

ということで、今回は「なぜ、数ある職業の中から看護師を選んだのか」についてお話したいと思います。今回もさらっと3スクロール位で読めるように書きますので、よかったらお読みください♪

祖母の余命宣告

「おばあちゃん、余命半年なの」

母からの突然の告白。中学校の卒業式が終わり、高校入学を控える春休み。昼下がり頃だったか子供部屋にいた私に母が告げました。母の顔には涙はなく覚悟が決まっている様子。

詳しく聞くと、もうだいぶ前から乳がんで闘病していた祖母。肺に転移が見つかり前から余命宣告は受けていたとのこと。受験勉強を頑張る私に心配をかけまいと、母なりの優しさで私には余命宣告を伝えなかったようでした。。

元々私は転勤族。
福岡で生まれ2歳位で東京に引っ越し。その後小学4年生で大阪に引っ越しました。なので祖母と会うのは年に1.2回程度。おばあちゃん子ではありませんでした。ですが、弟が二人いるからか?性格からか?心優しい女の子に育った私は心を痛めていました。そして悲しかった。身内の死を考えることなどあまりなく、漠然と死が怖かったのかもしれません。

酷い看護師との出逢い。

家族総出で福岡にお見舞いに行きました。そこにはやせ細ったおばあちゃんの姿。それでもおばあちゃんは優しく微笑みかけてくれます。

面会中、祖母のところに検温に来た看護師がいました。(検温とは、熱や血圧などを測ったり、状態チェックをすることです)

その看護師におばあちゃんが声をかけます。「孫が面会に来てくれたの」と。とても嬉しそうに話しかけていた記憶があります。

そして、その看護師が放った言葉は「あ、そう。よかったですね」と冷たい一言。

そんなつもりはなかったかもしれません。忙しすぎて余裕がなかったのかもしれません。本当は心優しい看護師かもしれません。でも幼心に「あ、なんか嫌」と思いました。感じわる~って。

その時に決めたのです。おばあちゃんは私が守る。と。


親が看護師だから。
小さいときに入院してその時の看護師さんが優しくしてくれたから。

みたいな素敵エピソードはありません。
むしろ、反面教師がこの時から現れてくれました(笑)ネガティブをポジティブに変えようと、そんな気持ちで始まったのです。

理想に近づくというよりは、理想をつくる。そんな感覚でした。

仕事の選び方は人それぞれです。私はたまたま看護師の世界を知り、選び、やってみたらなんだかんだで自分に合っていた。そんな感じです。

やってみないと本当の中身は知ることができません。
表向きキラキラしている世界でも、見えない部分で大変なことや辛いこともあると思います。

でもそんなときに私が思うのは、やってみて合わなかったら辞めてもいい。これです。たった一度の人生、世間体とか固定概念とかに縛られて、我慢する生活しんどくないですか?

「石の上にも三年」とはよく言われますが、私は嫌なところなら三年も我慢しなくていいと思います。

ただし、なんでもかんでも辞めていいとか、逃げていいとかではありません。責任も伴います。そこの見極めは十分しないといけないですけどね。

それでも”自分らしさ”を大切に、自分の心がワクワクする、ときめく。そんな感覚を大切にしていけば、おのずと心からやりたいことや、生きたい人生を進むことができると思うのです。

私はたまたま看護師を選んだだけ。
保母さんにもなりたかったし、スッチーにもなりたかったです。生まれ変わったら、看護師以外の生き方もしてみたいなとも思います。(とはいえ、それは分からないので、今の自分の人生を楽しみたいと思っています)。

ぜひ皆さんも、自分らしい生き方を選んで、突き進んでくださいね♪
では今回はこの辺で✋

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中村綾💉AYA NAKAMURA
言葉の素晴らしさに出会い、生きる道を見つけました。私の発信や経験が、誰かの何かお役に立てますと、とても嬉しく思っています。いつも応援してくださり、本当にありがとうございます!