散文詩「僕たちは忘れていく。」
そうだね、僕たちは色々な、大切なことを忘れていくね。今日が週に一度の不燃ごみの日だったとか、昨日が先週教えてもらった流星群の夜だったとか、小学生の時に引っ越したキミが、一度だけ寄越してくれた手紙の、字のクセだとか、句点の直径とか。春先の、市営の小さな公園の、申し訳程度の動物コーナー、手すりの向こうの金網の、僕らよりも高い背の、ダチョウの頭の淡い毛を、キミがなんと例えただとか。自賠責、もう切れる、それを知らせるダイレクトメールはどこに置いたのか。雑誌裏の通販広告で、初めて買った安いエレキギター、それに付属していたミニアンプは、ディーマイナーセブンの押さえ方は、キミが首を傾げた時に掛けた耳から溢れた髪の本数は。駅前通りのデパート、地下のおもちゃ売り場、エスカレーターから覗いた食品売り場のお菓子コーナー、樹脂製の床材にポツンと急に現れた枕木に飛び乗って、トントンと足を跳ねる、そこは花屋さん? 向かいのドーナッツショップの窓際の、日に焼けたソファーベンチは色褪せたオレンジ色、キミがよく食べたのはプレーンだっけココアだっけ。コーヒー、砂糖は入れたっけ、バカみたいに毎日通った時の、その時のBGMはどんなだっけ、今ではずいぶんポップになって。キミのお母さん、入院中、何度か一緒にお見舞いに行った。きっと僕の事は覚えてないだろうね。隠れるみたいに座って、時間を潰した裏通用口の、脇にあった納屋も、非常灯の緑のランプ、顔色の悪い僕たちは、もう忘れてしまっただろうね。ガソリンスタンドの天井から落ちた雀のひなの、最後の胸の隆起、はっと小さく息を吐く、数十年ぶりの関東の大雪、池袋のホテルの窓からみた大粒の雪が、ボタボタ落ちるその先の夜、東京タワーの赤いライト、明滅。その日は一歩も外に出ず、結局煙草、買い忘れてしまったね。最後の一本に火を着けて、何度か禁煙しようと思い立った、その何度目かで「体に悪いから辞めなよ?」そう言ったキミの声のニュアンス、あまり使わなくなった銀行口座の暗証番号は、キミが妹みたいに可愛がっていた、ペンギンのぬいぐるみの誕生日。そうした一切合切大切な、僕たちは何もかもを忘れていくんだね。