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About a closing performance and after log

文:町田藻映子 写真:土居大記

展示が無事に終わって、少し時間が経ちました。会場を海老原商店に決定してから、ちょうど一年ほど経ちました。
このコロナ禍で会場まで足を運んでいただいたみなさま、また遠方より応援してくださったみなさま、本当にありがとうございました。人が空間に関わることで展示ができあがっていくことを、今までで一番強く感じることのできる展覧会でした。

この記事では、今回のコラボレーションについてと、クロージングパフォーマンスについて、私なりの振り返りを記しています。

今回のコラボレーションについて

個人的な感想ですが、今回は様々な面において私史上最もいい展覧会を作れたと思っています。学生の時から、ずっとぼんやりと思い描いていたやりたかったことが、土居と組むことで様々に実現でき、今後も展開していける基盤ができたなという十分な手応えがありました。
もちろんまだまだ課題や考えなければならない問題も多々ありますが、それを差し置いても、とてもいい企画を実現することができたと実感しています。

学生の時からずっとあった思いというのは、空間を作りこむ展示をやりたいという願望と、他のアーティストとコラボレーションできる事への憧れです。

学生の時に京都芸術センターから、ヨーロッパのアーティスト達とグループワークを行うレジデンスに参加したことがありました。
それまで私は芸大の日本画専攻に閉じ籠っていて、外のプロジェクトに関わるのも他のアーティストと共同制作するのも初めてづくしで、結論から言うとまるっきり不完全燃焼に終わりました。共同制作の為に自分の提案や意見を言うには、当時の私はあまりにも足元がグラグラで。そもそも意見も提案もできていなかったし、グループ内でやりたい事を考えられる余裕もなかった。加えて、ペインターとしてのコラボレーションへの関わり方が全く見付からず、どちらかと言うとパフォーマーとしての関わりばかりで終わりました。

アーティストとの本当の意味でのコラボレーションに憧れるようになったのは、この時の経験からだと思います。
自分の個人作品だけでは成立しないところに行けることに対する憧れです。
それ以降ずっと不完全燃焼だった“コラボレーション”を、今回は十分に手応えを感じる領域で行えたという実感がありました。
私と土居で、お互いの実力や生活や時間の使い方なども含め、いろんなことのタイミングが上手く噛み合った結果だったと思っています。

空間を作り込むこと、という点においても、やりたくても私だけではできないと薄々考えていました。
できない理由は色々とありますが、今回改めてそう感じたのは、土居の作り出す間はとても好きで憧れるものですが、決して私にはできない事だと、やりとりの中でつくづく感じたからでした。

このワークでは一貫して、彼は隙間を作る人であり、私は隙間を埋める人でした。
今回のコラボレーションの初期段階から、私の作品を様々な環境で土居に撮影してもらいましたが、それもそう感じたきっかけの一つです。実体のあるものをちゃんと存在させようとする私の作品・行為を土居はどんどんぼかして、隙間を作っている感じがしました。見えづらい部分が強く見えてくるように。
(このシリーズの撮影は今後ももう少し続けたいなぁという願望があります)


壊したり解体したり、というとりも、隙間を作るという言い方が近いと思います。私にはそういう隙間を作ることは決してできないので、いつもポカンと隙間のできた自分の作品だったものを見つめ、またそれと新しく対話しました。

土居とのやりとりは、最後の設営作業でさえそんな感じの連続だったように思い返します。具体的なプランを殆ど決めずに、ぶっつけで2日間で設営しましたが、何となくお互いの役割を理解しながら動いて組み立てました。

こんな理解はあくまで言葉の綾でしかありませんが、隙間を作る人と隙間を埋める人、そのマクロな集大成が海老原商店で出来上がった展示空間であったようにも思えます。

展示の様子は「After Log (文・写真 土居大記)」にまとめています。このコロナ禍で遠方よりお越しいただけなかった皆様にも、雰囲気を味わっていただける内容となっております。ぜひご覧くださいませ。

非公開パフォーマンスについて

公演情報など何も公開していませんでしたが、実は展示最終日閉廊後、撤収作業を始める前に40分間のクロージングパフォーマンスを非公開で行いました。

土居が記録として映像に残してくれていたので、11分ちょっとの動画にまとめ、以下で公開させていただきます。

非公開とした理由は、このコロナ禍の時勢なので、というわけではありませんでした。

以下はこの展覧会のことというよりは、結果的にやる事にしたこのパフォーマンスから得た、私のとある個人的な気づきについて綴っています。

私に関して言うと、この1年くらいで、ホワイトキューブでの個展で、パフォーマンスイベントをやる意味を、もうあまり感じなくなってきていました。

それでも今回撤収前にパフォーマンスをやろうと決めたのは、最終日の前日でした。何となくこの展示ではやらないと終われない気がしたので、密かに決断しました。

急に独断で決めたことだったので、自分の気を済ませることが目的で、何なら17時に閉廊した時点で気分じゃなかったらやらなくていいや、くらいに思っていました。なので集客をするつもりも全くなく、動画もたまたま土居がカメラを回したいと言ってくれたので、記録として残ったという結果です。

この展覧会の開催を決めた時から、今回はパフォーマンスイベントは無しで行こうと2人で決めていました。しかし、いざ設営完了して空間が出来上がって、そこに何人もの人々に入り込んでいただいて、日に日にあの空間が成熟していくのを感じました。それは5日間で無くしてしまうには本当に惜しいものでしたが、それ以上長くても、空間が熟しすぎてしまうだろうという確信がありました。
撤収の前に、自分自身でその熟した空間を食べ切ってから終わりにするべきだと強く感じました。いつも自分の展覧会でパフォーマンスをやらずにはいられなかった理由が、少しづつクリアになった出来事でした。

たぶん、言わば自分達の為の幕閉めの儀式のようなものが必要に感じたのかもしれません。無くすには惜しいけど、無くす方がいいものほど、きっとそう感じるのでしょう。

この時に過ごした40分間は、私にとってとても特別な、最上の時間でした。幸せとはきっと、こういうことを言うのでしょう。生きている間にこの瞬間があるから、人間は豊かなものであると信じられる気がします。

既に2階では撤収作業を始めてくれている方々がいるにも関わらず、構わずたっぷり気が済むまで時間を使いました。(つまりその結果、片付けは真夜中までかかってしまいました。)
大変独り善がりなことでしたが、その点の唯一の救いは、片付けを手伝ってくれていた方と共同主催者の土居から、観られてよかったと言う感想をもらえたことです。

ただこれが、イベントとして集客して、お客様に見せる意味のあるものだったかどうかは、正直今でも分かりません。そうしていたら、これと同じ時間にはならなかったように思います。

同じような意味で、
これまでの土居との創作のやり取りはとても楽しく、自分たちにとって重要なものが沢山垣間見えましたが、そのままにしておいた方がいいものもいっぱいありました。またそれらを取捨選択して、どのくらいの時点で“作品”としての形にしていった方が良いのか、その見極めがとても難しいなと感じた瞬間が、自分一人の制作時よりも頻繁にありました。

人に示す為の作品作りと、人に示さないからこそ重要な意味を持つ表現の両方ともが必要なのかもしれないと改めて思いました。

私は今のところ、このパフォーマンスを“作品”とは言えないのだろうし、私自身お客さんを入れると“作品”にせねばならないような気がして、それ自体は私にとって必要なのかと、薄々違和感を感じていたようにも思います。
もとより、私は”パフォーマンス作品”を作る為に踊りを続けてきた人間ではないという側面があるので、余計にそのような考えがあったのやもしれません。

私は自分の作品制作とパフォーマンスとの関係について、人からも尋ねられてきたし、自分でもずっと考えてきましたが、答えもなかなか出ないままでした。でも、たまたま行った今回のパフォーマンスで少しクリアーになったことがあった気がしました。
つまり自分にとって、これをやれて本当に良かったのだという事です。

個人的な一年の振り返りとその備忘録のような内容となってしまいましたが、「濡れた地蔵PROJECT」の展示準備を通して、何が誰にとって何の為のものなのか、一つずつクリアに見えてくることがいくつもありました。
それらが作家として自分の中で一旦クリアになっていく方が、これからもっと身軽なって行けるような気がしています。

皆様、ここまでの半年間、こんな個人的な備忘録も含め、私たちのつぶやきにお付き合いいただき、誠にありがとうございました。
これからも2人の活動を引き続き見守っていただけますと幸いです。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

この記事について

インスタレーションアーティストの土居大記と、絵描き・ダンサーの町田藻映子によるコラボレーション展示の企画『濡れた地蔵』(@海老原商店)。展示は開催延期となってしまいましたが、展覧会までの間、2人のワークを写真と言葉の綴りでnoteに掲載してゆきます。

この企画のプロフィール記事は➡︎こちら

プロフィール

土居大記 (Hiroki Doi)
学生時建築を学び、卒業設計を機にアーティストになる。”美しいは生ものである”という考えから制作している。
自然現象を素材としてインスタレーションやパフォーマンスを行っている。
常にまわりで起り続けている小さな変化を抽出して振り付けることが作品の主軸にある。それらの空間では気づくことが連鎖する。即興である。ダンサーとの共同制作も行っており、自身も制作の過程で身体表現のメソッドなどを経験している。
主な表現媒体はインスタレーション、パフォーマンス、写真、詩、製本。
HP https://www.hirokidoi.com/

町田藻映子(Moeko Machida)
京都市立芸術大学大学院修了。「生命とは何か、人間とは何か」を主題に、岩石やそれに関わりの深い生物・人の文化に焦点を当てて絵画制作を行う。かねてより、身体を通した主題へのアプローチを重視し、コンテンポラリーダンスと舞踏を学ぶ。『私が石ころを描き続ける理由』についてはこちらにまとめています。
個展「生きる者たちを想う為」(GALLERY TOMO(京都)2019年)、「名前を知らない死者を想う為」(GALLERY b. TOKYO(東京)2019 年)、「MoekoMachida Solo Show」(Marsiglione Art Gallery(イタリア)2017 年)等を開催。「シェル美術賞展2018」( 東京) 入選。「飛鳥アートヴィレッジ2017」( 奈良県明日香村) 参加。
HP https://www.moekomachida.com
Instagram https://www.instagram.com/moeko_machida/

※このnote記事上にある画像・文章の複製・転載はご遠慮くださいませ。
©︎ 土居大記・町田藻映子

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