ぼくがペットロスから立ち直ったいきさつ
ペットロスのつらさ。
疲労で入院していた小池百合子東京都知事ですが、この休養にはペットロスも関係していたそうです。18才の愛犬を亡くしたそうなんですね。
ペットを飼っている人なら、容易に想像できると思いますが、ペットロスというのは想像以上にしんどいです。不謹慎ではありますが、実家にいる高齢の両親が亡くなるよりも、はるかにつらいんだろうなと思ってしまいました。
かくいうぼくも、五年前の四月に最愛の猫ルルを亡くしました。一人暮らしの淋しい時期をささえてくれ、家族ができてからも、ぼくの隣に寄り添っていました。
うちの猫の話。
うちのルルの場合は原因不明の食欲不振から始まったんですよ。自分からはほぼ食べない状況になり、布団の上でお漏らしをするという、人でいう認知症に近い状態になったんですね。
まっすぐ歩けなくて、横に倒れたり、普通じゃない状態でした。それでも最初の病院ではビタミン剤を射たれるだけで頼りになりませんでした。
別の病院で診察をうけたところ、すでに失明していて、脱水症状で死にかけていました。原因については断言できないけれど、脳の病気の可能性があるとのこと。自宅での強制給餌や、水分を摂るための点滴を続けましたが、じょじょに体重が減っていきました。
介護中はほぼ毎日、泣いていました。もちろん泣くだけでなく、少し食欲が回復しただけで感動したりして、ささいなことに一喜一憂していました。若者の時とは違い、もう四十才を超えているというのに自分がこんなにも泣いたりするのかと驚きました。
亡くなる覚悟はできていました。3キロ以上あった体重がどんどん減っていき、亡くなる直前には2キロほどになっていました。寝ている時は穏やかそうに見えたりしたので、そのまま永眠させてやりたいなと思っていました。
12才で虹の橋をわたる。
闘病生活は三ヶ月でした。心の準備はじゅうぶんにできてました。13才になる手前に亡くなりました。昨今、20才近く生きる猫が珍しくないので、すこし早く感じましたが、本人は猫としての人生を全うしたのではないかなと。初対面の人間にでも好奇心をもって擦り寄っていく子でした。
そこにいるはずの猫がいない。
長年やってきた習慣が無意識に出ることがあります。家を出るときに布団をめくり「ルルちゃん、出かけてくるよ」と言ってしまったり、意味なく名前を呼びかけるのが習慣づいてたので、虚空にむかって「ルルちゃん」と呼んでみたりします。
ぼくがテーブルで食事をしている時はたいてい膝の上でくつろいでいたし、ゲームをしたりテレビを見ている時も膝の上に乗せていました。
よくよく考えれば、自分の体よりも猫の体をさわっている時間のほうが圧倒的に長い……これはもう、心の隙間というより体の隙間というか、自分の一部が欠損してしまったような淋しさがありました。
他のなにかで埋めようとするも
ふとしたときに、ダムが決壊するがごとく号泣してしまう時があります。家の中ならいいんですが、ところかまわずに発動します。駅のトイレなんかで号泣するのはさすがに目だちます。愛猫を思い出して、いちいち感動していたら身が持ちません。
心の隙間を埋めるべく、さまざまな趣味を始めようとしてみました。ボトルに水草を入れて育ててみたり、マイクロブロックやプラモデルに手を出したり、多肉植物を買ってみるものの、どれもあまり興味がもてませんでした。
ホームセンターの小動物コーナーで思いを馳せる。
精巧につくられた無機物や、植物では満たされずに、結局、興味は動物にもどってしまいました。でもさすがに犬や猫だと存在感がありすぎるので、ホームセンターの小動物コーナーでハムスターや文鳥、ベルツノガエルやフトアゴヒゲトカゲなどを見て、飼っている妄想をしました。さすがに小さな動物とはいえ、死ぬのがわかっているから気軽には飼えませんよ。
やっぱり猫が好き。
で、最終的には家族の薦めもあって、もう一度猫を飼うことにしました。
ペットロスの漫画を読んだり、他の人の話を聞いていると、また動物を飼うことでペットロスの悲しさがやわらいだというのです。
その際、ペットショップで購入をすることはせず、保護団体や飼い主を募集している人からひきとろうという話になりました。いつまでも悲しみに暮れているのもかまわないけれども、現実問題、大量のペットが殺処分されています。それならまぁ、ルルちゃんがいない場所にいてもらえばいいんじゃないかと、猫をひきとる決意をしました。
あんな悲しい思いはもう二度と‥‥
よく「あの悲しみをもう二度と経験したくないから、動物を二度と飼わない」なんて言う人がいるし、心情も理解できるんです。けれど、ぼくはこう考えてみました。
はたして悲しかっただけなのか?
悲嘆にくれていたのは最後の三ヶ月だけだった。それまでの12年間、ルルちゃんはずっと周りの人たちを笑わせていたではないか。だったらこれ、悲しさだけをクローズアップするのはフェアじゃないよ。トータルで見れば、悲しいというより、楽しかったよ。悲しみの量よりも楽しさのほうが、余裕で、圧倒的に勝っているよ!
いまでも手のひらにはルルちゃんの感触が残っているし、お茶目な姿も昨日のことのように思い出せます。
見た目も性格がまるで違う
二代目の猫、ことちゃんは臆病で繊細、でも家族の前ではだらしないところもあり、初代ルルちゃんとは性格がまるで違いました。
どっちの性格がいい悪い、ではなく、比較として亡くなったルルちゃんの話題が家族のあいだであがることも増えました。思い出に蓋をするのではなく、積極的に解放しました。病のときはつらく悲しく、もっと早く気づいてやれれば、などの後悔の念もありますが、ルルちゃんは楽しいやつだったんです。その思い出を大事にして、ぼくらは生きていこうじゃないか。
だからペットロスで悲しんでいる方、過去に蓋をしないで積極的に思い出してあげてください。いっぱい話しかけてあげてください。楽しかった思い出でほんわかとした気持ちになってあげてください。
そんなふうに思うのです。
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