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江戸の井戸の筆頭である「井の頭恩賜公園」

「井の頭恩賜公園」
天気のよい日曜日、思い立っていってみた。
ひとり旅 第2弾じゃ。

公式HPより 端から端まで1.5kmくらいある

歴史小説「家康、江戸を建てる」を読んで、行ってみたいと思っていた。
江戸ができていく過程を、治水工事、貨幣鋳造、飲料水の確保、江戸城の石積み、天守の建設の5つの短編集で描いている。

飲料水の確保編の舞台は、井の頭、神田上水をつくる。ぜひこの本を読んでから行くことをオススメしたい。

神田川の起点

ここが神田川の源流です
神田川は善福寺川、妙正川と
合流して隅田川に注いでいます

看板より

ボランティアガイドしてもらいました。
いのけん1級合格者だけがガイドになれるという、、、結構厳しめよね。

知らないことばかりで、へぇーへぇーおばさんになりました。

旅した日:  2025年1月
日数:  日帰り(約2時間)
歩いた距離:  約3〜4km
人数: 1人 女性ひとりでも問題なし
交通:  電車と徒歩
金額:  電車代と餃子マン代

旅程

13:00 京王井の頭線 井の頭公園駅🚃
 ↓  徒歩 約3km
15:00 京王井の頭線 井の頭公園駅🚃

わかったこと

公園にひとりできてる人がいっぱいいた!
さすが東京の公園は違う!
公園なんてカップルと家族ばっかりでしょーー
と思ってた。
若い子がベンチで漫画を読んでいたり、
おじさんがランニングしてたり
ひとりでいても問題  なし!

今回のようにいつかひとりでいこうかなの場所をストックしておくと突然いけていいかも。
ひとりでいこうかなリストを作成しようと思った。

もそっとくわしく

井の頭恩賜公園

江戸時代初期から幕府御用地将軍鷹狩の場、
明治時代には皇室御料地、
大正時代に東京市に下賜。
いまも三鷹っていうもんね、鷹だから。

いまは、鷹ではなく白鳥ボート

井の頭弁財天

1197年 源頼朝が平家追討祈願のために建立した(伝)
鎌倉時代末期 元弘の乱(新田義貞と北条泰家の対戦)にて焼失。
数百年の間放置。
江戸時代 三代将軍徳川家光により再建。

神田上水が引かれ、江戸市民にとって井の頭池が水がめはなくてはならないものだった。
弁財天境内や周辺に当時の商人や歌舞伎役者が寄進した石灯籠などがある。

カッコいいーーイセヤイヘイ!

奥から2番目の伊勢屋伊兵衛さんは、かつおぶしで有名な「にんべん」さん
「伊」の字の「イ(にんべん)」暖簾印。
かつおぶしやさん 魚→お水いっぱい使いそうだねー

弁財天にはもともと江戸時代(1767年)に寄進された石造の鳥居があった。
明治初年の神仏分離令の際に撤去され、鳥居の柱石は井の頭池と神田上水の間の水門に転用。(水門は現在使用されていない)

たまたま撮ってた、なんか変わった水門だなーって

家光の御切付旧跡 井の頭の名づけ親は家光?!

鷹狩りにやってきた家光が、ほとばしるように湧き出す泉を見て、近くのコブシの木に 自ら小刀で「井之頭」と三文字彫った(伝)

土台に「深川水船組合」

大猷院家光公様御手づから井之頭と御彫あそばされたる古むしの木是なり
御切付の文字は今に宝物にして内陣に秘蔵す
(古むし=コブシ)

石碑より

碑にあるように家光が彫刻した部分は切り取って、石段上の大盛寺に宝として保存されていたが、大正13年の火災で焼失。

木だからよー
無くなるかもしんねーからよー
石に書いとくか!のナイス判断👍

この石碑は明治26年『深川水船組合』が寄進。
水船とは、江戸まで飲み水を運んでいた船のこと。上水のない地域には、飲み水を売っていた。
水屋(みずや) 飲み水を売り歩く商人

校長は渋沢栄一 非行少年更生学校

現在井の頭自然文化園があるところは、元は渋沢栄一が開設した井之頭学校があった。

宮内省御料地であった場所を拝借してたらしい
さすがだよね隠居後の栄一

明治38年(1905)、両親を亡くしたはぐれ少年を保護教育する非行少年更生施設として開校。

あるとき校長渋沢栄一は関係者に進言される。
宮内省に御料地の池と森を東京市民の公園にすることと、そうなれば学校の卒業生もここで働けんじゃね?と。

娘婿であった東京市長とともに宮内省に働きかけ、大正2年(1913)御料地を下賜、恩賜公園となった。

三鷹の森ジブリ美術館

大好きな方もいらっしゃるし、魅力があることもわかるジブリ。トトロは好きだが、苦手な作品もある。
そんなジブリファンでないわたしもひとめ見とくか、、と思ってしまう。

外観をぐるりと拝見しただけだが、
正直めちゃくちゃかわいい施設でした!!

受付係トトロ
かわええ
こっちが本当の受付

楽しかった。ありがとうございました。

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