帰国してから続く、どうにもならない日々を撫でたい
「じゃあ撮るよ、自分が一番優しくなれる時を想像してみて。」
2月21日、霧雨が降る代々木公園でそう言われた。
傘を差さずに立つわたしの目の前には、河津桜が八分咲きを迎えていた。
優しくなれるとき、この桜のように心がピンク色になれるとき、
愛を持って人と接することができるとき、
それはいつなんだろう。
ん~~。ん~~~。ん~~~~。
思いつかないなあ~。
なぜか出そうになる涙を我慢して、レンズへ向けて微笑んだ。
* * * *
帰国してから2か月、どうにもならない日々が続いている。
デンマークにいたのはたった4,5か月だったけど、心の変化がかなり大きく、人とのかかわりや向き合い方、自分に求めることがすっかり変わってしまっていた。
ずっと帰りたかった場所に帰ってきたのに、会いたい人が目の前にいるのに、距離感が分からずにどこか違和感を感じてしまう自分が、本当に本当に嫌だった。
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ちょうど1年前、フォルケホイスコーレで入学できる学校が決まった。
人生の中で一番と言えるほど大きな夢、海外生活。それが正式に決まったとき、すべてにおいて前向きで、夢のためにはいくらだって犠牲を払えたし、どんな覚悟だってあった。そのために掛け持ちしたバイトも、ちょっとブラックな職場も、苦ではなかった。
しかし、1年後、帰ってきたわたしは目標を見失ったのに加え、心の変化と現実が対応しない、人との関わり方が難しく感じる、などといった所謂燃え尽き症候群のような状態になってしまった。また、感受性が強くなりすぎて、悪意がないであろう一言でさえ簡単に傷ついてしまう、害のある行動や言葉は完全アウト、すぐに涙が出てきてしまう、など心のキャパシティーが本当に少なくなっていた。そして、そんな自分を受け入れられずにいた。
これが言い訳なのか、仕方がないことなのかは分からない。
被害者だと思っていたら実は加害者だったり、優しく包み込んだと思っていたはずが力が弱すぎて零れ落ちてしまったり、
悲劇のヒロインを演じているだけのようにも見えてしまう。
でも、そんな自分を受け入れて撫でてあげるためにこの文章を書き上げたのだと思う。
だから、焦らずに、少しずつ少しずつ歩めていけたらいいな。
割れてしまったグラスの破片を、少しずつ拾い上げて、いつかすべてが揃ったとき、少しでも前を向けてますように、と願う。
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