11月3日は、おでんの日
11月3日は、文化の日
ですよね、普通は。。。。
うちでは、この日は
” おでんの日 ”
毎年毎年、妹から
「お姉ちゃん、おでん作った?」
というコメントと共に
おでんの写真が送られてきます
なんで文化の日が” おでんの日 ”
なのかというと
母が最期に食べたのがおでんで
この日に食べたおでんのことを
「美味しい、、、」
そういったから
そういったから、
毎年この日におでんを作って
母にお供えをしている
だから文化の日ではなく
” おでんの日 ”
あの日、私が仕事から帰宅したら
丁度妹が、母を起こして
おでんを食べさせようとしていた
私「ただいま、あ、お母さん夕飯食べるとこ?
手伝うよ」
そう言って、手早く着替えて
母の休んでいる1階に行った
もう自力では起き上がれない母
ご飯だって、ホントにちょっとしか食べない
私「今日はおでんなんだ」
妹「うん、お母さん食べてくれるかな、って思って」
そんな話をして、
母が起き上がっても寒くないように
身支度をしていたら
弟も帰ってきた
うちの家族構成をお話すると、
兄弟は4人
私が一番上で
女、男、女、男、と2人ずつ
すでにすぐ下の弟は
結婚していて家にはいない
母が手術をして2年余り
妹は仕事に疲れたこともあって
母の病気とほぼ同じころに
仕事を辞めていた
父はまだ帰宅していない
一番下の弟も、1階で私と妹が
なにやらバタバタしているのを
気にして、やってきた
母はかなり体重が落ちてきてはいたが
女性二人で起こして支えるのは
ちょっと厳しい
弟が母を起こし、母と背中合わせになって
ベットに座った
久々にワイワイと兄弟で声をあげながら
母を囲んでた
母「美味しい、、、、」
それから数日後、母は危篤状態になって
入院した
今思うと、兄弟で母を囲んで
ワイワイとしていたから
だから、母は「美味しい、、、、」
そう声を出して言ったのではないだろうか
そんな気がしている
そして今もなお、おでんを食べるたびに
あの日の暖かい部屋
兄弟の騒ぎよう
その風景がよみがえってくる
このこと、毎年毎年書いている
けれど、語り唄パフォーマンスに
していない、、、、
まだまだ私の中で、このことが
消化されていないから、、、
だろうかー----
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