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点と点をつないでいくと

突然のカミングアウトですが、私はかなりな方向音痴です。歌の方も「音痴」だと身内にむかーし、はっきりと言われてしまい、W音痴です!!それから、もののついでに言いますと、脳内に「顔認証システム」というものが装備されていないようで、人の顔をよく間違います。「顔音痴」というものがあるなら、これを含めて「トリプル音痴」!!!ということに。ああやだ。

赤ちゃんが仰向けになって手のひらをひらひらさせて、それを見ているのは、自分の体の動かし方を学んでいるのだ、と何かで読んだことがあります。自分が考えたように手足がきちんと動くのを、車を操縦するように覚えていくんだなあ、と感心しましたが、私はその初期設定がちょっと。。。

子どもが同じ絵本ばかりを読んでくれと持ってきたり、ティッシュペーパーを一箱全部部屋中にばらまいて、楽しんでいるのも、何かを学んでいるということでしょうか。「りんご」という果物と「RINGO」という音を、自分の中で結びつけて、同じものだと感じるまで、一体何百回、何千回繰り返しているのでしょう。

子どもは生まれてすぐから、家庭教師に教えてもらうわけでもないのに、そうやって自分の体と物の関係をひとつひとつ確かめていく。初めは時間がかかっても、次第に要領がわかってきて、小学校へ上がる頃には、大人とある程度話が通じるようになっていく。

一つの単語と一つのもの、それをしっかり結びつけながら、じっくり自分のペースで考える。ところが私は、そこがうまく行かなかったみたい。ビルの建築現場の足場のような細い鉄の棒が、頭の中できちんと噛み合っていない。どこかのつなぎ目がゆるいから、できた建築もいまだにゆらゆらしてる。

地図が好きな人は、しょっちゅう地図を見る。でも地図が好きでも方向音痴な人を私は知っている。それは現実の道と二次元の地図は全然違うからだ。新しいミシンを買った時、新しいカメラを手に入れた時、私は取扱説明書を見て、パーツの名前と場所と機能を相互に確認する。そうやって現物と説明書を交互に見ながら操作を覚える。

話はそれるが、「ディスレクシア」(読字障害)というのがあるそうだ。文字を見ても意味が取れない人のことをいうらしい。特にアルファベットの場合は、漢字よりも割合が多いという。詳しくは知らないけど、もしかしたらABCの羅列の文字で意味を覚える場合は、漢字のように一文字に意味がある絵画的な文字よりも、イメージが掴みにくのかもしれない。

何かと何かをしっかり結んでいく作業を、幼いときから自然に身につけることができていれば、私も今より少しはマシになっていたかもしれない。自分で確かめたことが核になって、より抽象的な考えや複雑な思考についていけるようになったかもしれない。

私が今少しずつ楽しみに読んでいる本がある。それは、書店で見つけて買った「身近な雑草の愉快な生きかた」(稲垣栄洋著 三上修画)。それまで雑草には、ほとんど興味を持てなかった。(草取りくらい)それが朝の散歩の時に、川原に自生している草の季節ごとの変化を見て、だんだん気になるようになってきた。

2011年に発行されて2021年の今年まで18刷りになっているから、きっと雑草好きに愛されている本なのだろう。表紙も中のペン画のイラストも、とても細かくて端正だ。私が惹きつけられたのは、他の本とは違い、著者がまるでその草の親戚でもあるかのような親密さで、由来からここに至るまでの変遷を教えてくれるところだ。

よく見かける「ヨモギ」についてそのページを見ると、花粉を運んでくれる虫もいないような乾燥地帯の荒れ地で、いかに苦労してきたが語られる。そして「草餅」の材料になった理由は、葉の濃い緑の色ではなく、葉っぱの粘り気がちょうど良かったからだという。「ヨくモえる木」で「ヨモギ」。葉は「モグサ」の材料になる。

もうひとつ、「スギナ(つくし)」の仲間は、約3億年前の「石炭紀」に大繁殖した。スギナの祖先は高さが数十メートルまで伸びて、密生した森林を形成し、それがやがて石炭になったそうだ。今まで生き延びてきた生命力は今も健在で、かつて原子爆弾を落とされて50年は不毛の土地になるかと思われた広島で、真っ先に緑色の芽を出したのは、この「スギナ」だったという。

ようやく最近こうやって、自分のペースで、一つ一つの草を愛でながらページを繰っている。なるべくゆっくりと時間をかけながら、美味しい料理を楽しむように。








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