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未知の世界に飛び込むときは

なぜだか中学生の頃、「クロフツ」というイギリスの推理作家の本を何冊か読んだ。クロフツはリアリズムの推理作家といわれていた。私はそのころ「シャーロック・ホームズ」に凝っていて、依頼人の服装を見てその人の過去をあてる場面を、感心して読んだりしていた。

ホームズの作家「コナン・ドイル」を大体読み終わって、他にも似たようなものがないかなと、「アガサ・クリスティ」を読んだり、「エラリー・クイーン」を読んだりした。クリスティーは最初全然興味がわかなくて、「これ、ただのホームズの真似じゃないの」と思っていた。

特に主人公のポワロと相棒のヘイスティングスは、ホームズとワトスンの写しだし、何から何まで似せてる、と思うとあまり楽しめなかった。さらに、推理がいい加減で、それ急に言われても、と読者に伏せてある情報が突如明かされたりして、読者としては置いてきぼり感があった。

そこで本格推理小説、と銘打っていたクロフツはどうかな、と読んでみることにした。途中で、メモを取りながら図を描きながら読んだことを思い出す。今になるとなんであんなにムキになって、読みふけっていたのかわからないけど。

その頃は、書店でハヤカワ文庫や創元SF文庫の本棚も時々眺めた。ネビル・シュートの「渚にて」をなぜ手にとったか覚えていないが、読んだあと、かなり心が重くなった。オーストラリアで普通に日常生活を送っている人たちが、あるとき核戦争で全滅した北半球から、放射能が押し寄せてくる事を知る。

花を育てている人、子どもを産んだ人、明日も来年も変わらずにあると思っていた日々を突然否定されたら自分はどうするか。小説の中では、その運命を静かに受け入れて、最後の時を過ごそうとする様子が描かれる。このように穏やかにその時を迎えられるかどうか、といえば、私は残念ながら「地獄絵図」しか想像できない。

21世紀の未来は、真鍋博のイラストのように明るい世界だ、と私はなんとなく思っていた。世界は平和で調和して、伸びやかで可能性に満ちている、はずだった。しかし今はお先真っ暗な将来しか思い描けない。

SFといえば「中1コース」だったか「中1時代」だったか、月刊誌をとっていて毎月読んだ。勉強のページもあったが、私が最も興味があったのは、小さなSF小説やミステリー小説のおまけだった。それが来たら引き付けれられるように読んだ。テストの前などは、どうしてあんなに読みたくなるのだろう。

今、目の前の問題が解けずに困っているというのに、明日までに化学式を覚えなくてはいけない時に、なぜこんな悪魔的なものが目の前にあるのだろうか。迷う暇もなく、ざら紙の小さな手帳のような本を、読まずにはいられなかった。その本の題も著者も覚えていないのが今となっては心残りだが、あったらもう一回ちゃんと読んでみたい。

「2001年宇宙の旅」の映画を見たことがある。隣の席で、子どもを連れたパパが、思っていた「宇宙旅行」の映画とは違うぞ、と戸惑っているようで、長い猿の無言のシーンで、ちょっとおかしかった。そしてずっと後になって、アーサー・C・クラークの本を何冊か読んだ。わかったようなわからないような。いつか地球には住めなくなって、選ばれた人がよその星へ移住する日がくるのだろうか。それとも知性だけが生き延びるのだろうか。

夫が将棋好きなので、時々一緒に見る。私は動かし方しかわからない。谷川さんのファンだったのに、藤井聡太さんが活躍しだすと、一瞬で寝返ったのに驚いた。その将棋の優勢劣勢を計算する「水匠」というAIソフトがあって、一手ごとに%が出る。高性能の性格の違うソフトをいくつも戦わせて計算しているそうだが、35億手とか200億手とか「次の最善手」というのが表示される。

それをみれば何も知らない私だって、この手がいいのかすぐわかる。そしてほぼ常に最善手を選んでいる藤井さんが、たまに違う手を指したあとに、それが新たなデータとなったりするそうだ。人間だったら思いつかない「手」を指すので、解説の棋士がしばしば、「われわれ地球人には指せない」というのが面白い。

20世紀のアナログな人間からすれば、AIなどの技術革新がスピードアップしてきたのに、なぜ、人は幸せな暮らしから遠いのだろうと不思議に思う。簡単に学問の知識を得ることができるようになって、世界中の情報が手に入るようになってきたのに、なぜそれを上手く使いこなせないのだろう。ホモサピエンスのDNAに書き込まれた「弱肉強食」の本能が、何万年も生き残っているからだろうか。



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