見出し画像

【伝検】吉田修一『国宝』と、和紙と、歌舞伎

吉田修一『国宝』(上・下)を読みました

伝検記事ですが、読書の話題で始まり恐縮です。
『国宝』は、歌舞伎を題材にした小説で、6月には映画も放映予定です。
朝日新聞出版での紹介文から、あらすじを引用します。

1964年元旦、長崎は老舗料亭「花丸」――侠客たちの怒号と悲鳴が飛び交うなかで、この国の宝となる役者は生まれた。男の名は、立花喜久雄。任侠の一門に生まれながらも、この世ならざる美貌は人々を巻き込み、喜久雄の人生を思わぬ域にまで連れ出していく。舞台は長崎から大阪、そしてオリンピック後の東京へ。日本の成長と歩を合わせるように、技をみがき、道を究めようともがく男たち。血族との深い絆と軋み、スキャンダルと栄光、幾重もの信頼と裏切り。舞台、映画、テレビと芸能界の転換期を駆け抜け、数多の歓喜と絶望を享受しながら、その頂点に登りつめた先に、何が見えるのか? 朝日新聞連載時から大きな反響を呼んだ、著者渾身の大作。

https://publications.asahi.com/product/23098.html

「上巻・青春編」と「下巻・花道編」の2巻構成で、読み応えたっぷり。
美しくもあり、残酷でもあり。
歌舞伎と真っ正面から向き合った男の人生が、壮大に描かれています。

歌舞伎の演目もたくさん出てくるのですが、知らない読者にも分かるように語り手が自然に説明してくれますので、心配いりません。
この語り手の「ですます口調」が、読んでいてなんとも読み心地が良く。
作者の吉田氏のこだわりでもあるそうで、伝統芸能の話だと読んだ瞬間に
伝わるような工夫である、と何かのインタビューで読みました。

伝検は歌舞伎・文楽・能の演目についての出題もありますので、そういった観点からもおすすめです。

今日のメインの話題は和紙です!

この記事は一応、伝検の勉強記事ですので、『国宝』の宣伝で終わる訳にはいきません。
伝検テキスト「和紙」の章から、黒谷和紙の話をしたいと思います。

黒谷和紙の基礎知識

  • 京都府北部で作られる和紙で、原料の楮も京都府産を使用する。

  • 場所柄、京都の呉服産業と結びつきが強く、着物を包む「たとう紙」や 値札紙などを作るなどした。

  • かつては、紙子(かみこ)と呼ばれる和紙製の衣服を生産した。

  • 現在は、紙子の型染技法を応用した製品を生産するほか、絹糸と紙糸を 織りあげた絹紙布(きぬじふ)の製品「黒谷綜布」を開発した。

「和紙の丈夫さが強みで、大正時代には日本一強い紙と認められた」というほどだそうですから、衣服として活用されるというのも納得ですね。

紙子と歌舞伎

なぜ和紙を話題にしたかというと、『国宝』に「紙子」が登場したからです。演目『曽根崎心中』に関する話題の中で以下のような文章がありました。

 この初代藤十郎が得意としておりました役に、身を持ち崩し落ちぶれた良家の旦那というものがございます。
 当時、このような役を演じる舞台では、侘しさを出すために必ず和紙でできた着物「紙子」を着ていたそうでありまして、藤十郎が亡くなるとき、いわば自分のシンボルでありますこの「紙子」を自らの芸の後継者として、自分の実施ではなく、弟子に授けたというのは有名な話であります。

『国宝(上)青春編』

読んだ瞬間に「紙子!黒谷和紙のところで出てきたやつじゃん!」と、心が躍りました。

伝検公式参考サイト「歌舞伎美人」でも、紙子に関する掲載があります。
こちらでは、演目『廓文章』を引き合いに出して解説されております。

 『廓文章』のなかで、散財の果てに勘当をうけた藤屋の若旦那伊左衛門は、紙衣(紙で作った衣)を着て恋人、夕霧のいる吉田屋の店先に現れます。紙衣姿の伊左衛門を見て、廓に来るには相応しからぬ貧乏人とみた吉田屋の若いものが箒を振上げ追い払おうとしますが、吉田屋主人喜左衛門により助けられ、座敷に招き入れられます。そして喜左衛門は、その紙衣姿に同情し、自分の羽織を着せてやります。

https://www.kabuki-bito.jp/special/knowledge/todaysword/post-todaysword-post-256/

お金がない、という立場を、服の材質で表現するのが面白いですよね。
ちなみに、歌舞伎ではこのように落ちぶれた様子を演じることを「やつし」と呼びます。
現代の実際の衣装では、様式として「和紙を使っている」というデザインになっているだけで、リアルさは求めません。
なので、普通に豪華な歌舞伎衣装です。

紙子は単純に貧乏人が着るだけではないようです。
引き続き、「歌舞伎美人」からの引用です。

紙が高級品であった平安時代などには、蚕を殺して得る絹などと違い植物の繊維から作る紙の衣は、仏の教えにも合うということで僧侶に重用されました。室町、戦国時代になると戦のときに寒さを防ぐ衣服として武将達にも用いられますが、江戸時代に入り、紙が庶民の手にも届くものとして普及するとともに、紙衣も身近なものとして着用されるようになっていきます。

https://www.kabuki-bito.jp/special/knowledge/todaysword/post-todaysword-post-256/

紙子を武将達が戦で用いたことは、紙の「丈夫さ」と「軽さ」が重宝された証なのかなあと感じます。

検定に向けて伝検の勉強をしていた時は、各章ごとの内容を覚えることで
頭がいっぱいでした。
検定から離れてみると、違う章の内容でも意外なところで繋がっていたり
してハッとします。
「知識ってこうやって深まっていくんだなあ」と気づかされます。

まとまりのない記事になりましたが、伝検はいろんな視点から深めることができて面白いですよ、と宣伝してまとめておきます。
あと、伝検うんぬん関係なく、『国宝』も面白いですよ。

勉強のポイント

・黒谷和紙の特徴を覚える(紙子、黒谷綜布)
・歌舞伎で使われる紙子について知る(『曽根崎心中』『廓文章』)


いいなと思ったら応援しよう!