世界の額縁
12階にある会社の休憩室の窓から、東京の街並みが見える。
ビルが立ち並び、線路が行き交い、巨大なクレーンが首をもたげ、血脈のような道路がとめどなく流れている。
雲が低く垂れこめ、毛布のように幾重にも折り重なって空を覆っている。
灰色の街は窓枠に切り取られ、映画のスクリーンのように見える。
いつもパソコンのスクリーンばかりを眺めているからか、その切り取られた風景は、陰気な曇天だというのに不思議と明るく、清々しく感じられた。
コーヒーを片手に眺めるうち、ふと、クレーンの脇に隠れるようにして、遠くの工場から煙があがっているのに気が付いた。
煙突から、もくもくと太い白煙を吐き出し、それが灰白色の雲とつながっていくように見える。
まるで、工場が雲を生産しているみたいだった。
そう思ったら、機能的な東京の街のなかから、子供の絵本のような風景を見出せたことが何だか嬉しくて、豊かな気持ちになった。
窓はどこにでもある。
その額縁を通して世界をみるとき、私たちは普段、何を見ているのだろう。
変わり映えのしない無機質な街を見るか、偶然が生み出す奇跡や夢を見るか。
煩わしい人の往来を見るか、十人十色の人間の営みを見出すか。
寒々しい悪天を呪うか、あるいは、刻一刻と変化する世界に感動を覚えるか。
窓は鏡のように、私たちの見る視点によって、変幻自在に世界の風景を映し出す。
世界の見え方を変えるのは、私たち自身の心だ。
画面のスクリーンを見ることが多くなった私たちは、もう窓に目を向けることも少ない。
ならばなおさら、世界の額縁に豊かなものを映す心を、忘れずにいたいと思う。
最後まで読んでくださってありがとうございます。 わずかでも、誰かの心の底に届くものが書けたらいいなあと願いつつ、プロを目指して日々精進中の作家の卵です。 もしも価値のある読み物だと感じたら、大変励みになりますので、ご支援の程よろしくお願い致します。