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27.資さんうどんが示す多様性の文化

 今、世の中では多様性の重要さが叫ばれている。流行ってるようなので私も一緒に叫んでみようと思ったのだが、そもそも多様性の意味がイマイチ良く分からない。それなのでググってみたら「ある集団の中に異なる特徴・特性を持つ人がともに存在する事」らしい。なるほど、少し分かってきた。「関東のうどんつゆを食べる集団の中に関西風のつゆを食べる人がともに存在する」ような事を指すのだろう。
 
 そんな多様性万歳なご時世の昨今、遂に九州の有名うどんチェーン「資(すけ)さんうどん」の東京進出が決定した。このニュースを見たのはつい先日の事。関東に西のつゆのうどんチェーンが、それも西の中でもかなり甘めのつゆを提供する「資さんうどん」が進出するなんて感慨深い。私が関東に住み始めた2000年初頭を思うと隔世の感がある。当時の関東人は保守的であり、関西のつゆに対して非常に排他的だった。ボブ・ディランが歌ったように「時代は変わる」というわけだな。
 
「18.どんなものでも『どん兵衛』に敵いやしない」でも少し話させて頂いてるが、関東と関西ではうどんと蕎麦のつゆが違う。それは同じボーカリストなのにステージを所狭しと動き回り、ステップを踏んで踊り狂うミック・ジャガーと、ボーカルマイクがセッティングしてある位置から微動だにせず、直立不動の姿勢で歌う前川清くらい対称的であり、材料も調理手順も似てるけど、最後の味付けの工程で別物になるカレーライスとハヤシライスの関係性とも似ている。簡単に説明するとこうだ。

〇東のつゆ・・・鰹だしメインの濃口醤油。必然的に黒っぽいビジュアル。味付けは濃くてからい印象

〇西のつゆ・・・昆布だしメインの薄口醤油。透き通った見た目。薄くて甘さを感じる

 これくらい違うともう別料理と言いたくなるし、実際上京したての頃、初めて関東の立ち食い蕎麦屋さんでうどんを注文した時は別料理かと思った。
 注文したうどんが着丼するなり激しい違和感を感じた。まず見た目がおかしい。供されたのは視界不良の黒いつゆで、西日本出身の私からすれば不穏なビジュアルだ。名古屋等の一部地域を除き、西日本のうどんのつゆが透明なのは前述した通り。培ってきた常識からすれば既にこの時点でかなり怖い。
 とりあえず食べてみたものの、つゆに適度な甘さを求める西日本出身者の舌からすれば全然甘くない上にアタック感が強過ぎる。あまりの違いに「母さん、東京のうどんって黒くて甘くないんだ。こんなのうどんじゃないよ。もう帰りたい」と、上京3日でホームシックになりそうになった。
 まあ、長い関東生活のおかげで最終的には舌が慣れて食べられるようになったのだが、当時は外食の選択肢からうどんが消えると思い落胆したものだ。

 これは当然、逆のパターンもある。これまた「18.どんなものでも~」で語らせて頂いているが、東日本出身の後輩たちに西日本仕様のどん兵衛を食べさせてみた事があるのだが、都会のもやしっ子たちにはつゆが甘過ぎたらしく、その反応は芳しくないものだった。田舎のもやしっ子である私はそれを受け、悲しくてやりきれない気持ちになった。
 

 このように東と西のつゆの隔絶は今では想像できないほどだった。そのせいだろうか、JR高田馬場駅の近くにこれまた福岡の有名うどんチェーン「ウエスト」があったのだが、何故かうどんではなく居酒屋を前面に打ち出して営業していた。これは私の勝手な憶測だが、場所的に九州のうどんメインでは商売が成り立たなかったのだろう。
 実際に博多生まれの会社の先輩、そして群馬生まれの後輩と一緒に訪れてみたのだが、もつ鍋や辛子明太子、薩摩揚げと言った九州感溢れるおつまみがリーズナブルなお値段で楽しめた優良居酒屋だった。しかし、本場のウエストに一度でも行った事がある人間からすれば「こんな雰囲気のウエストはやっぱりおかしい」と、最後まで違和感を拭えなかったのも事実だ。
 なお、がっつり飲んだ後に締めのうどんを「美味い美味い」と啜る我々西日本チームに対し、後輩は「ちょっと甘過ぎますね」と、リアクションにかなりの温度差があったのは言うまでもない。畜生、群馬生まれの都会のもやしっ子め(※筋金入りの田舎で生まれ育った筆者は埼玉、茨城、群馬は余裕で都会だと思ってます)。

 このように関東と関西のつゆの対立は確かに存在していたのだが、この十数年でそれもだいぶ和らいできているのも事実だ。最近、どん兵衛と赤いきつねが「全国味比べ」と称して定期的に全国各地のつゆを販売するイベントをやっている。数年間は違う地方のどん兵衛なんて誰も見向きもしなかったので、必然的に割引シールを貼られた売れ残りで在庫処分ワゴンは溢れていた。「長い関東生活のおかげで最終的には舌が慣れて食べられるようになった」と先に述べたように、今の私は東の味も全然いける「おつゆの二刀流」「おつゆのバイリンガル」だ。それなので、味比べイベントが開催される度にそれらのワゴン堕ちを狙うハイエナムーブをやっていたのだが、最近はワゴン堕ちせずに売り切れるケースが目立ってきた。この結果を見る限り、私の地元の人たちも東のつゆを積極的に攻める様になったとしか思えない。
 それに調べてみると立ち食いそばの「ゆで太郎」が九州や四国に出店していた。これまた上京した直後の話だが、生まれて初めてゆで太郎でザル蕎麦を食べた時は「母さん、東京のそばつゆってドス黒くて味が濃ゆいんだ。こんなのそばつゆじゃないよ。もう帰りたい」と、ホームシックになりかけたものだ。蕎麦自体の出来に関しては「うどんメインのお店が出す中途半端な蕎麦より遥かに美味しい!しかもそれがこんなお値打ち価格で!」と高い評価を下していたのだが、やはり子供の頃から培ってきた味覚はなかなか変化せず、食べられるようになるまでは少々時間がかかった。
 だが、慣れてしまうとその反動とでも言うべきか、気がつけばそばつゆに限定すれば完全に東側に転向してしまっていた。おかげで今ではザル蕎麦を食べる際に「蕎麦は西日本じゃなくて東日本の濃ゆくてからいつゆで食べたい」と思う始末だ。そんな息子に対し、きっと母さんは「息子が東京に染まって帰ってきた」と嘆いてるかもしれないが、悪いのは私をこんな体にしてしまったゆで太郎だ。恨むならゆで太郎を恨んで欲しい。
 と、豪快に話が自分語りに脱線してしまったが、何はともあれゆで太郎が西日本で営業出来ているのは「西の民が東のそばつゆを受け入れている」と言う事であり、注目に値する事実だ。これは他の地方の味付けに対して遥かに寛容になっている一つの証拠であり、多様性が世に浸透している事実を如実に示している例と言えよう。

 こうやって関東は関西の、関西は関東のつゆを受け入れる多様性の広がりが後押しするような形で満を持しての「資さんうどん」上京決定だ。
 福岡では3つのうどんチェーンが後漢末期、三国時代の魏・呉・蜀のように覇を争っている。最高にやわらかい麺が特徴の「牧のうどん」、出汁が効いた甘いおつゆが特徴の「資さんうどん」、激しい特徴はないものの、その普通さゆえに毎日食べても飽きの来ない「ウエスト」だ。それぞれが特別なオンリーワンだし、実際甲乙つけがたいのだが、私的には「資さんうどん」を最も愛している。それ故、もし私がそのまま関東に住み続けていたのなら狂喜乱舞、変なテンションになって朝までゴーゴーダンスを踊ってしまうほど嬉しいニュースだったろう。
 
 そんな資さん古参兵である私から「資さんチェリーボーイズ」の皆様にアドバイスを送らせて頂きたいと思う。 
 初心者はまず、ごぼうの天ぷらを偏愛している福岡県民へのリスペクトも込めて「資さんうどん」の基本中の基本である「ごぼ天うどん」を頼もう。一般的なごぼう天よりも長く、そして厚いそれは食べ応え充分。それを揚げたてのサクサク感、つゆが染みてきたフガフガ感、崩壊寸前のデロデロ感を楽しみながら食べよう。ちなみに一番人気は甘く煮込んだ牛肉と玉ねぎが更に乗った「肉ごぼ天うどん」で、これもまた腰が抜けたり、顎や恥骨が外れそうなほど美味しいので是非食べて欲しいのだが、牛肉と玉ねぎの甘さがつゆに流れ込み、本来の資さんのつゆの味が分からなくなってしまう。資さんはとにかくスープが美味い。とりあえず初心者さんは一度はごぼ天うどんを注文し、デフォルト状態のつゆを堪能してもらいたい。肉を乗せるのはそれからでも遅くはない。
 資さんに限った事ではないが、そのお店を極めるには芸道における「守・破・離」と近しい行程を踏む必要がある。「ごぼ天うどん」は師匠の教えを忠実に守る「守」の段階と言える。それから一歩進み、牛肉を追加した「肉ごぼ天うどん」を頼んだり、更なるボリューミーさを求めてカツ丼をセット注文して自立性を出していく「破」の段階。そしてそれらの過程を経、最終的には自身の独自性を出していく「離」の境地に到達することになる。ここまでくると「カツのせ焼きうどん」「ソースチキンカツ丼」みたいに「資さんに来てそれを頼む必要性がどこにあるんだろう?」と周りから奇異に思われそうな注文をすることになるかもしれない。
 すでに「離」へと到達している私が考える至高の注文法は「素うどんのみ」だ。繰り返すようだが資さんはスープがメチャクチャ美味しいので、はっきり言って「素うどん」でも充分過ぎるほどの絶品さ加減だ。更に「天かす」と「とろろ昆布」が取り放題なのが大きい。どちらも大好物なのでガンガンぶち込むわけだが、スープを吸った天かすととろろ昆布のコンビネーションが堪らない。それだけで昇天してしまいそうになる。もちろん、「肉ごぼ天うどん」も心から愛しているのだが、具沢山系のうどんにそれらをガンガンぶち込むと丼内が混沌とし過ぎて訳が分からなくなるので、敢えてシンプルなうどんへと抑えての注文だ。
 ちなみに実際に注文するのは「きつねうどん」だ。素うどんでなくこれを頼むのは私から資さんへ対する僅かばかりの心遣いである。最低価格の商品を注文し、取り放題のオプションをガンガン使うのはさすがに申し訳ない。よって、きつねうどんを頼むことで原価率を少し下げるようにしている。私だけ得するのではいけない。資さんとはwin‐winの関係でなければ。
 

 おうどんを美味しく頂いたら名物の「ぼた餅」で締めるのが資さんうどんの作法だ。もし、お腹いっぱいならばテイクアウトでも良い。「うどん屋で何故にぼた餅?」と思われる方もいらっしゃるだろう。これはもう「Don't think, feel!(考えるな、感じろ!)」としか言いようがない。資さんはうどんの名店であると同時にぼた餅の名店でもある。初めて来店される読者様においては何も考えずにぼた餅を注文して欲しい。しつこくない甘さなので、「甘いものが苦手」という方でも美味しく頂ける。
 それに「ある集団の中に異なる特徴・特性を持つ人がともに存在する事」が多様性の定義なら「うどん屋にぼた餅が存在する」も当てはまるのではなかろうか。あなたもぼた餅と言う名の多様性を舌で感じよう。
 これまた余談だが、私は車で資さんうどんに行く際にクーラーボックスを忘れて後悔することが多々ある。小学校の頃から通知表に「忘れ物が多い」と書かれていた名残だろう。家から最寄りの資さんまで車で約80分。冬場ならともかく、地球温暖化の進んだ日本の夏はクーラーをガンガン入れてなお車中はクソ暑い。そんな車中にぼた餅を一時間以上置いておくのは少々不安だ。よって、家に帰って食べる用のぼた餅を泣く泣く諦める事が多々ある。先日もそうだった。まあ、これはわざわざ書くことによって次回行く際にクーラーボックスを忘れないよう、自分を戒めているだけなので気にしないで欲しい。

 しかし、関東で営業しているうどん屋さんは大変だ。十数年前に丸亀製麺の一大攻勢を受けたのに、今度は資さんうどんとは。控えめに言って資さんうどんは飲食店の生態系を破壊する特定外来種だ。好き嫌いが分かれる味なので苦手な人は二度と行かないが、お気に召した人はハイアベレージなリピート率になるので、以前から周辺で営業しているお店が経営的に打撃を受けるおそれがある。なので、仮に資さんを気に入ってヘヴィリピート状態になったとしても、昔から通っていたうどん屋さんに足を向ける事も忘れないで欲しい。それが多様性の世の中に住むジャンクフード喰いがなすべき配慮だ。

 さて、今回は多様性の重要さについて語らせて頂いたが、よく考えてみると「東日本と西日本のつゆ」の問題を引き合いに出すのではなく、今このエッセイを読んでる皆様こそがそれを体現している存在だという事に気付いた。つまり、

「異世界ものや転生ものを読む人が多数の投稿サイトの中に、筆者が書く得体のしれないエッセイを読む人がともに存在する事」

と言う事だ。そう、多様性とは貴方の事であり、貴方こそが多様性なのだ。
 忌野清志郎がラジオで「忌野さんにとってロックとは?」と聞かれた際、「僕がロックです」と答えた事がある。ロック少年だった自分からすればグッとくるエピソードだ。この例に習い、世間の変化に疎い上司あたりから「多様性、多様性って言ってるけど何のこと?」と聞かれたらこう答えよう。

「僕(私)が多様性です」
きっと、上司もグッとくるだろう。

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