ジャーナリストとライターの違いって、考えたことある?
「ジャーナリストとライターの違い、って考えたことある?」
20代の頃、徒弟修行のような形で潜り込んだスポーツライターの塾に通っていた。ある時、プロライターの師匠が集まった弟子たちに問いかけた。
弟子のほとんどがプロデビューを志すライターの卵たちで、いっぱしの見識や文章を書く力はあったが、師匠の問いに即答できる者はいなかった。
弟子たちの様子を見て、師匠がまた話し始めた。取材やインタビューの現場へ行くと、自分のことを「スポーツジャーナリスト」と紹介する人もいれば、「スポーツライター」と紹介する人もいる。
紹介した当人は無意識のようだが、はて、この違いはなんだろう?違いがあるとしたら、どこだろう?
「これはあくまで、自分個人の考えだけど」と前置きし、師匠は語り続けた。
もし街を歩いている時、大火事の現場に遭遇したら、
火事の状況を正確に描写し、被害に巻き込まれた人たちの声を丁寧に拾い、火事が起きた原因を追究しようとするのがジャーナリスト。
火事を見たら、自分もバケツを担いだり、何か出来ることを探し、なんとか一緒に火を消そうと、まずは自分も火事場へ向かうのがライター。
もちろん現実は、ジャーナリストにもライターにも色々な人がいるし、どっちが正解、どっちが上という訳でもない。
「でもオレは、自分はライターだ、と思うんだよね」
なんで、こんな話を始めたんだろう?当時は、その意味が分からなかった。
思えば不思議なライター塾だった。文章のテクニックやインタビューの仕方、作法なんて、ほとんど教えてもらった記憶がない。師匠の話は、ほぼこんな話題ばかりだった。
一方で「大のマスコミ嫌い」と呼ばれるスポーツ選手や著名人から、本音や知られざる秘話を引き出せる名インタビュアーだった。話の節々から、取材後、インタビュー相手と個人的な飲み友達になるケースも少なくないようだった。
今は分かる気がする。師匠が弟子の自分たちに伝えようとしたのは、おそらく「在り方」だった。
「物書きになりたい君たちは、まず人として、プロとして、どんな人間でありたいのか?」
この場合の「在り方」は「スタンス」と置き換えられるかもしれない。
同じ職業でも自分のスタンス次第では、同じ場面の行動も変わり、同じ人の話も別の受け止め方、第三者への伝え方は全く別のモノになる可能性がある。
では、自分のスタンスはなんだろう?
納得する答えを得たければ、師匠のように
日常の小さな変化や、誰かのふとした一言を
流さず、頭の片隅で考えを深める。
それは、物書き以外の仕事でも同じかもしれない。
結局、仕事をする以上、自分が思ったことから生み出した何かは他人の手に渡る。無意識でも、何かに、見知らぬ誰かにつながり、業界も職種も関係なく、なんらかの影響を与えるのだから。
長くなってしまったが、米田肇シェフのFB投稿を読んだら、久々にこの師匠の話を思い出した。
「自分もライターの方かもしれない」と、話を聞いて思ったことも。
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