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知覧の特攻資料館を巡った

先日、鹿児島の実家に帰省する際、南さつまにある特攻隊に関する資料館も巡りました。
知覧特攻平和会館に行くのは2回目。
今回はそれに加えて、万世特攻平和祈念館、ホタル館富屋食堂。

資料館をめぐる中で色々考えました。
一つ一つの遺書の内容とか、
施設における特攻の語られ方とか。

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最初に印象深い遺書をひとつ紹介します。

あんまり緑が美しい
今日これから
死にいくことすら
忘れてしまひさうだ
眞青な空
ぽかんと浮ぶ白い雲
六月のチランは
もうセミの声がして
夏を思はせる
「作戦命令を待って
 ゐる間に」
”小鳥の声がたのしさう
 俺もこんどは小鳥になるよ”
日のあたる草の上に
ねころんで
杉本がこんなことを
云ってゐる
笑はせるな
本日十三時三十五分
いよゞ知ランを離陸する
なつかしの
祖国よ
さらば
使いなれた
万年筆
を”かたみ”に
送ります
枝幹二大尉
昭和20年6月6日知覧から出撃 22歳没

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知覧特攻平和会館には、特攻出撃に向けた決意表明の遺書の展示で溢れている。必中必殺、必中轟沈、など。

でも、たまに上の遺書の様に、今自分がいる場所の平穏さと今から行く場所との絶望的な乖離 現実味のなさを書いている遺書も見つかる。

今、わたしは日本でウクライナ危機をとても恐れている。
一方で、自分が続けている普段の生活や、良いお天気にぽかぽかしているのは事実で、
その現実味のなさが、このまま自分たちが戦争の渦中にいるまで続くのだと思うとただ怖いです。

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搭乗者が必殺の特攻作戦の、9割以上が辿り着かず沈んでしまうこと。
特攻作戦が採られたのが、1945年という、ドイツも降伏した負け際であったこと。

敗戦を目前に本土侵攻を阻止しようとした、敵国に壊滅的な被害を与えれば戦後交渉を有利に出来ると思った、いろいろあるのだろうけど、それでも、

もう少し早く日本が降伏していれば、この人たちは死なずに済んだんじゃないのか?

と、無数の遺書に思わずにはいられなくて。

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「無駄死に」という言葉を、戦死した方々にかけるのは違います。

でも、「外交次第であの人たちは死ななくて良かったはず」 とは言えるんじゃないかと思う。

特攻作戦自体が命を無駄に消費したことは明らかであるにも関わらず、「彼らの死のおかげでいまの日本の平和がある」、と展示で言ってしまうのは、お門違いなんじゃないだろうか。


戦争は、誰かが意図的に起こすものだと、今ははっきりわかります。

殺戮は、どんな理由があっても容認されてはいけないことです。


それでも、戦争は落としどころを見つけなければ終わらない。覇権を証明しないと気が済まない人たちは、自分が負けていないことを証明するために、勝利の証明が与えられるまで戦争を続けるだろうし。

その落としどころの模索が、とても難しいことはわたしにもわかる、のだけど、誰の勝ち負けとかではなく、どうか人の命と生活が守られることを最優先にしてほしい。

戦争には断固として反対です。戦争を起そうとする人たちを、私は絶対に容認できない。

少しでも多くの方々の、身の安全と将来が保護されますように。

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