怒りの感情
怒りについて
あるブログの内容で「正しいことと幸せは違う」という言葉が書かれていた。ボフェミアンラプソディーの映画の中でフレディーと父親との会話で紹介されていた。音楽に没としていくフレディーに対して父親から「正しく生きろ」と言われると「それで楽しかったことはあるのか?」と。
私たちは正しく生きる=親、先生、大人の言うこをよく聞く=お利口さんでいることと教え込まれてきた。特に私は長女だから妹の面倒を見ることがお利口さんでいることであったのである。だから妹の顔色=母親の評価であった。そうするには、とにかく私は我慢することに徹したのである。欲しいおもちゃ、おやつだって妹が欲しがれば上げていた。よく母親はそのようなことでは喧嘩がない姉妹だったんだと話をするから確かであろう。でも私だってあのおもちゃで遊びたかったかし、おやつだって食べたかったのである。でも我慢、我慢、我慢→私が我慢すればよいこと→どうせ私なんか何したって認められない→どうせ私なんかが。。自己肯定低下街道まっしぐらである。だから自分がどうしたいのか?なんて聞かれても「考えるたことがないから、そのように思ったことがないから分からい」のが答えである。とにかく進路の時は本当に困った。分からないから「高校は行かない」と返事すれば母親はガチギレ。そこから叩かれはしなかったが3時間の説教タイム。長い~。なぜ母親が一生懸命育ててきたのにそんな答えなのかが言いたいことじゃなかったのかな。もう覚えていないけどなんだか涙だけは出てくる。そこから受験勉強を始めたので今までの内申書が中だから、行ける高校も必然に決まってくる。高校から大学の進学もなんか文科系を選んだ。でも大学に入ると色んな人がいて沢山学ぶことが出来て本当に楽しかった。でもこの時って妹が留学していて物理的に母親を一人占め出来たのも充実していたのかな(笑)
ともあれ、振り返るといつも怒って生きていたのではないかと思う。社会人になっても怒り狂っていた。私はこんなに頑張って仕事しているのに評価されない、能力がない先輩を立てなきゃいけない。だったらもっとやってやる!!でも社会的にも文化的にも怒りは人前で表すものではないとされているものだから仲間内で酒飲んで愚痴話。お酒の力も借りて上司に楯突いた(部下をどれくらい大切に思っているのか聞いてみた)こともしたが納得したことなんて一度もなくさらに怒る。怒りの感情で解決できることなんか1つもなくてさらに怒る!!怒りのパワーだけで18年間同じ職場におりました。職場の皆さんいつも怒っていてすみません。お酒は怒り狂っている感情を埋めるために飲んでいたのです。
だからよく知らない人からも怒られることありました。自分が怒って生きているんだから、そうなりますよね。
ではなんで怒りで感情を埋めたのか?
続く。。