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私が体験したかったことは何?~嫌なことをやめてみる③

「母親と娘をやめてみた」が相手(母親)との人間付き合いは継続していた。
だが、いつものことだが、相手は(母親は)自分が満たされないことに対して威嚇、怒り、不安を煽り、母親と娘という確実な優位な立場を利用してマウンティングしてきたのである。

私が仕事をやめることを話したら「あなたは子供がいないのだから、年をとった時に他人が頼まなくてはいけないが、その時はお金がかかる。だから貯金はしなくてはいけいので、これからも正社員で働かなくてはいけない」とのこと。であるなら、子供である私たちには、お金ではなく親子の愛情で支えていくものである。私が(母親)苦労して育ててきた子供たちに世話になりたいってことなのか???

また父親が80才になり、原因不明のてんかん発作を起こしたが2年間再発がなかったので、免許が再発行されて運転をしている。だが、家族会議を開催して80才の誕生日に免許を返納するから乗らせてほしいとのことで父親の希望を家族は飲んだ。だが、誕生日当日になっても父親から連絡は来ず現在に至る。このことについて母親はどう思っているのか問うと、父親は約束なんて守る人ではないことは分かっていたこと。今までも約束は何度も破られたが、そのようなお父さんは見せずに私は頑張ってきた。でももう大人になったのだから本当のお父さんの正体を見てほしくて家族会議を開いた。でも家族会議をしても無駄なんて分かりきっていたこと。あんたが開けって言ったから集まったんだとのこと。でも私は家族が集まって話ができたことが良かったと伝えると表情が一変。よく言う「そんなに世間は甘くない、あんたは分かっていない。世の中を斜めから見るな。あんたが社会に出てから人を小馬鹿な態度で接するようになった。子育てしたから分かるんだ。」と言わんばかりの表情になり責め立ててきた。もうこうなったら黙るしかない。正論は通じない、受け入れないのである。怒り、威嚇で突っぱねるのである。話し合いなんてできないはあんたであるのに。
家族で話し合いをすることはどうして、世間は認めないのであろうか、私は分かっているのであろうか、世間を斜めから見ているのだろうか、相手を小馬鹿にしているのであろうか、私は子供を育ててないから家族会議はしてはいけないのであろうか。

当たり前の疑問を母親の聞いてみても「あんたは甘い」で返ってくるので、今までの受け取りのやり方で「このまま黙っていれば終わる」という反応をした。その起こった現象に、人間付き合いは、相手のことを思いやる、相手の立場になって考えるといった類の価値観、道徳観、ルールというフィルターを通して相手と関わったのである。つまり感情を受け取ってしまったのである。そこから1週間たつが今もなお後遺症が続いている。辛いです。。。

 でもまだどこかでそんな相手(母親)に認めてもらいたいという思いがあって、関りを求めてしまったのである。
もうそんな思いも手放しては良いのではないか。いらないものですよ。悔しいと思うのなら、いっそのこと降参して負けてみてはどうか・・・。
でもおい、おい、こんな感情を体験しに地球に来たのか、わたし?そんな感情も自分で選択しているのか?そんな相手でも許すのか?

では、「人づきあいの見直し、再構築」をしてみることにしよう。
続く。。。

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