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嫌なことをやめてみる②~過去も変わる。シェイクスピアもビックリ?!

では私は何をしたのか?

【母親と娘をやめてみた】
「娘は母親を大切にしなければならない」、「親がいなくなってからは遅いので今のうちにたくさん親孝行をする」、「老いた親を労わる」など今まで人から言われてきたこと、道徳観、価値観を一切やめてみたのである。
会いたくない時は会わないにしてみた。
今までだったら「でも親孝行しなくしゃいけないし、約束をまた破ったら悲しい思いさせてしまうかな。やっぱり私は娘としていけない子」と沢山のエゴが出てきて泣いて昔の母親からされたこと、言われたことも一緒に思い出されて苦しかった。でも「母親と娘」をやめてみたことで、「まあ、会いたくない人なんだから今は会わない」だけの感情の留まった。あれ??と思ったがそれ以上のあれこれが出てこない。もう一度思ってみたがそれ以上の感情が出てこないのである。そこから次々と母親の生い立ちを思い並べてみると「うん、仕方なかったのかな。結婚すると決めていた相手が子どもができない人と分かってから歯車が合わなくなりお別れすることになり×1の父親とデキ婚。家出同然で父親と一緒になり出産、子育て開始。それに始めての我が子が口唇口蓋裂があって鼻から口がさけた子が出てきた。500人に1人の確立の可能性なので学校に1名程度の確率で生まれてくるとのことだが今みたいにインターネットもないから不安だったと思う。そこから父親ともうまくいかず、でも自分には手に職がないから水商売しかないから夜家を空けておくにはもう一人いたほうがいいからという理由で妹を生んだ。セックスが自分の欲望を満たす(もう一人作る)だけの手段であったのかと思うと複雑である。妹とは仲良しであるので私にとってはどうでもいい話ではあるが。。。。。。。。
なんて走馬灯によぎったら「お母さんも大変だったな」という感情が生まれた。これって????????
「許す」ってやつだ!
私にとって母親を「許す」なんて「絶対にしない!!!!!許したら負けである。私の人生返せ!許してたまるもんか!!」って思っていたから何を握っていたのか分からないくらいに握り締め上げていたのである。結局その中にあったものは「許し」であった。相手を許すと同時に自分も許すことになり(一緒の作用みたい)自分の中に隙間が出来て過去は消せないけど、なんだか書き換えられた「過去」になった。これも不思議であるであるが「過去も変わるよ」って言われたことがあるが体現できた、うれしい。
嫌なことをやめてみて過去も変わるなんで自分すごいぞと思っている。
そんなことわかっているけど出来ないから苦しいだよとか、今の苦しみなんて消えるわけがない、よくスピリチュアルとか自己啓発本に書いてあるフレーズねと思う人もいるであろう。私もそうであったから。
でも、嫌なことをやめてみる【母親と娘をやめてみた】と結構すんなり仕事帰りの車の運転中に思ったことである。その時に流れていた音楽は宇多田ヒカルで「シェイクスピアだって、驚きの展開、That’s life」♪

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