長男が虫をわかせた話と小学生男子育児におけるアーキテクチャと性悪説の採用
前回、前々回は私が「アートベース社会学」というものに出会った衝撃みたいなものを、自分の感情のままにズババーっと書いてしまったのですが、目を通して下さった方、ありがとうございました。
今日はライトな話題でいきます。
小学生男子育児にヤられてる皆さん、これから我が子が小学生男子になる皆さん、共に頑張っていきましょう!という話です。
1.はじめに
はじめに、私は現在42歳、仕事はフリーランスフォトグラファーをしておりまして、40歳になった年の春に通信制大学での勉強もはじめたという、大学生ワーキングマザーです。
現在10歳で小学4年生の長男と、5歳で来年小学生になる年長の次男の2人の息子がおります。夫もフリーランスフォトグラファー。東京郊外の賃貸マンションに住んでおり、可もなく不可もないような、すごい贅沢はできないけど自由がある、でも50代に今の稼ぎをキープできるか、いやできないだろうから今模索してる、みたいな生活を送っております。
お客様のお子さんを撮影しながら、「かわいいっ!!」と思う感情が溢れても、人様のお子様を抱っこしたり、ほっぺを触ったり、「ふんふん」(顔の下半分あたりのにおいをかいだりする行為)したりはできないので、そのフラストレーションを抱えたまま帰宅して、そのまま息子にぶつけるので、すごくスキンシップが多いタイプの母親です。
また、「かわいいね!」「なんでそんなに可愛いの??」「だいすき♡」など息子に毎日何回も問いかけ、そのように育ててきたので、息子たちも私に同じように返してくる、はたからみたら気持ち悪いだろう、ギャグのような日々を送っています。
まだギリ未就学児である次男に対しては現役でそのように接していますが(これも多分ヤバい)、10歳の長男にはだいぶライトになりました。
長男に対しても、次男が生まれる4歳位まではそのように接してきましたが、背も伸びて、口元のうぶ毛のような子供の髭がちょっと濃くなってきた位から、私の方がベタベタすることに拒否感を感じるようになりました。
これは、生物学的?にも正しい反応なのだろうと、悪いことではないと捉えていますが、ベタベタと触られたりすることに「嫌悪感」さえ感じるようになった自分には正直驚きました。
おそらく子供からしたら、幼少期はなめる様に育てられたのに、こちらは同じ様に接したらいきなり拒否してくる母親という、戸惑いを覚えることでしょう。
なので、長男に対して、「これはやめてね」と伝える言葉や態度に十分注意することを心がけてはおります。(しかし実際は、強く「やめて!」と言ってしまったりします。)
だもんで、次男に対しても好きなだけ「ふんふん」している今の状態は良くないよなと思いながらも、まだまるんとして、ずっと赤ちゃんの様な「下の子」という可愛さを身に纏う次男に対して「ふんふん」することをやめられない私です。
2.私が思う「小1の壁」
過去に、自分のHPに「小1の壁」についてのブログを書いたことがありますが、ここでも書きます。
世間で言われる「小1の壁」とはちょっとちがうと思うのですが、私が思う「小1の壁」はズバリ、
自分でやらせるというフェーズにはいることの大変さ
これです。というか、他の壁は私には大したことではありませんでした。
もう一つ、上記に伴い言えるのが、
我が子という「他人」の性質を受け入れることの大変さ
です。
詳しく説明しますね。
乳幼児期の子育ての大変さは、「お世話すること多すぎる!」ですよね。
赤ちゃんは自分でご飯を食べることもできないし、おトイレもできない。着替えもしてあげなきゃいけないし、お風呂にも入れてあげなきゃいけないし、歯磨きしてあげなきゃいけないし、寝るのだって一人でできないなんて!(全部可愛い!!)
その子育ての最中であれば「早く自分でできるようになっておくれよ」と思うものです。
しかし、今の私が感じているのは、「何でも私がやってあげれば済む方が楽だったかもしれない」ということです。
これは、あくまで私の性質なので、乳幼児期の子育ての大変さを否定するものではありません。私も、全然ご飯を食べない幼い頃の長男の育児にとても悩みましたし、食べさせなきゃいけないことに苦痛を感じました。
なので、今、子育てがしんどい!と思っている乳幼児ママを否定するものではないということは分かって欲しいのです。
ただ、私は、長男の性質や癖や性格などを受け入れた上で自分でやらせるということが、けっこう苦痛です。
長男は紛れもなく私から生まれてきましたが、私と性質が全く違います。
なのに、私から生まれてきたんだからと、なかなか「他人」とは思えなくて、自分と同じことを求めてしまいます。
具体的にいうと、学校のプリントは四隅をキッチリ合わせて綺麗に折った状態で持って帰ってきて欲しい、とか
教科書はジャンルごとに、背表紙の向きを整えて棚にしまって欲しい、とか
こういう、生活する上での自分が心地よいマイルールみたいなものをめちゃくちゃ荒らしてくる「他人」、それが我が子です。
「結婚」っちゅーもので、夫という他人と、これまでも精神をすり減らしながらも歩み寄るという努力を絶えず行ってきた、いや、今も続けているのに、血の分けた我が子ともこの歩み寄りを行わなければならいのかよ!!!!という。
もちろん、未就学児さん達だってパワフルな個性を発揮してきて、私たち親はぐったりしてきましたが、最終的にこっちがやっちまえば!という事が、もう流石に、やってあげたら逆にまずいよね、というのが小学生のラインかなと。
上記に記したこれらが、小学生男子の手にかかると実際どうなると思いますか?
学校のプリントは四隅をキッチリ合わせて綺麗に折った状態で持って帰ってきて欲しい
→というか、一生持って帰ってこない。と思ったら、学期末に30リットルのゴミ袋いっぱいのプリントを、もちろんぐちゃぐちゃの状態で持って帰ってくる。四隅などの概念がそもそもない。
教科書は、ジャンルごとに、背表紙の向きを整えて棚にしまって欲しい
→もちろんぐちゃぐちゃ。置き勉を覚えてからは一生学校に置きっぱなし。持ち帰ってくるべき宿題ドリルも一生持って帰ってこない。
寝る時に背中のシーツがよれてると寝れなかった幼少期の私、
毎日時間割をチェックしてキッチリ前日に教科書などをランドセルにセットしていた小学生の私、
そんな私は親になって、全くちがうタイプの息子のこの性質をなかなか受け入れる事ができなくて、「ぐわああああ〜〜〜〜〜!!!!!」っとなっています。
(実際の私はそんな神経質でキッチリしていません。がさつな面のが多いと思う。でも人間ってそういうチグハグなマイルール、マイフェイバリットがありますよね。)
3.長男がついに虫をわかせた話
小学生男子育児は、毎日がワンダフルです。
なんでこんなことするん?に溢れています。
我が長男の場合は、
・公文の5枚つづりの宿題の最初のページと最後のページだけやって、「やったよ!」と嘘をつく
・公文の宿題そのもを隠蔽する。ベッドと窓の間に押し込んだり、ぬいぐるみBOXの後ろに押し込む
・韓国のりをおやつとして食べまくって、そのゴミをベッドと窓の間に押し込む(1回じゃない)
などなど、まあこれはほんの一部です。そして笑えるものだけ抜粋しています。
他にも、一生靴下脱ぎっぱなしとか、一生水筒出さないとか、お風呂入るのに一生タオル持ってかないとか沢山あります。
長男はもう、長男の写真を長男の許可なしに私のSNSに掲載することをしていませんが、この記事のネタに関しては掲載了承済です。
というより、罰や制裁を加えない(例えば、おやつなし!とか)かわりに、やり続ける限りお母さんはネタとして世間に公表するからな!と言っております。
そんなワンダフルの慣れの果てに、ついに長男が先日、虫をわかせました。
母親としてどうなの?とも思いますが、私が兼ねてから疑問なのは、「なぜ、完璧に隠蔽しないのか?」ということです。
なぜ公文をゴミ箱の奥深くに押し込めないのか?
なぜ、内緒で食べた韓国のりの袋や容器をゴミ箱の奥深くに押し込めないのか?
押し込めた上からちがうゴミで覆ってごらん?そうしたら、お父さんもお母さんも大抵は気付かないよ?
そう思うのですが、そうせずに、必ずバレる場所に隠蔽するところが小学生男子の可愛いところなのか?
いや、我が息子はほんまもんのア○なのではないか?と。
言葉がとても悪いですが、正直本当に不安になります。
そうやって、完璧に隠蔽できない長男が、とある日に、野球クラブに持たせたおにぎりを食べ切れなくて持ち帰り、残して怒られる!と思ったために、教科書の棚に隠したまま数日放置し、ついに虫の赤ちゃんが生まれました。
その数日前から、なぜかお風呂に数匹のこばえ?が発生しており、「え、カビキラーで大掃除したばかりなのに何で?換気扇かしら?」と疑問に思っていたのですよね。そしたらコレでした。
こばえ達は風呂で発生したわけではなく、長男の放置したおにぎりから発生し、我が家を旅して、生きやすい水場に落ち着いただけでした。
あああああああ〜〜〜〜〜!!!もう、ゾッとしますよね。ゾッとします。
教科書棚の一面に散らばる虫のたまごを掃除しながら、私は、「絶対ブログに書いてやるー!!!!!!!!!」と思ったのでした。
4.小学生男子育児におけるアーキテクチャと性悪説の採用
虫が我が家で誕生したことは百歩譲って笑い話にできたとしても、私がいつも引っかかってしまうのは、子供が「嘘をつくこと」で、小学生になってから長男がついた嘘の中には上記のような可愛いものから、ちょっと可愛くないもの、だいぶ可愛くないものなど全てあります。
そして、私は、「公文やった」と嘘をつくような都度都度は小さなものでも、何度も何度も嘘を繰り返されることで、周期的に深くガクっっっっときてしまう時があります。
「は〜〜、母親やめて〜〜〜〜。」と。
子供が嘘をつく時は、怒られることを恐れているからだと思うので、私たちは怒りすぎなのか?と反省もしましたが、野球のおにぎりにしても、長男がエネルギー不足による体調不良を起こしやすい体質だからこそ無理にでも食べなさいと言っているもので、それぞれちゃんと理由があります。
長男の場合は、安易に隠してそのまま忘れるという、まあ子供らしい流れでそうなるのですが、私が長男に強く思っているのは、「先を見越して今どうするのが自分にとって得かを考えて!」ということです。
でもこれは、発達途中の子供の脳にはそもそも難しいことなのかもしれませんし、まさに今この瞬間!しか生きていない我が長男に関しては無理なのかな。
安易に隠して結果怒られるなら、正直に言う(「お母さん、僕はおやつだけじゃ足りないからもうちょっと食べれるもの用意して?」などまで伝えよ)か、完璧にやってくれよ!(おにぎりだってゴミ箱に捨ててくれれば虫わかなかったやん)と思いますし、もっと望むなら、「公文を隠蔽することで僕は今何を得る?逆に逃してるものは何なのだろう?」とか、「お腹はいっぱいなんだけども、もし僕がここで貧血を起こしたら野球チームのみんなに迷惑をかけるから頑張って食べよう!」とかまでも考える事ができてくれても全然いいのだけど、息子よ!と思うのです。
「〇〇やったの?」「〇〇やりなさい!」と何遍も声をかけないといけない小学生育児もまあ疲れるものの(これは保育園幼稚園時代よりはるかに大変になります)、私は嘘をつかれることにいちいち傷付き、すごくぐったりしてしまう事をどうにかしたいと思っていました。
そんな時に、大学の法学のレポートの為に読んでいた本に書かれていた「アーキテクチャ」を知って、「小学生男子育児に採用すべきはこれではないか?!」と思ったのです。
とありますが、例えば、法律があることによって人は犯罪行為を慎もうと思ったりしますよね。そのように、人の行動を変容させる手段である法律の行為規範性と同じようなもので、別の手段としてのアーキテクチャを紹介しています。
具体的にいうと、例えば私が自宅で集中して勉強したいという場合に、夫や子供に「部屋に入らないでね」とお願いする方法があります。
そうではなく、部屋に鍵をかけてしまう、という方法をとるのがアーキテクチャです。
え、これっていうのは性善説性悪説の性悪説の立場を取ってるのに近くない?と思ったのです。
そこで、嗚呼そうかと。
私はこれまで、息子達を天使ちゃんだと思って育ててきたから傷付くのだと。
小学生になって平気で嘘をつくようになった長男に対して傷付いてしまっていたけど、そもそも私だって子供の頃にダークさを持っていたし、ライトに性悪説を採用すれは良いのでは?と。
そうして、嘘が発生しないシステムを私達親が考えるべきなんじゃないかと。
例えば、子供が親のお金をくすねたとして、それは見える場所に置いていた事がいけないのだ、見えればそりゃ何かあった時に取りたくもなるだろう、それが人間ってものだろうと、子供の目につかない場所に保管すれば良いだけだと考える、ということです。
私もたしか、お母さんの500円貯金を盗んだことあったもんな。(←)
とまぁ、この様にアーキテクチャと性悪説を採用する事により、傷付かないシステムを見つけた訳ですが、それはそれで大変。
公文を隠蔽させない為には、冊数や、ちゃんとやった事をキチっとチェックする親でいなければなりません。
そうですね、チェック出来てませんし、長男は相変わらず公文を隠蔽してます。
でもまぁ、傷付かなくはなったかなと思います。定期的にガクっときて、このまま京都でも一人でいっちゃおっかなーという日はあります。
小学生男子育児としたけど、男子に限ったはなしでもないと思います。いや、虫をわかす子はなかなかいないか笑
でも、こうしてブログのネタにしたりして、笑ってやっていきたいし、というか笑うしかないし、この記事がどこかの、同じ様なお母さんの、ちょっとでも、何か救いになったら嬉しいです。
我が子を天使ちゃんだと思って、「ママに嘘つくなんて信じられない!!」なんて叫ぶよりかは、楽になるなら、我が子を、「可愛い悪魔ちゃん」だと思って、悪かったのはシステムだね!と開き直ってもいいんでないかな?と、そんな提案でございました。