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わたしたちの仕事は「強者」の世界のものだということ。

え、前回の記事を書いたのが11月らしいのでもう2ヶ月ちょっと経過しているのですね。
私のこの2ヶ月をザッと振り返ると、義実家帰省ですんごく疲れて、疲れすぎて帰ってきた日にブチギレて泣いた→大学の年度末試験頑張った→正月休みの際にお待たせしていた納品を頑張った→今、です。


1.さわりに義実家帰省のことについて書いてもいいですか?

義実家帰省から帰ってきて、疲労によりブチギレた際にThreadsを開いたら、同じように義実家帰省に疲れ果てた世の奥様方の投稿が沢山飛び込んできました。
義実家帰省について、私はフェミニズム的な観点から、「このシステムは再考が必要だ」と昔から思っていたのですが、ついに答えが出ました。

はじめに強調したいのが、私の義実家はとってもいい義実家です。私は義母に出会って救われた部分がある程ですし、とにかく大いに助けてもらっています。四国だもんで子供を預けるなどの頼り方はしておりませんが、遠くからいつも色々と助けてくれます。
義理の妹も、子育てにおけるテンションなども似ており、とにかく明るい人であり、大好きです。3人の姪っ子、甥っ子も可愛い。
義実家に帰ったところで、私は台所にも立たず、美味しいものを食べさせてもらって、いい場所に連れていってもらって、寝るという体たらくです。
そんないい義実家で何の不満があろうか。毎日夕飯作らなくていいのなんて天国じゃないか。

しかし、今回の1週間の義実家帰省、少し体調を崩してしまった中で、香川→愛媛からフェリーで大分1泊→フェリーで愛媛1泊→香川という移動があり、そして疲労の最大の原因である、2歳から小4までの子供総勢5人と四六時中一緒という状況。
ファミリー系フォトグラファーとして子供さん大好きでやらせてもろてる私でももう5人の子供とずっと一緒というのはギブです。正直、癒しの存在は2歳の姪っ子たんだけ(笑)。勿論、我が息子たちも、上の姪っ子も甥っ子も愛してます。可愛いです。でも、お願いだから一人にしてくれ!!と叫びたくなります。

そうして東京の我が家に帰ってきた日に、なんかちょっと息子たちが揉めたかうるさくした拍子に、とんでもない疲労感が押し寄せてきて、「もう来年は私は帰省しねえぞおおおお!!!!男3人で行ってくれや!!!私がいかなくたって、お前たちがいきゃあおじいちゃんおばちゃんは嬉しいんだからいいんだよあああああ!」などと叫んで泣いたのでした。その位なんか疲れてしまっていました。
ちょうど、1月の第二週に大学の試験があるのもいけなくて、そのプレッシャーもあるのですよね。

そして、ママ友なんかに、「こんなことあってさ」と話したところ、「わかる〜!というか、一週間も帰省するなんてえらい!!」と言ってもらい、Threadsでつぶやいたところでは、「それは旦那様にありがとうって言ってもらいましょ!」と優しくリプをくれた方もいて、夫にありがとうを強要し、やっと気持ちが軽くなりました。

義父は私の仕事の投稿をfecebook経由でチェックしてくれてますし、義実家にこの内容が伝わる可能性もあるのですが、別に義実家の悪口を書いているわけでもないし、義実家帰省が嫌な訳ではないことは分かっていただけますでしょうか。
私がいいたいのは、

・夫氏は、帰省についてきてくれた妻にはありがとうを
・母親が自分の実家に帰るときは大抵単身で、荷物を抱えて子供を連れて帰るのであり、それであるならば、父親が自分の実家に帰る時も単身で子連れで何の変なこともないのでどうぞ(薄情な嫁とか思わないでほしい)

この2つです。

そして、「飛行機代高くつくしせっかくなら長くいたいかな〜」とか思って一週間滞在とかにしてしまうのもいけないのかもです。
というか、義父も義母もきっと疲れてますよね(笑)いつもあたたかく迎え入れてくれてありがとうございます。

2.わたしたちの仕事は「強者」の世界のものだということ。

本題です。
そんなお正月と大学試験を無事に終えた1月の後半に、フォトグラファーで友人のHanano Photograpy 花ちゃんと「フォトグラファーランチ会」なるものを主催しまして、募集をしたところ予想を大きく上回る数のお声がけを頂き、合計3日間、総勢18名のフォトグラファーの方とお話しする機会を頂きました。声かけしてくれた花ちゃん、本当にありがとう!
北は北海道や新潟からも参加してくださり、私が会いたかった方にも会えたりと、とても有意義でしたが、皆様にもそう思ってもらえてたら嬉しいです。

その中のとある回で話題になった話で、ほんのさわりを学んだだけですが私が最近気になっているアートベース社会学とも共通するような内容のお話について書きたいと思います。
今回の参加者の皆様は、基本ファミリー系の撮影をしているフォトグラファーさんたちなのですが、その中のお一人がこう言いました。

「私のサービスは、本当は子育てがつらいとか、そういう方たちに届けたい」と。

わたしたちが提供する「日常撮影」というものは、記念日の撮影とは違い、「子育てつらい」にも親和性があります。
詳しくいうと、

「最近怒ってばかりで、実は子育てがつらいなっていう日が多かったのですが、撮影してもらった写真をみて、私ってこんな風に優しい顔で子供と向き合ってたんだって、大丈夫かなって、そう思えました。」

このような感想を頂ける事も多くて、「子育てがつらいって時にも日常撮影を取り入れてみてください!」などと言ってしまっていたのです。(お客様にというより、同業者向けの講座で訴求の方向の一つとしてお話していました)

しかし、まだ下のお子様が小さいとある方がこう言いました。

「お母さんの立場から言っていいですか?私、2人目の育児が本当につらくて、1人目の時は色んなフォトグラファーさんに撮影を頼んでいたような私が、全く写真を撮る気にも撮られる気にもなれなくて、なんかこうやってつらいって思ってる自分も嫌で。だから、写真を撮るのも撮られるのも本当に元気がないとできないことなんだなって思いました。」と。

彼女の話を聞いていて、もう本当に背中をさすさすしたくなった(セクハラ)というか、ぎゅっと抱きしめたくなったというか(セクハラ)、友人としてもフォトグラファーとしても「私はなんもできなかった、できない」というような思いがガーンときました。

「育児がつらい時こそ日常撮影!」という言葉の浅さよ。

いや、分かってはいたと思います。
わたしたちにご依頼をくれるご家庭は、収入も一定以上あり、夫婦仲が良好であったり、健康であったり、「すべてハッピー」なんていうご家庭はほぼほぼないことも分かりますがそれでも「撮られる元気がある」ということです。

タイトルに「強者」なんて強い言葉をつけてしまったし、ではそうでない方たちが「弱者」なのかというと決してそう言いたいわけではありませんが、撮られる元気がない方たちからみたらわたしたちのサービス周りは「強者」に見えるだろうと思ったのです。

私がまだスタジオで働いてた時に、運命的な出会いとなったお客様がいます。娘さんの3歳の七五三の写真を撮りにきてくれた木村佳乃似のママは私と同い年で、母子家庭であることを聞き、私も母子家庭育ちなのでそんな話をしてなんだか仲良くなったママとは今でも繋がっています。
彼女がこんな風に言ってたことをよく覚えていて、「私たちは母子家庭だし、七五三なんて、ましてやスタジオで写真を撮ることなんかいいのかなって迷ったんだけど」って。
彼女が言っていたのは、このような行事や撮影は両親が揃っていて、まあそういう家庭がやるものだと、遠慮がちに思ってのことだと捉えています。

この時も今回も思ったのは、自分のサービスは、ほんの一定層の方にしか届かないサービスであると。いや、むしろ視野が狭く、盲目的に「幸せな家庭像」をぶん回してるサービスなのかもと。

私自身は、『STAR WARS』のアナキン・スカイウォーカーが暗黒面に堕ちる心理がよく分かるようなダークサイド寄りの人間ですし、東京の端っこの方で毎月の賃貸料をなんとか払っていて、車もないし(免許もない)、そんな、決して勝ってはいない人生を生きていますが、それでもまだ写真を撮って、自分で発信して、そういう元気はあるわけです。
そうして売り出しているサービスには、サービス以上の「想い」もあるわけですが、それはやはり、本当につらかったりする方には「私には関係ないサービス」としてかすりもしないのだと思ったのです。

ビジネスとして考えるときには、いわゆる「ターゲットを決める」っちゅーのは大切なのかもしれないけれど、わたしたちが「写真」でお客様に「もたらしたいもの」というと偉そうですが、「こう感じてもらえるように頑張りたい」という想いは、本当は、子育てがつらいとか、子育てに孤独を感じているとかいう方にこそ届けたい、少しでも元気になってもらいたいというようなものなのに、届かないようになってしまっているという。

この考察について会ではどのように結論づけたかは、会の中でのものとして取っておきますが、でも正確には結論など出ていないし、私には考え続けたい話です。

社会学においても、歴史的には「ヨーロッパ」の「ある程度の階級」の「健常者」である「異性愛者」の「男性」の社会学者が、「女性」や「障がい者」や「同性愛者」を扱うという構造があり、まあ今は元気である私が、写真で元気がない人に元気を与えたいという様な事も、傲慢な視点なのではないだろうかと思ったり、そもそも子育てで本当に本当に疲労困憊し、孤独に苦しんでいる人が欲しいものは「写真」なんかではないのだろうと思ったり。

私は、この現代の子育ての孤立化、孤独化、核家族の極みみたいな社会は限界を迎えていると感じていて、なんでも個人の自己責任を追求して吊るしあげるような世の中にもちょっとうんざりしています。資本主義社会とか大量消費とかにもね。
だから、自分のお仕事が、うまく表現できないけど、「ある程度は強い世界」のものだとして、そこで稼げたらいい、こちらはこちらで生きていければいいとはもう思えないので、今回参加者様が投げてくれたこのことを切り捨てたりしたくなくてもうちょっとじっくり考えていこうと思っています。
私が尊敬する社会学の先生も、答えを出すというより考え続けています。「問い」こそ学問のはじまりだし。
「問い」を下さったSさんありがとうございます。Sさんはじめ、参加してくださった皆様の想いには大いに刺激を受けました。

今日はこの辺で!こんな長ったらしい私のブログを「読みました!」って言ってくださる皆様、本当にありがとうございます。


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