1人で出来るもん?

「妄想は物語の暴走。聞き手のいない物語は暴走する。」
精神障害の自助グループを運営する方の講演会で紹介された言葉である。

この言葉を聞いて感じたのは、精神障害だけでなく誰にでも当てはまることなのではないか、ということである。

講演ではさらに、以下のような言葉が続けられた。
「1人で考えて1人で判断して暴走してしまう。」
「仲間と対話を重ねることで物語が意味のあるものになる。」

物語には聞き手が必要である。
気心知れた聞き手との対話を通して、お互い共感することで、モノローグが物語となる。

聞き手となってくれる相手を上手く見つけられなかったとしたら、1人で考えて1人で判断して暴走してしまう…。誰の身にも起こり得ることなのではないだろうか。

誰しも自分のことを見て欲しい、話を聞いて欲しい、かまって欲しい気持ちが多かれ少なかれあると思う。
その気持ちが満たされないとしたら、より自分のことを見てくれるような振る舞いをするのではないだろうか。
例えばそれが、「暴走」と表現されるような、自分あるいは他人を傷つけるような行いに繋がってしまうのかもしれない。

1人で出来るのが偉い、迷惑をかけない方が良い、自己責任など、1人で何でも出来ることが推奨されるような世の中になってきている気がする。
だけど、心は聞き手となってくれる相手を必要としている。この矛盾とどうやって対峙していこうか。

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