友と出遭う
今日はツイッターで、あるアカウントの方からさまざまなご質問を頂いた。質問の内容は多岐にわたったが、ようは「宗教を信じるとは、どういうことか」をめぐっての問いであった。わたしはそれら一つひとつの問いを楽しみ味わい、できるだけ丁寧に応えていった。
こんなことを言ってしまえば元も子もないが、わたし自身、ふだんは「なんとなく」信じている。それはこうやって文字を打つときに、いちいち考えなくても手を動かしていられるようなものだ。手そのものは、じつは筋肉や骨格、脳に至るまでの神経系統など、じつに見事で複雑な、おそらく現代科学でも解明できていない奥行きを持った器官である。ところがわたしはそんなことにはまったく気を留めず、「なんとなく」手を動かし続けている。今回の信仰にまつわる問いは、いわば「あなたはなぜそうやって手を動かしていられるのですか」と問われたようなものだ。
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